真水稔生の『ソフビ大好き!』

第45回 「ソフビ怪獣人形は戦うオモチャ」  2007.10


怪獣が現れ、暴れまわる。
科学特捜隊が出動するが、まるで歯が立たない。
そこへ、我らがウルトラマンが颯爽と登場。
ウルトラマンは怪獣と激しい戦いを繰り広げ、最後は必殺技のスペシウム光線で怪獣をやっつける・・・。
これが、
『ウルトラマン』の物語展開の基本的パターンだ。

この基本的パターンが、時々壊される時がある。
有名なのは、
実相寺昭雄監督が演出を担当した回。
怪獣は暴れないし、ウルトラマンとのカッコいい戦いも描かれない。
お約束のスペシウム光線すら、一切使われないのである。

今でこそ、実相寺監督の創り出す映像の面白さは多くのウルトラファンに認知され愛されているが、
子供だった当時の僕らにとって、
実相寺監督の回は、印象には残るものの、決して面白いと思えるものではなかった。
子供たちにとって、
怪獣とは、戦うもの、そして強いもの、
戦わなければ意味が無いし、強くなければ価値が無かったからである。

何もしないで寝ているだけのガヴァドンや
宇宙へ帰りたいと駄々をこねるだけのシーボーズの回などは、
なんだか、気持ちをはぐらかされたようで、損した気分にさえなった。

その逆で、得した気分になったのが、複数の怪獣が登場して戦う回。
基本的パターンを壊すなら、断然こっちを僕らは支持した。

ひとつのエピソードで2匹以上の怪獣が見られるだけでも嬉しい事だったし、
ウルトラマンが登場する前に怪獣同士で戦ってくれたりすると、
もう、震えるほど興奮したものだ。
それは、まるで、
ウルトラマンとの決勝戦に向けての予選、といった趣で、
勝ち残った方の怪獣の強さを僕ら視聴者に強烈に印象付ける効果があり、
最後のウルトラマンとの戦いにも、いつも以上のスリルが感じられた。

中でも代表的なのは、
多々良島でのレッドキングとチャンドラーの戦いと
古代人が封印したカプセルからよみがえった二大怪獣アボラスとバニラの戦いであろう。

まず、“レッドキング対チャンドラー” は、
なんといっても、
『ウルトラマン』における初めての
怪獣同士の戦いだったので、
インパクトも強かったし、面白かった。
テレビ番組における本格派怪獣同士の戦いは、
子供たちが望み、待ち焦がれていたものであり、
大袈裟でも何でもなく、
一瞬これは夢かと考えてしまうほど、
シビれる光景だったのだ。
レッドキングが
怪力でチャンドラーの翼をもぎ取ったシーンは、
レッドキングのイメージそのものとして、
僕らの胸に深く残っている。
とても強烈だった。



そして、“アボラス対バニラ” もまた、
怪獣同士の対決の醍醐味を、存分に味合わせてくれた。
結果的にはアボラスが勝利するのだが、
力と力がぶつかり合うとても激しい戦いで、見応えがあった。

しかも、この勝負は、
バニラが、
口から吐く炎とその赤い体色から“火”を連想させるのに対し、
アボラスは、
口から吐く泡(溶解液)と青い体色によって“水”を連想させるので、
“火は水に弱い”という性質から、子供心に実に納得のいく決着でもあったので、印象深いのだ。

また、敗れたとはいえバニラは、
アボラスとほぼ互角の戦いを繰り広げたし、
その不気味で異様な形状が
生理的な怖さをも強烈に感じさせるので、
レッドキングの怪力に圧倒されてほとんど一方的に敗れ
泣きながらお家へ帰っていった(ように思えた)チャンドラーとは違って、
“弱い怪獣” というイメージは無い。
戦いに勝ったアボラスの方が当然人気は高かったが、
僕はバニラも結構好きだった。
アボラスと死力を尽くして戦った、
闘争本能むき出しの強暴さがとても印象的だったのだ。
当時、駄菓子屋で買う5円引きブロマイドに
バニラが国立競技場の前に現れた時の写真があり、
それがシビれるほどカッコよく感じられて、
とても気に入っていて大切にしていた憶えがある。



まぁ、とにかく、
アボラスもバニラも、そして、レッドキングもチャンドラーも、
幼い日の僕に、いや、当時の日本中の子供たちに、
怪獣という夢の生き物の本能・本質をわかりやすく教えてくれた、言わば“先生”であったのだ。
その先生たちのおかげで、
怪獣のイメージが、“暴れて戦う強い生き物”として、しっかり出来上がった。
だからこそ、
嫌われ攻撃される者の哀しみや怒りといった
怪獣の内面的魅力を描こうとした実相寺監督の回も、
今日は面白くないなぁ、なんて思いながらも僕らの印象に残った気がする。

