真水稔生の『ソフビ大好き!』


第69回 「空飛ぶクジラ」  2009.10

怪獣というのは空想上の生き物であり、
もちろん、実在はしない。
でも、
子供の頃住んでいた家の近くに、
そんな実在しない生き物である怪獣を、楽しく実感させてくれるものがあった。

道徳公園(名古屋市南区)の、クジラの像。

デッカくてちょっと恐いけど、
のどかでお茶目な、なんとも憎めない表情をしたその像を、
僕はそのままクジラと思うのではなく、
怪獣の赤ちゃんのようなイメージで捉えていた。
図鑑でしか見た事のない動物よりも、
大好きな怪獣に見立てた方が、僕にはしっくりきたのだ。

頭の上によじ登ったり、
尻尾に跨ったり、
時には口から体内に入ってみたりして遊んでいたが、
そういう時はいつも、
『怪獣王子』でネッシーと行動を共にするタケルや、
『オール怪獣大進撃』でミニラと仲良しになった一郎少年のようなイメージを頭の中に描き、
夢見るような気分で戯れていた。

それは、
モノ言わぬ友・ソフビ怪獣人形と同じ感覚の、幼い僕の遊び相手であり、
言うなれば、“実物大の怪獣人形” であった。
僕は、そんなクジラの像が大好きだった。


先日、
ふとした事からそのクジラの像の事を思い出し、
とても懐かしくなって、久々に道徳公園を訪ねてみた。

 あのクジラの像、まだあるのかな?

なんて、ちょっと胸をときめかせながら園内を進んでいくと、
あった、あった。
ちゃんとまだあった。
雨降り小僧と違って、大人になってからでもはっきり見える(笑)。

それに、
傷んでいた箇所も綺麗に補修されていて、昔よりも美しくなっていた。
思い出は心の中で美化してしまうものだが、
現物の方も、思い出と同じように美化されていたのだ。
撤去されずそこにいてくれただけでも感動的なのに、喜びが倍だった。

 この公園の辺りは、
 江戸時代までは海だったそうで、
 それが干拓されて現在に至っている。
 そんな歴史を伝えるため、
 このクジラの像は作られ、
 そして守られてきたのだろう。素晴らしい。
 
 それにしても、
 大昔はここで
 本当にクジラが泳いでいたのかと思うと、
 なんだかとても不思議な気分になる。


そんな嬉しい久々の再会が、幼い頃の記憶を更に呼び覚ました。

幼稚園のお絵描きの時間に、
このクジラの像が空を飛んで、下にいる人間たちが驚いている、
という絵を描いたら、
いつも「真水くん、上手だねぇ」って僕の絵をほめてくれる先生が、
その時だけ何も言ってくれずガッカリした、なんて事があったのだが、
小学校に上がって、
テレビを見ていた時、
大好きだった『宇宙猿人ゴリ』に
空を飛ぶクジラの怪獣が出てきたので、

 あぁ、空を飛ぶという事は、
 その時点で、それはクジラではなく怪獣なんだ、
 大人や女性は怪獣なんて好きじゃない、
 幼稚園の先生は、大人だし、女性だし、
 僕の描いた絵の中で “空飛ぶクジラの絵”、つまり “怪獣の絵” だけをほめてくれなかったのも、
 仕方がない事なんだ、

と、子供心に妙に納得したのだ。

道徳公園のクジラの像のおかげで、
僕の中ではクジラという動物と怪獣のイメージは重なっていたが、
幼稚園の先生にしてみれば、
海の中を泳ぐ生き物が空を飛んでいる僕の絵は、デタラメで不真面目なものだったのだろう。

クジラが空を飛ぶ、
という良質なファンタジーを理解出来ない大人や女性を、幼い僕は軽蔑した(笑)。
そして、
自分が、大人でもなく女性でもなく、
怪獣の魅力がわかる子供であり男性である事を、
心から幸せに思えたのである。


そんな、
幼稚園の時のちょっと淋しかった思い出を
幸せの実感へと変えてくれた怪獣の名は、
サンダーゲイ。
空を飛び、体から電気を発して灯台や船を襲う、クジラの姿をした怪獣である。

このサンダーゲイが登場する『宇宙猿人ゴリ』の
第17話「空飛ぶ鯨サンダーゲイ」および第18話「怪獣島に潜入せよ!!」は、
スペクトルマンが、
戦いの最中にトラックを踏み潰しそうになって、
怒る運転手に向かって「すまん!」と謝ったり、
自分と同じ行動をとるサンダーゲイに対し、
戦うのをやめて海岸に寝転がる、という奇策をとったり、と
とても面白い回だった。

