真水稔生の『ソフビ大好き!』


第35回 「ショッカー怪人に魅せられて」 2006.12


史上最高の悪役

怪獣ブームだった僕の子供の頃、
大人たちは、
かなり大雑把な感覚で “怪獣” という言葉を使っていた。
たとえば、
バルタン星人は、正確に言うと怪獣ではなく宇宙人だし、
ハックやキングジョーはロボットで、蜘蛛男やカメバズーカは怪人なのだが、
大人たちはそれらを全部ひっくるめて “怪獣” と呼んでいた。

もっと細かい事を言えば、

 『ウルトラマンA』に出てくるのは “超獣”、
 『サンダーマスク』に出てくるのは “魔獣”、
 『流星人間ゾーン』に出てくるのは “恐獣”、
 『超人バロム・1』に出てくるのは “魔人”、
 『仮面ライダーアマゾン』に出てくるのは “獣人”、
 『仮面ライダーストロンガー』に出てくるのは “奇っ械人”(なんだそりゃ)、

などといった具合に、
登場モンスターには作品によっても様々な分類があり、
それぞれ異なった呼び名がついている場合も多かったが、
それらは、
子供同士でなければ通用しないものであった。
現在でも、
その世代の人、もしくは特撮ファンの間でしか通用しないだろう。

昔も今も、
特撮ヒーロー番組に出てくるキャラクターは全て、“怪獣” と呼んだ方が、
話がややこしくならないし、通りが良いのである。

“怪獣” という言葉は、それくらい浸透している。

確かに僕も、
自分のコレクションを、便宜上、“ソフビ怪獣人形”と呼んでいる。
そこには、
宇宙人やロボットや妖怪などといった怪獣以外のモンスターはもちろん、
ウルトラマンや仮面ライダーなどのヒーローまでもが対象として含まれるが、
当時の大人たちに倣って
それらをすべて “怪獣” と言ってしまった方が、
話が早いし、ほぼ正確に意味も通じる。
“怪獣映画や特撮ヒーロー番組に出てきたキャラクターのソフビ人形” などと丁寧に言うより、
むしろわかりやすいのだ。

しかし、個人的には、
“怪人” だけは、
“怪獣” とは区別して呼びたい気持ちが強くある。

それは単に “巨大” か “等身大” か、という違いからではなく、
『仮面ライダー』の悪役・ショッカー怪人に対する、敬意と思い入れからである。


『仮面ライダー』は、
変身ヒーローのパイオニアでありながら、
当時の特撮ヒーロー番組の中でぶっちぎりの頂点を極めた、特別な作品である。

それは、
第2次怪獣ブームに “変身ブーム” という別名を与えてしまうくらいの人気で、
児童文化に革命をもたらした作品、と言っても過言ではないだろう。

そして、
そんな番組の勢いとともに、
悪役のショッカー怪人の人気や存在感も強烈なものであり、
子供たちは夢中になった。
もちろん僕も、めちゃくちゃ好きだったし、現在でも愛してやまない。

以前、第6回「仮面ライダーソフビ讃歌」の中でも述べたが、
“怪人” とは、
愛すべき異形なるものたちの、あらゆる魅力を兼ね備えたスーパーモンスターである。
 
 怪獣の持つ、力強い迫力とどこか哀しい雰囲気、
 宇宙人(等身大の星人)の持つ、スマートな存在感やスピーディーな躍動感、
 妖怪の持つ、身近に感じる恐怖や夢に出そうな不気味さ、
 ロボットの持つ、おしゃれでカッコいい未来感、

それら全てを、
“怪人” というモンスターは兼ね備えている。
そして、
その代表的存在が、『仮面ライダー』に出てきたショッカー怪人なのである。

当時、その等身大のスーパーモンスターは、
“悪の科学” という、怪しく不思議な香りを漂わせ、
巨大な怪獣に慣れていた僕らのハートを、リアリティのある魔力で強く激しく揺さぶった。