暴れて戦う。
それが怪獣というキャラクターの大前提なのである。


我が愛するソフビ怪獣人形は、
そんな怪獣の魅力を最も楽しく味わう事が出来たオモチャである。
夢見る思いと空想する力で、
人形同士を戦わせ遊ぶソフビ怪獣人形は、
子供たちの胸の中にある怪獣の意味や価値を正しく理解し、
子供たちがそれを自由に伸び伸びと表現し楽しむ事が出来るよう作られた、
最高にして最強の、そして最良の、キャラクター玩具なのだ。



レッドキング
前列がマルサン製、
後列はブルマァク製スタンダードサイズ。

ゴジラ人形と同じく、多くの子が持ってた怪獣人形である。
怪獣らしいフォルムと力強いイメージで高い人気を誇る怪獣だけに、
当時の人形の売れ行きも相当良かったであろう。

だが、
僕は持っていなかった。
欲しいと思った記憶も無い。
レッドキングをそれほど好きではなかったからである。

当時の児童雑誌や怪獣図鑑などには、
レッドキングが最も強い怪獣であるような記述や、それをイメージさせる紹介の仕方が多く、
劇中でも、
圧勝であっさり退けたチャンドラーを筆頭に、
マグラー、ピグモン、スフランといった“引き立て役”怪獣たちの存在によって、
レッドキングが“怪獣王”である事が強調されている。
しかし、
ウルトラマンには、首投げひとつで簡単に倒されてしまっているのだ。
しかもこの時、ウルトラマンはカラータイマーも点滅していない。余裕の勝利なのである。
僕は、ずっと、“レッドキングが強い”という事実に
疑いの目を向けていた。いや、現在でも疑っている。

それに、
レッドキングは体の大きさに比べて頭が小さいが、
昔よくあった怪獣解剖図なんかには、
“頭が小さいから脳みそも小さく、よってあまり賢くない”というような解説が載っていた。

つまり、
レッドキングは、力持ちだけど馬鹿なのである。
力持ちだけど、馬鹿・・・。
怪獣王と認定し憧れるには、不適格な性質であり、今ひとつ好きになれなかった。

だいたい、
力持ちと言ったって、
多々良島などという、ごくごく狭い世界の中で、
チャンドラーとかマグラーとかピグモンとか、そんな弱い怪獣だけを毎日相手にしてただけの事で、
実際にはそれほど強くないのではないか、という気がしてならない。
一歩外へ出れば、
ケムラーとかアントラーとか、それこそゼットンとか、
ウルトラマンと互角、あるいはそれ以上の強さを持った怪獣はたくさんいるのである。
なので、 
僕はレッドキングを “疑惑の怪獣王” と、密かに呼んでいる(笑)。

話を人形に戻すが、
レッドキング人形の魅力は、なんといっても、この蛇腹のボディ。

第1回「怪獣世代のソフ美学」の中でも述べたが、
小学生が工作の時間に無心で彫刻刀で削ったような、
この勢いのある“彫り”は、
レッドキングという怪獣の本質を
見事なまでに表現している。

現在のバンダイのレッドキング人形のような
実物そっくりの造形ではないのに、
実物のレッドキングはこんなンじゃないのに、
この人形はどう見てもレッドキングなのだ。
これは凄い事である。
リアルな造形、とよく言うが、
そもそも怪獣人形にリアリズムを持ち込む事は、
果たしてリアルなのか・・・、
と、そんな事さえ考えさせられてしまう、高尚で芸術的な人形である。



チャンドラー
向かって左から2体がマルサン製、
右端はブルマァク製スタンダードサイズ。

正面から見据えると、
その意地悪そうな表情のせいで、
今にも大きな両翼で突風を巻き起こし攻撃してきそうに思えて、なかなか恐い。
また、
実物の着ぐるみがペギラの流用だったように、人形の方も、ペギラ人形の流用になっている。
そのため、マルサン製のチャンドラー人形にも、
ペギラ人形と同様に、右足側面にマルサンの刻印が有るものと無いものが存在する。
単なる押し忘れか、それとも、生産時期とか発売時期とかに関係があるのか、
40年近く昔の経緯を色々想像してみるのも、アンティークソフビの楽しみ方のひとつである。



マグラー
3体ともブルマァク製スタンダードサイズ。

僕は、子供の頃、この人形の存在を知らなかった。
コレクターになって初めてこの人形を見た時も、この怪獣が何なのかわからなかった。
マグラーという怪獣自体、
言われてみれば多々良島にそんな怪獣いた気がするなぁ、という程度の、
ほとんど記憶に残らないような存在だったし、
似ても似つかなぬ、この投げやりとも思える造形からは、到底、識別不可能だったのだ。
オッサンが「ぶったまげたぁ!」と叫んでいるようなこの顔を見て、
僕の方がぶったまげた次第である(笑)。

でも、
以前、第27回「名作ドラマの迷作人形」の中で述べたジェロニモン人形やザラガス人形と同じで、
現在では愛して止まない、大好きな人形である。
いかにも昭和の怪獣玩具という味わいが、心を和ませてくれるのだ。

それに、
似ても似つかぬ、と先ほど述べたが、
人形に愛着が出てくると、わりと実物に似てるンじゃないか、というような気さえしてくるし、
もっと愛着が強くなってくると、この造形以外ありえん、とまで思えてしまう。