それに、
クジラが空を飛ぶ、という、
幼稚園の時に自分が空想で描いた絵と同じ状況が
テレビ画面に映し出された事がとても嬉しくて、非常に胸がときめいた記憶がある。

以来、
サンダーゲイは、僕にとって非常に思い入れのある怪獣になったし、
“空飛ぶクジラ” というフレーズは、
夢や空想の扉を開けるパスワードとして、僕の脳の中に存在している。


また、
その素敵なフレーズは
歌のタイトルになって、日常の中にも存在している。
しかも、2曲も。

まずは、『空飛ぶ鯨』。
“ちゃんちゃこ” っていうフォークデュオが歌って、昭和49年から翌年にかけてヒットした曲。
昔、クジラは森に棲んでいたけど、
平和に暮らせる場所を求めて海へと移住し、
更には、人間が汚すから海にも棲めなくなって、やがて空へ飛び立つ、
そして最後は撃ち落とされて死んでしまう、
って内容の歌詞。
メルヘンだけど、風刺の効いた哀しい歌。

最近では、
作詞・作曲者である、みなみらんぼうさんの手により、
同じタイトルで絵本にもなっている模様。
道徳公園のクジラの像は、
その撃ち落とされたクジラの亡骸にも思える。

そして、『空飛ぶくじら』。
これは、大瀧詠一さんが “はっぴぃえんど” 在籍時に発売したソロ・シングルで、
作詞は松本隆さん。
ちゃんちゃこの『空飛ぶ鯨』の2年前、昭和47年に発表されていた曲だが、
子供の頃は僕はこの曲の存在を知らなかった。
でも、
今ではよくCDで聴いているし、
ひとりの午後、空を何気なく見上げた時などは、思わず口ずさんでしまう。
ビートルズっぽくて、大好きな曲である。

どちらも名曲だし、
一般的には、サンダーゲイなんていうマイナーな怪獣よりも、
この2曲の歌の方が圧倒的に有名である。
・・・でも、
それでもやっぱり僕は、
“空飛ぶクジラ” と言えば、サンダーゲイが真っ先に頭に浮かんでしまう。
子供の頃の印象的な思い出は、
強く深く、心の中に生きているものなのだ。

それに、
『宇宙猿人ゴリ』にサンダーゲイが登場したのは昭和46年の春だから、
ちゃんちゃこや大瀧詠一さんよりも早くに、
『宇宙猿人ゴリ』が、クジラを空に飛ばしていた事になる。
先に空を飛んだクジラは、
誰あろう、サンダーゲイなのである。エッヘン。
だから僕は間違っていないのだ(誰も間違ってるなんて言ってないか)。

・・・それにしても、
僕が子供の頃は、よくクジラが空を飛んでいたンだなぁ(笑)。


サンダーゲイ
マスダヤ製、全長約23センチ。
劇中のサンダーゲイは、クジラそのものの姿をしているので、
それとはかなりイメージが異なる人形である。
でも、
いかにも下品でダサいこの顔は、
ちゃんちゃこの歌にも大瀧詠一さんの歌にも似合わない。
間違いなく、悪者・サンダーゲイなのだ(笑)。

以前、
第4回「身震いするほど夢を見る 〜増田屋スペクトルマンの魅力〜」の中でも述べた事だが、
スペクトルマン怪獣を
ブルマァクではなくてマスダヤがソフビ人形化したのは、運命的な生理の一致である。
ウルトラ怪獣と比べると、
スペクトルマン怪獣は安っぽくてえげつない。
そこが、マスダヤの鈍臭いセンスとピッタリ合うのだ。

美しさやカッコよさで子供の目を惹くブルマァクの表現には無い、
マスダヤ独特の野暮ったさが
その造形や彩色に垣間見られた時、
スペクトルマン怪獣の人形は俄かにその存在感を強調しだし、
アンティークソフビとして、実に魅力的な輝きを放つのである。

たとえば、このサンダーゲイならば、
品の無い顔の表情はもちろんの事、
無理矢理はえてる牙から
ウソくさい仕上がりのウロコまで、見事なまでの粗雑さ。圧巻ですらある。
だいたい、
こんな牙、実物のサンダーゲイには無いし、
ウロコなんて、
サンダーゲイどころか、クジラという動物にだって無いはずなのに・・・(笑)。
極めつけは、
口の中と体の表面を
同じ色で塗装している無神経さ。
いかにもマスダヤである。
しかも、
その塗装は
人形のお腹側にしか施されていないので、
下から見上げない限り、それに気づく事はない。
空飛ぶ鯨サンダーゲイの人形なのだから、
下の写真のように
空を飛ばせて遊んだ時に初めて、
そのマスダヤらしい彩色センスがわかる、
というところがミソ。
・・・深いなぁ(笑)。



