真水稔生の『ソフビ大好き!』


第78回 「スーパーカーに憧れて・・・」  2010.7

この度、生活苦のため、
サラリーマン時代に購入した愛車シトロエン・C2を、手放しました。
やはり、分不相応はいけませんな。
あと少しでローン完済だったのですが、
売れない役者では、もうこれ以上維持出来ませんでした。
ロックンローラーなら、御飯を食べるのを我慢してでもアメ車に乗るのでしょうが、
C2はアメ車じゃないし、
僕はロックンローラーじゃないし、
やはり、車に乗るより、御飯が食べたいです(笑)。

故障ばっかりで、
ろくに動きもしない車でしたが、
見栄っ張りな僕としては、
外車を所有している、
という満足感だけで優雅な気持ちになれるので(笑)、
毎日の暮らしを
心荒む事無く幸せな気持ちで送らせてくれる、大切なマイカーでした。
もう乗れないのかと思うと、淋しいです。

そもそも、
なんで、似合いもしないくせに
外車になんか乗りたがるのかと言いますと、
少年時代に
スーパーカーブームを体感した事が、大きく影響しています。
将来はスーパーカーを所有しようと夢見ながら、僕は大人になりました。
でも、
実際大人になってみると、スーパーカーなんてとても買えませんでした(笑)ので、
それなら、
せめてリーズナブルな外車を、と
C2(その前は中古のルノー・トゥインゴでした)を愛車としていたわけです。

フランス車だし、スーパーカーとは違いすぎるやろ!? 

という嘲笑・失笑が聞こえてきそうですが(汗)、
そこはソフビ世代、空想力でカバーです。
幼い頃、
実物の怪獣に似ても似つかぬマルサンやブルマァクの怪獣人形で遊びながら
ひそかに磨かれた感性がここへ来て役に立ち(笑)、
憧れのスーパーカーには程遠い車でも、
スーパーカーに乗ってる気分で愛用する事が出来たのです。
・・・要は、気分ですから(笑)。

そこで今回は、
そんな愛車とのお別れを記念して、
スーパーカーにまつわる少年時代の思い出を、綴ってみたいと思います。


スーパーカーブームで目覚めた(?)人生観

スーパーカーの一大ブームが巻き起こったのは、
昭和51年、僕が小学6年生の時でした。
少年ジャンプに連載されていた池沢さとしさんの漫画『サーキットの狼』が大変話題になり、
各地でスーパーカーの展示会が開催され、
テレビや雑誌でも、スーパーカー特集が頻繁に組まれました。
また、
プラモデルやスーパーカー消しゴムといったオモチャや、
図鑑や写真集といった書籍など、
スーパーカーに関する商品はどれも大人気。
あ、そうそう、
スーパーカーの排気音が収録されたレコード、なんてのもありました。
そんなモン聴いてどーするんだ? って感じですが(笑)、
とにかく、もの凄いブームだったのです。

僕はといえば、
スーパーカーどころか、そもそも車になど全く興味の無い子供で、
最初はそんな大ブームもどこ吹く風だったのですが、
クラスの男子のほとんどが、
毎日のように、
この車の生産台数は何台だの、あの車は何気筒エンジンで排気量は何CCだの、と
それはそれは熱く話していたので、
自然と知識を得て、徐々に関心を持つようになり、
気づけばどっぷりハマっていた、という次第であります。

ランボルギーニ・カウンタック、
ランボルギーニ・ミウラ、
ランボリギーニ・イオタ、
ランボルギーニ・ウラコ、
フェラーリ・512ベルリネッタ・ボクサー、
フェラーリ・ディーノ、
フェラーリ・デイトナ、
ロータス・ヨーロッパ、
マセラティ・メラク、
マセラティ・ボラ、
マセラティ・インディ、
ランチア・ストラトス、
デ・トマソ・パンテーラ、
デ・トマソ・マングスタ、
ポルシェ・930ターボ
ポルシェ・カレラ911RS・・・etc.