ライダーカードが社会問題になるほど流行ったのも
悪役であるショッカー怪人に特別な魅力があったからこそだし、
何より、
各サイズ合わせて約100種類のソフビ人形が発売された事実が、
ショッカー怪人の当時の人気の凄さを物語る。

仮面ライダーのカッコよさだけでは、変身ブームは起きていないのだ。
ショッカー怪人ひとりひとりが闇から放つ魅惑の光は、
間違いなく、『仮面ライダー』のもう一方の主役であった。

簡単に言ってしまっているが、
悪役がもう一方の主役になるなんて、容易な事ではない。
ただ恐いだけ、ただ強いだけでは “味” が無いし、
悪役である以上、コミカルに茶化されても困る。
存在感は当然必要だが、個性が強すぎても駄目なのである。
あくまでも、
正義や平和のために敗れ去らねばならない身の上なのだから。

主役を食うだけの雰囲気を持ちながらも、最終的には主役を引き立てる、
そんな絶妙なバランス感のある立ち居振る舞いが出来なければ、
もう一方の主役にはなりえない。

そういった意味で、
恐くてカッコよくてちょっぴりマヌケなショッカー怪人たちは、
見事なまでに気の利く悪役キャラクターであった、と言える。

視聴者の子供たちが
悪役に注目したり感情移入したりするなんて、
今日のヒーローものでは考えられない事態である。
現在、
仮面ライダーシリーズもウルトラシリーズも、
スーパー戦隊シリーズとともに最新作が放映中だが、
それらは
どこまで盛り上がっても “ヒーローブーム” であり、“怪獣ブーム” ではない。

現在は、魅力的な悪役キャラクターが生まれ難い時代なのである。

ショッカー怪人は、初期のウルトラ怪獣と共に、
日本の特撮キャラクターの質を、
開拓期でありながら高水準なものにいきなり押し上げた、強力で崇高な存在である。

しかも、ショッカー怪人の凄い所は、
登場回の物語にではなく、その怪人自体に感情移入させるパワーがある事だ。

これは、
当時の円谷作品と東映作品の性格の違いでもあるのだが、
ウルトラ怪獣が、
ストーリー重視と言うか、ドラマ志向と言うか、
エピソードと怪獣が一体となって子供心を惹きつけるモンスターであるのに対し、
ショッカー怪人は、
乱暴な言い方をすると、ストーリーはどうでもよくて、
姿形、鳴き声、ライダーとどんな戦いを繰り広げたか(どんなやられ方をしたか)など、
その怪人そのものの特徴のみがセールスポイントとなっている、純然たるモンスターなのである。

凄い発明をした博士を拉致してきて悪事に協力させる、とか、
能力を活かしてダムやガスタンクを破壊する、とか、
ショッカー怪人は
毎回毎回同じような事をしようとするだけなのに、
バラエティに富んだ短編SFドラマが生み出すウルトラ怪獣に匹敵する程の魅力があるのだ。

僕はそこにキャラクターとしての偉大さを最も感じるので、
ショッカー怪人こそ
ヒーロー番組に最適な “悪役” だ、と思うのである。

悪役が魅力的であればあるほど、
主役がそれを打ち倒した時のカタルシスは熱くなる。
次から次へと現れる強敵を、
仮面ライダーは体を張って迎え撃つ。命をかけて戦う。
回を重ねれば重ねるほど、ヒーロー・仮面ライダーはカッコよく見えた(思えた)。
気が利く悪役・ショッカー怪人のおかげなのだ。

また、御存知のように、
仮面ライダーは
外見上でも鮮やかに変化を遂げていく。
よりカッコいいアクションを魅せるためにスーツを動きやすい材質のものに変更したり、
映像的に見栄えの良いカラーリングを考えたりしたスタッフの試行錯誤の表れではあろうが、
テレビを見ている僕ら子供たちからすれば、
それはパワーアップ以外の何物でもなく、実に説得力のある姿だった。
劇中の、