というわけで、
感慨深く、しばらくの間、クジラの像を見つめていた僕だったが、
このクジラの像、色が子供の頃の記憶となんとなく違っている事に気づいた。
そこで、
公園内を散歩していたお爺さんに聞いてみたところ、
傷んだ箇所が補修されただけでなく、
汚れや落書きを消すため、塗装のし直しも何度か行われてきた、との事。
真っ白だった時期もあった、という。



なるほど、そうだったのか。
このクジラの像は、
時の流れとともに何度も色を変えてきたのだ。
そして偶然にも、
現在はサンダーゲイ人形と同じブルー。
いや、偶然ではなくて、
この歳になって僕が再会しに来る事を知ってて、神様がわざとこの色を選んだのかも(笑)。



また、
この道徳公園から車で南へ向かうところ約30分、
愛知県東海市にある聚楽園(しゅうらくえん)公園という所に
全長約19メートルもある大仏が建っている。

子供の頃、道徳公園のクジラの像で怪獣を実感したように、
この聚楽園公園の大仏には、大人になった今でも、怪獣を実感する事が出来る。
下の写真を見てもわかる通り、相当な迫力であり、
ジーッと見つめていると、ちょっと動いたような気がして、ドキッとしてしまう。

鎌倉の大仏を参考に作られたそうなのだが、
実は、
この大仏を作った人と
道徳公園のクジラの像を作った人は、同じ人物なのだ。
名古屋のコンクリート製彫刻・建造物職人・後藤鍬五郎氏によるもので、
どちらも昭和2年に作られた、との事。

冒頭で、
僕が子供の頃に道徳公園のクジラの像の体内に入って遊んでいた事を述べたが、
この大仏も、
昔は胎内に入る事が出来たらしい。
今は入れないようになっているが、裏側に入り口があり、
中には階段があるそうな。
こちらの中にも、入ってみたかったものである。



そういえば、
実相寺昭雄さんが『ウルトラマンタロウ』のために書いた、
「昇る朝日に跪く」という脚本があるが、
この大仏を見ていると、そのお話を思い出す。

鎌倉の大仏の胎内に潜み、
訪れる観光客を宇宙の果てに連れ去って奴隷として働かせよう、と企む宇宙人が登場するのだが、
この宇宙人は非常に手ごわく、タロウも大苦戦、
ところが、
タロウが宇宙人に叩きのめされそうになったその瞬間、
突然、大仏が立ち上がって、
その宇宙人をいとも簡単に抱え上げ、暁の海の中へ沈めて退治してしまう、
という、
意表をついた、それでいて説得力のある、実に魅力的なお話である。

実相寺さんらしい奇矯な作品でありつつ、
タロウの世界観にもしっかりとマッチしていて、凄く面白い。
金銭的な面で実現不可能なためボツになってしまったそうだが、
この一本がもし映像化され、
『ウルトラマンタロウ』の1エピソードとして放映されていたら、
Q、マン、セブンを愛し美化するあまりタロウを軽視してしまう僕らの世代の、
番組に対する印象も少しは変わっていた気がするので、
実に残念である。

でも、
この大仏のおかげで、
わざわざ鎌倉までいかなくても
その物語を思い出しながら実相寺さんの世界に浸れるので、僕は幸運だ。



道徳公園のクジラの像が空を飛び、
聚楽園公園の大仏が立ち上がって動き出す、
そんな事を空想して、
僕はいまだに夢見ている。

怪獣のオモチャをコレクションしている事もそうだが、
そういう自分の中の幼児性みたいなものを、
あえて「何が悪い?」と周囲に主張したい思いが、僕にはあるのだ。
怪獣が純粋に好きだった、幼い頃の自分の気持ちを愛し抜き、擁護したいのである。
その根底には、

大人になんかなりたくない、女になんかわかってたまるか、

といった、
意地というか、執意というか、そんな、ちょっと拗ねたような感情がある。
いつも僕の絵をほめてくれた幼稚園の先生が
“空飛ぶクジラの絵” だけをほめてくれなかった事に、いまだに拘泥しているのだろう。

・・・なんか、前回も、
学校の先生が読書感想文を読んでくれなかった事をいまだに恨んでる、っていう、
似たような話だったなぁ。

根に持つタイプなのだ(笑)。


                 前回へ       目次へ       次回へ