スーパーカーの名前や形は、
子供心にユニークなものばかりだったので、
車に興味が無い僕でも、すぐに憶える事が出来ました。
ちょうど、幼い頃に怪獣の名前や形を憶えたような感覚だったと思います。

そして、そのうち、
スーパーカーの写真を撮影する事が流行りだしました。
先述した、各地で行われていたスーパーカーの展示会などは、
カメラを持った子供たちで、常にごった返し。
スーパーカーブーム = スーパーカーの写真撮影ブーム、だったと言ってもいいでしょう。
子供がカメラを持ってスーパーカーに群がる事が、
社会現象として、
新聞や週刊誌等で度々取り上げられるほどでした。

御多分に漏れず、僕もその社会現象の一部。
カメラと言っても、
我が家にあったのはポケットカメラでしたが、
カメラマンにでもなった気分で、夢中で撮りまくったものです。
また、
夜、寝る前に、自分が撮影したスーパーカーの写真を眺めるのが日課で、
枕元には、
写真を整理したミニアルバムが、いつも置いてありました。
スーパーカーの事を考えると、胸がワクワクしました。

ただ僕は、
展示会等で展示されているスーパーカーの写真はあまり好きではなく、
それよりも、
街中で撮影したスーパーカーの写真に、熱いときめきを覚えました。
それは、
走っているところでも
信号待ちしているところでも
路上駐車しているところでも、構いません。
とにかく、
スーパーカーが、
撮影されるためにそこにあるのではなく、
あくまでも自然に、風景としてそこに写っている、という写真に魅力を感じたのです。
そういう写真は、
展示会で撮影したスーパーカーの写真とは、明らかに異なる輝きを放っていて、
胸にジーンと来るものがありました。

週末になると、
そんな素敵な写真を撮影すべく、
スーパーカーとの出会いを求めて、
ひとり、あるいは友達と一緒に、カメラ片手によく街へ出かけたものです。
もちろん、
一日中歩き回って1台も撮影出来ない時や、
せっかく出会っても撮影に失敗してしまう事も多々ありましたが、
それがまた、醍醐味。
それだからこそ、
たとえたった1台でも撮影に成功すれば、震えるほど興奮したし、
そもそも、
スーパーカーと偶然出会う事を期待しながら街中をぶらぶらする事自体が、
とても楽しい行為だったのです。
毎回、
まるで宝探しにでも出かけるような気分でした。

今にして思うと、あの感覚は、
その後、干支が一周してから味わう、
昔のソフビが倉庫に残っていないかと
旧い玩具店などを巡る “オモチャハンティング” の楽しさにも
通じていました。
宝探しが根っから好きなンでしょうな。
しかも、
そんな趣味・道楽だけにとどまらず、
生活を度外視して役者などという職業を選択してしまっているわけですから、
そういう、
根拠も当ても無いままに幸せを探しに行く、という事に、囚われてしまう性分なのでしょう。
その結果、
愛車を手放さなければならぬほどの貧しく不自由な暮らしになっても、
それほど不幸には感じていないのですから、
これは死ぬまで改まる事は無いと思います(笑)。
すべては、
スーパーカーブームを体感した事に起因するのかもしれません。

では、
当時僕が街で撮影したスーパーカーの写真を何枚か紹介します。


スーパーカーの代名詞とも言える、
ランボルギーニ・カウンタック
これは、
或る焼肉屋さんのオーナーが所有していたもので、
そのお店では、いくらか焼肉を食べると、
特典として、このカウンタックに乗せてくれました。
確か、結構な額の焼肉を食べないと
乗せてもらえなかったので、
僕はもちろん、友達にも、
これに乗せてもらえた子はいませんでしたが、
多くの子がナンバーを記憶しているほど、
名古屋では有名なカウンタックでした。
この時も、
街で走っているのを見かけ、
ナンバーを見て、すぐに、
あの焼肉屋さんのカウンタックだと気づきました。
まだライトを点けるには早い時間でしたが、
カメラを持って構えた僕のために、ライトオープンしてくれました。
そういった、“カウンタックに乗せてあげるサービス” なんてのをやってるオーナーだから、
何をしてあげたらチビっ子カメラマンが喜ぶかを、ちゃんと心得ていたのでしょうね。