 「俺はいつまでも同じ力ではない!」

という1号ライダーのセリフからもわかる通り、
仮面ライダーは
激しい戦いと特訓の中で進化し、パワーアップするのだ。

マスクや手袋の色が変わったり、体の側面にラインが入ったりする外見上の変化は、
そんな能力の進化によるものだと解釈が出来たが、
それは、
主役が常に変化や進化を遂げていかないとつり合いがとれぬほど、
ショッカー怪人という悪役キャラクターに魅力があったという事の証でもある。

先ほど、魅力的な敵キャラクターが生まれ難い時代、だと述べたが、
もっとはっきり言ってしまえば、
ショッカー怪人が全てを達成して答えを出してしまっていたのである。

パイオニアにして完全形態。
その後に生み出されるものは全てそのエピゴーネンでしかなく、超えようがないのではないだろうか。

だとすると、
つくづく良い時代に生まれ育ったものだと感謝せざるを得ない。
『仮面ライダー』をリアルタイムで見た、という経験は、
ショッカー怪人たちの洗礼をストレートに受け、
その魅力を正しく評価出来る “生き証人” になれる幸運を神様から与えられた、という事である。

世代が違う人は、僕らほどショッカー怪人に詳しくない。戦闘員の方が有名なくらいだ。
だけど、
ショッカー怪人と戦闘員は、言ってみれば刺身とツマのようなもの。
戦闘員は知ってるけど怪人は知らない、という事は、
トロや鯛やハマチを食べず、ツマばかり食べているようなもので、
とっても気の毒に感じてしまう。

あぁ、『仮面ライダー』の世代で本当によかったなぁ〜。


そんなわけで、
ショッカー怪人は特撮作品の歴史に燦然と光り輝くモンスターであり、
僕にとっても特別な存在であり、
他作品の悪役と一緒にして “怪獣” と呼ぶような、そんな大雑把な分類や呼称を許したくないのである。



“醜” と “美” の調和

また、
一般に子供(特に男の子)は
昆虫とか爬虫類とかに興味を抱くので、
“昆虫や動植物を人間と合成させた改造人間” というショッカー怪人は、
子供たちから支持されるべくして支持されたモンスターであった、とも言える。

たとえば、
ドクガンダーが
繭の形態を経て幼虫(毛虫の怪人)から成虫(蛾の怪人)へとその姿を変える事や、
コブラ男の片手が蛇になっている事、
あるいは、
シオマネキングの、
モチーフとなる生物がただ “カニ” というのではなく、
“シオマネキ” というカニの種類にまで突っ込んだ選出になっている事などは、
生き物好きの子供たちの感受性を大いに刺激し、
心をくすぐるものであった。

そして、
その昆虫や爬虫類などをモチーフにした、恐いけどカッコいい造形は、
マスクの奥から人間の目がのぞいている、という生々しい迫力も相俟って、
怪獣や宇宙人よりも身近な、リアリティのある恐怖として存在感を示した。

また、
そんな醜悪な外貌や凄みのある雰囲気とは対照的な、
いかにも頭の悪そうな声とインパクトのある鳴き声が
個性豊かな声優たちによって当てられ、
ショッカー怪人は、
過去に類を見ない異様なキャラクターとして、子供たちの心をとらえて放さぬ存在となったのだ。

先ほど “微妙なバランス感のある立ち居振る舞いが出来る悪役” と評したが、
彼らは、
グロテスクな気色悪さと洗練されたカッコよさを合わせ持ち、
血も凍る恐怖の生き物でありながら、
子供たちの自由な空想の世界で遊ぶ楽しい存在であった。

そんな
“気色悪さ” や “恐怖の生き物” といった、子供たちが逃げ出したくなる “醜” と、
“カッコよさ” や “楽しい存在” といった、子供が心惹かれる “美” の、
その絶妙な調和が、ショッカー怪人の魅力である。