超マイナーな怪獣ゆえ、
ソフビ人形化の機会には恵まれない怪獣だが、
今後どんなに実物そっくりのカッコいいマグラー人形が作られたとしても、
このブルマァクのマグラー人形ほど、僕は愛せないかもしれない。



アボラス
前列がマルサン製、
後列はブルマァク製スタンダードサイズ。

最初はピンク色で発売されたが、後に、アボラス本来の青に変更された模様。
だが、ひとくちに“青”と言っても、
水色っぽい成形色だったり、薄紫色の成形色だったり、さまざま。
これに塗装色のバージョン違いも加わるから、とても集め甲斐がある。
もちろん、
このほかにも、微妙な色違いのバージョンが存在するし、
首と胴体が別パーツに見えて実は繋がっている(接着されている)ものもある。
実に楽しい。

また、
胴体がレッドキング人形の流用(実物のアボラスの着ぐるみもレッドキングの流用)ながらも、
正面を向いていない頭部や微妙な位置に付けられた目、
といった、いかにもマルサンらしい表現によって、
実に表情豊かな人形に仕上がっている。
見る角度や方向によっては、冷酷な悪魔に見えたり、はたまた、マヌケなオッサンにも見えたりするので、
その都度違った印象を抱かせてくれるのだ。

実物のアボラスの顔は、
岩石のようなゴツゴツ感と異常なほど大きく裂けた口により、
威圧的なまでの迫力を感じさせるが、
人形の顔は、それを抽象化したような、実にユニークな造形になっている。

ただ単に愛嬌があるというだけではなく、
恐怖感をまるで逆手にとって楽しんでいるような感覚が、そこにはある。
この特異なセンスこそが、
懐かしく温かい、そして、飽きの来ない大きな要因であり、
昔のソフビ怪獣人形が愛され続ける所以なのである。

以前、僕は、第37回「色違いの妙味」の中で、
昔のソフビ怪獣人形には、虹とか夕焼けとかの自然の美しさに触れた時の感動ややすらぎがある、
と述べたが、
先日、アメリカのテレビドラマ『SMALLVILLE(ヤングスーパーマン)』を見ていたら、
劇中、クリスティン・クルックさん演じるラナが、

   「夕陽って見る度に違って見える。毎回新しい発見がある」
  
って言っていた。
“癒し” とともに、常に “新鮮な驚き” を与えてくれるアボラス人形は、
大自然の“美”を思い起こさせてくれる怪獣人形の、まさに代表的存在と言えよう。



バニラ
向かって左から3体がマルサン製、
右端のみブルマァク製スタンダードサイズ。

デフォルメ造形ながら、アボラス人形のような愛嬌は無く、
実物の醜悪なイメージがストレートに伝わってくる、渋みの効いた人形である。
人形のバトルなら、アボラスよりもバニラの方が圧倒的に強そうだ。
偶然とは思うが、
勝った方の怪獣より負けた方の怪獣の方が強暴そうに作られている所が、なんとも奥深い。

それに、
右の写真のように並べると、
アボラスの“グー”に対して
バニラは“パー”になっているので、
ジャンケン勝負でも、
バニラが勝つようになっている(笑)。

また、
以前、第20回「誰かに似たソフビ」の中でも述べたが、
僕が子供の頃住んでた家の近所の商店街におでん屋さんがあり、
そこのおばさんがこのバニラ人形そっくりの容姿だった事を、
余談ながら再度記しておく。



ソフビ怪獣人形を戦わせて遊んでいる時は、純粋に楽しかった。
今から思えば、美しいまでに幸せなひとときだった。
子供の頃の、あの胸のときめきが忘れられず、またそれが愛しくてたまらず、
僕はソフビ怪獣人形をずっと蒐集してきた。
そんな、
20年近くになる蒐集活動の中、
激しい戦いの痕だろう、
塗装がほとんど剥げてしまっているもの、泥だらけのもの、傷だらけのもの、
角が折れたもの、手足や尻尾が取れてしまっているものなど、
満身創痍の人形とも幾度となく出逢ったが、
そういったものを僕はコレクションには加えていない。
コレクターとして、やはり状態の良いもの、綺麗なものを、手元に置きたいからである。

だけど、
最近ふと思うのは、
本来、僕ら大人になった怪獣少年たちが愛でるべき怪獣玩具は、
そういった激しい戦いで傷ついた怪獣人形たちなのではないだろうか・・・、という事である。
怪獣のオモチャとして、
怪獣の魅力を存分に僕らに教えてくれた証として、
彼らはそんなボロボロの姿になっているのだ。
戦うオモチャ・ソフビ怪獣人形として、それが最も正しい状態なのである。

綺麗な状態の人形ばかり追い求めているようでは、
愛あるソフビ怪獣人形コレクターとは言えないのかもしれない。


う〜ん、それでもやっぱり、
欠損品にお金を出す気にはなれないなぁ(笑)。
ソフビ怪獣人形コレクターとして、まだまだだな、僕も。



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