マセラティ・カムシン
或る外車ディーラーで修理・点検中だったところを、
友達と二人で見つけたのですが、
その外車ディラーのオジサンは、
子供が近づくと
大声で怒鳴って追い払う、とても恐い人だったので、
少し離れた所で、
まるでコンサート会場の外でスターの出待ちをする、
追っかけファンのごとく待ち続け、
その外車ディーラーから
修理・点検を終えて出てきたところを、撮影したものです。
 「ライト、開けてーっ!」
って叫んだら、
運転席のお兄さんは面倒臭そうな顔しながらも、
一瞬だけ開けてくれました。
長い時間待ってた事を知ってて、
その苦労を酌んでくれたのでしょうか(笑)。
ちなみに、
この時、カメラ片手に、僕と一緒にカムシンの出待ちをしていた友達は、
第55回「カメバズーカと山本昌に学ぶ」で紹介した、
カルビーX3カードの “10番カメバズーカ” がなかなか出なくて泣いてた僕に、
自分の持ってたそのカードをくれた子なのですが、
やや出遅れてしまい、
このライトオープンのシャッターチャンスを逃してしまいました。
とても悔しがっていたので、
僕は、幼い頃の恩返しのつもりで、この写真をタダで焼き増ししてあげたのでした。 めでたし、めでたし(笑)。



スーパーカーブームの中、
ランボルギーニやフェラーリといった
イタリアの名車たちと、
唯一、
国産車でありながら肩を並べる人気を誇った、
トヨタ2000GT(通称・トヨ2)。
なんとなくセクシーなフォルムが子供心に印象的で、
僕は大好きでした。

後ろに写っている歩道橋の上で、
「スーパーカー来い、スーパーカー来い」
と念じていたら、
遥か地平線の彼方(笑)から本当に現れたので、
慌てて歩道へ駆け下り、
シビれながらシャッターを切った事を憶えています。
撮影した翌日、
 「トヨ2を撮影出来た!」と
クラスメイトに自慢しても信じてもらえず、
 「そんな簡単にトヨ2が撮れるわけないてぇ。 ヨタ8(トヨタS800の事)の間違いだわ〜」
などと馬鹿にされたので、
現像されるまでが、とても待ち遠しかったのを憶えています。
(当時は、フィルムをカメラ屋さんに持っていっても、現像されるまでに4〜5日かかったのです)



デ・トマソ・パンテーラ
通学路の途中に路上駐車してあったものです。
朝の登校時に見つけて、
パンテーラがとまっていた、と
その日は学校中で話題になりました。
で、
下校時にもまだ駐車してあったので、
カメラを取りに
ダッシュで帰宅したのを憶えています。

写真には写っていませんが、
このパンテーラの周りには、
下校途中の者、あるいは、
僕のように一旦帰宅してカメラを持ってきた者、
合わせて20人くらいの小学生がいます。
ランドセルを道の真ん中に置きっ放しにしていた子が、
通りすがりのオバサンに怒られてました(笑)。
このパンテーラの印象が強烈過ぎたため、
今でも、
何か黄色と黒のツートーンカラーのものを見かけると、思わず 「パンテーラみたいだ」 と言ってしまいます(笑)。



ランボルギーニ・ハラマ
街中を、いつものように
カメラを持ってぶらぶらしていたら、
僕と同じように
カメラを持ってぶらぶらしていた友達と偶然会ったので
 「なんか、撮れた?」
 「まだ、何も」
ってな感じで談笑していると、
まるで
僕らのために神様が走らせたのかと思うような
絶妙のタイミングで、目の前に現れました。

太陽の光を浴びて輝く真っ白な車体が、
交差点から僕らの方に向かって左折してきた光景を
今でも鮮明に憶えています。
談笑中で油断していたため、
最初はシャッターチャンスを逃してしまいましたが、
幸運にも赤信号で停まってくれたので、追いかけていって撮影出来ました。
でも、
 「ライト、開けてーっ!」
って、二人して何度も叫んだリクエストは、完全に無視されました。
晴天の真っ昼間だったしね、・・・仕方ないです(笑)。