 「我らの仮面ライダーを狙うショッカー本部が送った次なる使者は・・・」

という、緊張感あふれる中にも軽快なナレーションで始まる次週の予告が僕は大好きで、
次は何の怪人だろう、どんな姿をしているのだろう、と
胸をときめかせながらテレビの前に座っていたが、
あれも、
“緊張感” という “醜” と、“軽快さ” という “美” の、絶妙な調和によるものであり、
ショッカー怪人の魅力に
そのまま通じているものだったのだ。



10年以上前の話だけど、成田亨さんの個展に行った際、
その会場で、

 「ガマクジラが好きです」

と言った僕に、
成田さんは気さくに、

 「動物の変形だから醜くても愛嬌があるんです。
      人間の変形にしたら、見た目がおぞましいから・・・」

と話して下さった。
ウルトラマンやウルトラ怪獣をデザインしたような凄い方と会話をした事自体、
感動的で忘れられないのだが、
優しい声だけどはっきりとした口調がとても印象的で、この言葉は頭から離れない。

そう、同じ醜いモンスターでも、
どことなく愛嬌があるウルトラ怪獣に比べて、
ショッカー怪人は “人間の変形” であるがゆえに、おぞましいのである。

そのおぞましいショッカー怪人たちが、
今日のようなリアルな造形でなく、愛嬌のあるデフォルメを施されて当時人形化された事は、
マルサンやブルマァクの怪獣人形がデフォルメ造形だった事以上に、
意義のある事ではないだろうか。

おぞましい顔形が、
愛嬌ある表情や姿にデフォルメされた事により、
外形の恐さや気味悪さだけでなく、滑稽で哀しい内面性までもが造形に滲み出たのだ。
その度合いは、
マルサンやブルマァクのデフォルメ怪獣よりも更にわかりやすく大胆で、
異形なものに憧れる男の子の気持ちを強く惹きつけたに違いない。

当時バンダイが発売したショッカー怪人のスタンダードサイズ(全長約30センチ弱)の人形たちは、
そのデフォルメ造形によって、
“醜” と “美” の絶妙な調和、というショッカー怪人の魅力を明快に物語ると同時に、
オモチャとして永遠に愛される魔力を手に入れたのである。

狼男
ゾル大佐の正体、狼男。
人形は、まるで『赤頭巾ちゃん』の絵本にでも出てきそうな、
メルヘンチックな表情になっているが、
目の塗装に、なぜか突然、緑色が使われており、
この生命感を持たないカラーリングが、
血も涙も無いゾル大佐の、悪のダンディズムに通じている気がする。
だが、人形全体のカラーリングは、
ゾル大佐の正体よりも、実験用狼男のイメージに近い。
ゾル大佐の正体として使うか、実験用狼男として使うか、
それは、この人形を手にして遊ぶ子が決めれば良い事なのである。
        ★
それにしても、ゾル大佐の正体が狼男だった、という事実は
子供心にとても衝撃的だった。
この、“大幹部の正体が怪人である”という設定は、
メインライターであった伊上勝さんのアイデア、との事だが、
『仮面ライダー』を盛り上げる上で
大正解な展開だったと思う。
それ以降の大幹部(死神博士や地獄大使など)も
きっと正体は怪人に違いない、という事で、
僕ら視聴者は、
どんな怪人だろうか、いつ正体を現すのだろうか、と
今まで以上にその世界に引き込まれていったからである。

ザンブロンゾ
おにぎりの怪人ではありません(笑)。
吸血三葉虫、という恐ろしい怪人です。
人間の血を吸って
小さな生物から怪人の姿に巨大化するシーンも不気味だったし、
武器として投げつける甲羅を体から剥がし取る行為も
結構気色悪かった記憶があるが、
まるで『ちびまるこちゃん』のクラスメイトにでも
いそうなくらい愛嬌のある、可愛らしい人形になっている。
これくらいおもいきった表現をしないと
実物の恐さには対抗出来ない、と原型師は感じたのだろうか。
それにしても可愛い。

そんな中、
触覚の曲がり加減だけは妙にリアルで、
幼児に媚びるような姿のオモチャにされながらも
怪人魂は忘れていないゾ、という、
人形の、内に秘めた叫びを感じる。
大山のぶ代さんが歌った
テレビアニメ『のらくろ』の主題歌「しっぽはぐぐんと」の、
“むやみにしっぽは振るものか”
という歌詞を思い出す(笑)。

ピラザウルス
僕が子供の頃からいちばん好きな怪人。
ウルトラパンチという必殺技
 (ベタだけど、ライダーキックに対抗するには
               相応しいネーミングである)を持ち、
それがライダーキックと相打ちになるシーンに、とてもシビレた。
先に倒れたライダーを見て勝利を確信(早合点なんだけど)し、
「勝ったぁ! 」
と叫んで、
勘違いしたまま、ある意味幸せな最期を遂げた姿が、忘れられない。
なんとも哀しくて可笑しい死に様であった。

ちなみに、このピラザウルス、
怪人は死んだのに、
改造された人間は無事で、なんと元の姿に戻れてしまった。
どんなテクノロジーなのだろう? ・・・恐るべしショッカーの科学力(笑)。
な〜んて、
今でこそ馬鹿にしたように笑っているけど、
当時は、番組の怪奇性に震えていた部分もあったので、
この“お子ちゃま”な結末は、
幼い心をやさしく落ち着かせてくれる効果のある、僕にはありがたいものだった。
人形の成形色は、
そんな当時の安心感をも含んだ意味合いの優しいピンクで、恐さや醜さを巧く緩和させてくれている。

蜘蛛男
顔の真ん中に六角形の目が三つ、って
実に傑作なデザインだと思う。
初めて見た時のショックは今でも忘れられない。
震え上がるほど恐かった。

人形の方も、成形色のオレンジ色に一瞬温かみを覚えるも、
ジーッと見つめていると、その不気味な口から、
人間を溶かしてしまう毒矢が今にも飛んできそうで、
やっぱり恐い。
いや、実はもう、その毒矢は
すでに飛んできているのかもしれない。
この造形の、気高いまでのカッコよさに、
僕の心は溶けてしまっているので。

サラセニアン
血の通わぬ植物の改造人間、という事だからか、
一言も言葉を発しず不気味な声で鳴くだけで、
最初にテレビで見た時は
とっても恐くて苦手な怪人だった。
だけど、
ソフビの人形を見て好きになった。
不気味には変わりないが
顔の表情が実物よりは少し温和になっている事と、
この緑のグラデーションの美しさが
心に優しく舞い降りたのだと思う。
トラウマにもなりかねない実物の強烈な衝撃を、
繊細な造形と漸進的なカラーリングの濃淡度で
それとなく和らげて子供たちのもとへ届けるとは、
実にニクい人形である。
また、
これはコレクターになってから気づいた事だが、
このサラセニアン人形、
実物の顔の、アゴが割れてるところがちゃんと再現されている。
あくまでも、実物に似せる上でのデフォルメを心がけたと
思われる原型師の、気遣いと誠意が感じられる。

その特性や上半身の模様によって若干の加工はあるものの、
ショッカー怪人たちの下半身は、
基本的にタイツとブーツであった。
よって、
怪人人形の足は、
体毛がモールドされている蜘蛛男人形の足や、
“女” を意識した造形の蜂女人形の足(第2回「ああ、麗しのソフ美人」参照)などの
一部の怪人の足を除いて、
同じ型のものが、色違いで流用されている場合が多いが、
その流用された足にも、
スラリとしたモデルのような足と、
太腿の肉づきが表現されたたくましい足と2種類あったようだ。
それによって、
このサラセニアン人形のように、
同一怪人でも微妙に身長が違ってくるので、コレクションの妙味が増えて楽しい。



哀愁の表現

番組のエンターテイメント性が確立されていない初期の数名を除き、
ショッカー怪人の最期は、
ライダーキックをくらって爆死、というのが定番であったが、
中には例外もあった。