ランボルギーニ・ミウラ
家でボーッとテレビを見ていたら、
 「近くにミウラがとまっとるゾ!」
と友達が呼びに来たので、
自転車をとばして駆けつけ、撮影した1枚。

ミウラの後ろに、
僕らと同じように駆けつけた子供たちの自転車が
何台か映っています。
駆けつけたと同時に、
喫茶店から出てきた二人組のお兄さんがこれに乗り込んで発車するところだったので、
焦って手がブレてしまい、やや “ピンぼけ” みたくなってしまいました。
でも、
この写真を見る度に、
エンジンがかかった時のあの爆音を思い出して胸が熱くなるので、
このブレ具合・ぼけ具合が、
逆に、はっきりくっきりと記憶を甦らせてくれます。



・・・と、まぁ、こんな感じで、
スーパーカーの撮影に熱く胸を焦す日々を送っていたわけですが、
実は、
なんと、スーパーカーに乗せてもらった経験も、
僕にはあるのです。
信じられない、夢のような出来事でしたが、今でも鮮明に憶えています。


スーパーカーに乗った僕

当時、近所のマンションの駐車場に、
いつもマセラティ・ボラがとまっていました。
そのボラは、
普通のボラとはちょっと形状の異なる、
一見、同じマセラティでもボラではなくメラクのような、そんな珍しいタイプの車でした。
当然、僕らは毎日のように見に行き、
写真を撮ったり、運転席を覗いたりしていたのですが、
そうやってボラの周りをウロウロしていた或る日の夕方、
友達が僕に、

「乗せてもらえないか、頼んでみよっか?」

と言い出しました。
僕は同意し、
駐車場に書いてあった部屋番号を頼りに、
その子と二人で部屋のチャイムを鳴らしたのですが、
特にドキドキはしていませんでした。
乗せてもらえるわけがない、と思っていたからです。

すぐにドアが空いて、部屋の主が顔を出しました。
30代半ばくらいのオジサンでした。
風呂から出たばかり、との事で、上半身が裸だったそのオジサンは、
今にして思うと、
パンチパーマ、浅黒い顔、金のネックレス、太い指輪・・・と、
思わずビビって目をそらしてしまうような、いわゆる “恐い人” だったのですが、
小学6年生の僕らには、
そんな邪念や偏見などありません。只々真っ直ぐに、そのオジサンの目を見つめました。

「あ、あの、車、ちょっと見せてほしいンですけど・・・」

友達が、緊張しながら精一杯丁寧な口調でそう言いました。

「ん? 勝手に見ればええがや」

オジサンのその返答に、
丁寧な口調を意識したため本意が伝わっていないと即座に判断した友達は、
今度はズバッと切り出しました。

「あ、あの、乗せて下さいっ!」

一瞬の間があった後、

「わかった。ちょっと待っとれ」

オジサンはそう言ってドアを閉めました。

・・・え? 乗せてくれるの?
あまりの意外なオジサンの返答に僕はキョトンとしてしまいましたが、

「やった、乗せてもらえるゾ!」

と、友達に歓喜しながら言われ、
全然ドキドキしていなかった心臓が、急に激しく波打ちはじめました。
そして、
オジサンがシャツを着て部屋から出てくると、
本当に乗せてもらえるンだ、あのマセラティ・ボラに僕は乗れるンだ、と
改めて実感が湧いてきて、めちゃくちゃ興奮しました。

「どっか行きたい所あるか?」

胸を躍らせながら体を密着させて助手席に乗り込んだ僕らに、オジサンは聞きました。
そして、
友達に自慢したい、
という僕らのリクエストに応えて、
オジサンは僕らが指定した友達の家へ向かってくれたのです。
玄関先に停めてもらい、
その友達を呼び出して散々自慢しました。
その後は、町内一周です。
しかも、
暗くなってきたので、ライトオープンです。
車内から見るライトオープンを初めて体感した僕とその友達は、
その瞬間、
あまりのカッコよさにシビレて、体が固まってしまいましたが(笑)、
そんな僕らの緊張を解こうと、
オジサンは、