炎の中へ突き飛ばされて焼死したドクダリアンや
セスナ機に乗って逃げようとしたところをライダーに体当たりされ、
セスナ機ごと爆発してしまったガマギラーなどの、
拍子抜けするような死に様は、
迫力に欠ける若干の物足りなさと同時に、
戦いのリアリティを感じさせ、
その滲み出るような物哀しい雰囲気が怪人の姿に重なって、逆に印象深く胸に残っている。

当時のソフビ人形は、
そんな “弱々しさ” や “哀愁” も、
愛嬌優先のデフォルメ造形ではありながらしっかりと表現されている。

これは、
不気味なものを可愛らしくしようとする無理矢理な作業の中で、
作り手が無意識だけど必然的に導き出した表現であろう。
時代が生み出した魅力、とも言える。
時にそれは、
実物をも超えた魅惑のオーラを放ち、実物の魅力を120%引き出してしまう。
リアル志向ゆえ実物の外形のコピーでしかない現在のバンダイの怪人シリーズでは、
実現不可能な造形美である。

ドクダリアン
“美しい人食い花” なんて、
蜂女以上に女性らしい怪人だと思うので、
200歳の老婆、ではなく、
若くてセクシーな“魔性の女”という設定で、
食するのは男性限定、しかも、肉体ではなく心が標的、
この怪人に心を食べられた男性は、
たちまち気概を失い、骨抜き状態になってしまう・・・、
なんてお話だったら、
もっと良かったのにな(笑)。

そんな僕の勝手なイメージからくる欲求を
見事満たしてくれるのがこの人形。
顔こそ実物に倣って毒々しく派手なカラーリングだが、
両腕に、
淡くピンクのスプレーが吹かれている。
この儚い色加減が、
腕のしなやかな造形と見事にマッチしていて、
なんとも魅惑的で艶っぽい。
色香漂うその雰囲気は、
実物をも超えた魅力で僕を骨抜きにする。
                

ガマギラー
実物よりも黒目が大きく描かれており、
生々しい人間味が感じられて、逆に人形の方が不気味かも。
           ★
当初は “ガエロック” という名前だったのか、
そう記されたブロマイドを当時駄菓子屋さんで買った記憶がある。
そんな子供の頃は、
カエルを素手で捕まえるくらい平気だったけど、
今はちょっと無理。キモチ悪い。
だけどガマギラーは今でも好き(笑)。
人間を狂わせる神経ガスを、
“角の先” ではなく “角の根元” から出す、というあたりが、
なんともお洒落で、深みがあるキャラクターだと思う。

余談だが、
サラリーマン時代、
上司の課長がこの怪人にそっくりだった。
僕が「ガマギラー」と言うので、ガマギラーを知らない女性社員たちも、
その課長の事を「ガマギラー」と陰で呼んでいた(笑)。

モグラング
通常、クライマックスのバトルシーンには
オープニング主題歌『レッツゴー!!ライダーキック』の
インストゥルメンタルがバックで軽快に流れ、その雰囲気を盛り上げるが、
モグラングの時は、
なぜかエンディング主題歌『仮面ライダーのうた』の
インストゥルメンタルが使用され、
まったく活気の無いが戦いがどんよりと描かれていた。
しかも最後はライダーキックを浴びるわけでもなく、
生コンクリートの中へ沈められて絶命、という、地味にも程がある死に様。
そんな、地中にいる生き物の暗いイメージそのままに
華の無いバトルを繰り広げる怪人だが、
人形の方も、
その渋さを、控えめなデフォルメ造形と忠実なカラーリングで巧く表現し、
実物の魅力を的確に伝える事に成功している。
だが、商品化の都合上か、
モグラングの特徴のひとつである、あの大きな左手が再現されず、
普通の大きさの手になってしまっているので、
“地味”という印象はむしろ実物以上、という、なんとも物哀しい人形である。
当時、
数ある怪人人形の中からこれを選んで買ってもらった子は、
派手な造形や明るい色などには安易に踊らされない、なかなかの怪人人形通であったと推察する。


アルマジロング
“体は鋼鉄のように固いが、お腹だけは柔らかく、そこが弱点”
という設定が、
実に単純明快で良かった。
あれだけの科学力を持ちながら世界を征服出来ないショッカーの、
詰めが甘いと言うか、どうにもマヌケと言うか、
そんな組織の性質を物語る、
“ミスターショッカー” とも呼べる怪人ではないだろうか。
人形の方も、
その“どこかひとつ抜けてる”感が、鮮やかに表現されている。
実物の特徴である “寄り目” が忠実に再現されているのだが、
胴体に比べて
頭部がかなり大きく作られてしまっているため、
実物以上にその “寄り目” が強調されてしまっているのだ。
思わずプッと吹き出してしまいそうになる、愛しい造形だ。
また、カラーリングも落ち着いた美しさで、飽きの来ない人形である。
          ★
体育の授業でマットを使う時があると、クラスの中に何人かは、
アルマジロングを真似て、
 「弾丸スクリューボール!」
と叫んで、でんぐり返しする男子がいた。僕もその一人(笑)。

ヒトデンジャー
頭部と胴体が一体となった着ぐるみの形状をあっさりと放棄し、
更に細長い頭部を短くしてしまったため、
実物とはかなりイメージのかけ離れた人形になってしまっているが、
顔の表情だけは、見事なまでに実物の特徴を捉えており、
なんとも不思議な雰囲気を発している。
この
ちぐはぐな感覚は、
水に濡れると体が軟化してしまう、という弱点を持っているのに
ライダーと水辺で戦い、
しかも、
滝の上から足を滑らせて落ちてしまい死亡、という、
実物の、怪人史にその名を残す情けなさと相通ずるものがあり、
妙に納得出来てしまう。

プラノドン
ショッカー怪人たちのソフビ人形の顔は、
無表情か、不気味に笑っているか、
そのどちらかだが、
この人形だけは、嘆きの表情になっている。
目や口の形からそう見えてしまうのだが、
ジーッと見つめていると、
改造された哀しみを訴えているような気がしてきて、切なくなる。
怪人もまた、ライダーと同じくショッカーの被害者である事を、
改めて痛感させてくれる、奥深い人形だ。


必殺技はライダーキック。
火を吐くわけでもなければ、光線を発射するわけでもない、
敵へのとどめは己が肉体をもって成す仮面ライダーは、
人形バトルにおいても、
頂点を極めるヒーローであろう。

種類が多く、色や造形が奥深いショッカー怪人の人形たちは、その相手に最も相応しい存在だ。
ジャンプ、キック、パンチ、チョップ・・・、
そんな仮面ライダーとショッカー怪人の戦いを
楽しく、激しく、そしてリアリティをもって表現出来たオモチャ、それがソフビ人形。
立たせておいたショッカー怪人の人形に、
「ライダーキィーック!」
と叫んでライダー人形を投げてぶつける瞬間こそ、
ビデオもDVDも無い時代の、テレビ番組の再生であった。

僕ら子供たちが夢見る時間を過ごすのに
ソフビ人形が果たした役割は計り知れなく大きい。
これからも感謝の気持ちをもって、“ソフビ怪人人形” のコレクションを続けていきたいと思う。


昭和47年、犬山ラインパークで開催された
“怪獣ジャンボ大決戦” というイベントに行った際の写真。
向かって左側が僕。

当時の大人たちの、“怪獣” の定義がよくわかる、
証拠写真である。

その会場内の売店で、
ゲバコンドルの人形を買ってもらった嬉しい記念写真。

「怪獣大好きな子が、怪獣のお祭りに来て、
     怪獣の人形を買ってもらえて幸せだね」

と、その時一緒にいた叔母に言われて頷いたが、

「ゲバコンドルは怪獣じゃなくて怪人だ」

と心の中でつぶやいた。
         ★
よく見ると、
服に仮面ライダーの絵がついている。
頭の中が仮面ライダーでいっぱいの頃だ。・・・今もだけど(笑)。



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