「お前たちは近所に住んどるのか?」

なんて、
運転しながら気さくに話しかけてくれたり、

「これは日本に2台しかないタイプのボラで、もう1台のオーナーは横浜におるンだわ」

と、教えてくれたりしました。
また、
空いている道路では、時速70キロくらい出して走ってくれるという大サービスぶりで、
僕らを楽しませてくれました。

思い出す度に胸が躍りだす、大切な大切な思い出です。
『少年の夢は生きている』を僕が作詞したら、
いちばん最初にこのエピソードを歌詞に入れるでしょう(笑)。


以前、
或るテレビ番組の再現VTRで、
ヤクザの役をやらせていただいた際、

「人の良さが滲み出ていて、あんまり恐くない」と

番組を見てくれた知人に言われました。
それは、
僕の中に、
“マセラティ・ボラに乗せてくれたオジサン”
の印象が、
根深くあるからかもしれません。
まぁ、あのオジサンがヤクザだったかどうかはわかりませんが(笑)、
そういう恐い風貌の人を演じるにあたって、
リアリティを突きつめた結果、
実体験から、あの優しいオジサンが僕の中に出てきてしまったのでしょう。

ただ単純に “演技力不足” だったという説もありますが・・・(笑)。

これが
そのオジサンに乗せてもらったマセラティ・ボラ
乗せてくれただけでも凄いのに、
僕らが撮影するためにこんな事までしてくれたのだから、
本当に優しいオジサンだった事が窺い知れます。

この写真は、
一緒にボラに乗ったその友達が撮影したものです。
その子のカメラは本格的なヤツだったし、
元々カメラが好きな子で “腕” もあったし、
出来上がった写真が
僕がポケットカメラで撮った拙いものとは
比べ物のならないくらいカッコいい仕上がりだったので、
ネガを借りて焼き増しさせてもらった事を憶えています。


こうして、
写真を撮りまくったり、実際に乗せてもらったりして、
スーパーカーの魅力を心と体いっぱいに味わった事が、
ブームが去った後も、
スーパーカーなんて所有出来るわけがない現実を知った後も、
ずっとずっと、
僕を、“外車を所有する” という見栄に執着させています。
国産車と違ってすぐ故障するし
左ハンドルだったりすると
有料駐車場に出入りする時やマクドナルドでドライブスルーする時などは不便だし、
外車なんて、まったくいいところがないのですが、
たとえスーパーカーではなくとも、
世界の名車(笑)を所有している、という事が、
最初にも述べたように、僕の心を豊かにしてくれていました。
・・・自己満足ですけどね、簡単に言うと(笑)。

ちなみに、C2は、
購入した当初はまだ名古屋に5台しか走っていないという珍しさだったので、
駐車しておくと、
車マニアと思われるオッサンが、よく、車内を覗いていたり話しかけてきたりしました。
でも、
「乗せて下さい」という子供が部屋のチャイムを鳴らしてくれる事はありませんでした。
やはり、スーパーカーでないとね(笑)。



『ウルトラセブン』に登場した、
ウルトラ警備隊の専用車両、ポインター
敵の攻撃をバリヤーで防いだり、ミサイルを発射して攻撃したり、
そんな優れた性能もカッコよかったけど、
なんといっても、
この、未来を感じるお洒落なデザインと形状が
『ウルトラセブン』の世界観にピッタリで、とても好きでした。
クライスラーのインペリアル、
というアメリカの高級車を改造したもの、との事ですが、
スーパーカーブームよりもずっと以前に、
僕が生まれて初めて憧れた “スーパーカー” だったと言えます。

このソフビはマルサン製で、全長約17センチ。
ゼンマイ走行です。
ほかにも、
成形色がオレンジ色のものや、コロ走行のタイプが存在します。


ところで、
愛車を手放したその後ですが、
現金を手にすると
すぐにこういったソフビを買えるだけ買ってしまうため、
C2を売っぱらって手に入れたお金は、もう1円も残っていません。
結局、御飯は食べられず、
相変わらずの生活苦が、今も続いています(苦笑)。



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