真水稔生の『ソフビ大好き!』


第34回 「幸せの青い鳥(ギャオス)」  2006.11

幼稚園の時、僕は脱腸を患った。
睾丸の片方だけが肥大してしまうのだ。
普通の男の子の睾丸の大きさを “うずらの卵2個” と例えると、
僕の睾丸は “うずらの卵1個と鶏の卵1個” みたいな感じだった。

最終的には入院して手術をする事になったが、
最初のうちは通院で治そうとしていた。
矢合観音(愛知県稲沢市にある、様々な病気や怪我にご利益があると言われる観音様)にも通って
母親と二人でお祈りした。
朝から矢合観音でお参りをし、午後は病院で注射を打ってもらう、というのがいつものパターンだった。

病院に行き注射を打ってもらうと、
僕の睾丸は正常な大きさになった。
でも幾日か経つと、
また元の “うずらの卵1個と鶏の卵1個” という状態に戻ってしまう。
で、また矢合観音へお参りに行き、帰りに病院へ行って注射を打ってもらう。
この繰り返しだった。

矢合観音へ行く事は楽しかった。
参拝自体も苦痛ではなかった(って言うか、神秘で厳かな雰囲気が生理的に好きだった)し、
何しろ子供だったので、参道に並んだ露店に胸がはずんだ。
狭い路地のような参道で、
みたらし団子や綿菓子、お面や風船、亀やヤドカリなどが売られていたのだ。

そこでいつも母親にねだって買ってもらったのが、
ウルトラセブンのハッカパイプ人形。
ハッカの匂いがする甘くて白い粉がウルトラセブンのミニ人形の中に入っていて、
ペンダントになってるのでそれを首から提げ、
歩きながら
おもむろにその粉を頭部の穴から吸うのである。
何が嬉しくて、何が美味しかったのかよく憶えていないけど、とにかく好きだった。
そして、
全部吸い切ったら、帰宅後水洗いし、僕のオモチャの仲間入り。
矢合観音に行く度に買ってもらっていたので、
そのセブンのハッカパイプ人形はオモチャ箱の中にいくつかあった。

だが、今はひとつも無い。
ああ、なんで捨ててしまったのだろう。
小さいものなのだから、
ひとつくらい残しておいても邪魔にならないのに。
プレミアなんかつかなくたって、大切な大切な僕の宝物になっただろうになぁ。

(・・・話が横道に逸れたので、元に戻します。)

そんなわけで、
矢合観音に行く事は嬉しかったのだけれど、
その後で病院へ行かねばならない事が、僕の気持ちを重く重く、暗く暗くした。
注射がイヤでイヤで仕方なかったのだ。
どんなに我慢しようとしても、
睾丸の部分に打たれる注射針の恐怖には大泣きしてしまう。
明日病院へ行くと知らされた日の憂鬱さは、言葉に出来ない。

母親はなんとか我が子を元気づけようと、

 「矢合の観音さんでセブンのハッカ、また買ってあげるからね」

とか、

 「明日、何かオモチャ買ってあげようか?」

とか、
時には、

 「明日泣かなかったら、
     帰りにゴジラの映画(当時、劇場公開中だった『キングコング対ゴジラ』)に連れて行ってあげる」

などと言って励ましてくれた。

でも駄目だった。
オモチャを買ってもらえる約束や、
大好きな怪獣映画を見る権利と引き換えにされても、
僕は泣いてしまった。
それほど、あの注射は恐かった。


思えば、母親はよくこの手を使っていた。
歯医者で虫歯治療する日も、
歯医者へ行く道の途中にある駄菓子屋で売っていた死神博士のミニ人形を

  「今日、泣かなかったら帰りに買ってあげる」

と言って、僕を元気づけようとした。

死神博士の人形獲得のため、治療台の椅子の端をギュッと握り締め、
必死で頑張ったけれども、やはり、僕は泣いてしまった。
歯を削られる恐怖や痛みは、
死神博士人形の魅力を遥かに上回っていたのだ。

そうやって結局はいつも泣いてしまう僕だったが、
母親は『キングコング対ゴジラ』にも連れて行ってくれたし、死神博士のミニ人形も買ってくれた。
甘いとか優しいとかでなく、
脱腸や虫歯で苦しむ幼い我が子が可哀想でならなかったのだろう。
だいたい、いくら安いものだったとはいえ、
セブンのハッカパイプ人形を矢合観音へ行く度に買ってくれたのだから、
あの時の母親の気持ちは簡単に想像出来る。
自分が親になった今、なおさらよくわかる。

結婚したばかりの頃、妻にこの話をしたら、

  「物を買ってあげる事を条件に、子供に何かさせるような躾はしたくない」

などと格好いい事を言っていたが、
実際に子供が生まれて、病気や怪我で病院へ行く事になった時は、僕の母親と同じ事をしていた。
怪獣映画がポケモン映画に、
ウルトラセブンや死神博士のミニ人形がゲームソフトに、
それぞれ変わっただけだ。
・・・って言うか、
オモチャは僕の時より豪華になっているではないか(笑)。
まぁ、親の気持ちなんて、そんなものだろう。

(・・・またまた話が横道に逸れたので、元に戻します。)

結局、
注射に大泣きする我が子を何度も見るのが辛かったのか、母親は手術で治す事を決意した。

幼稚園を何日か休み、僕の入院生活が始まったのだが、
それはたいして辛いものではなかった。
脱腸での入院・手術など、
ほかの病気で入院治療している人たちに比べれば軽いものだったと思うし、
手術なんて麻酔で眠っている間に終わってしまうし、
もう恐い注射は打たれなくていいし、
気楽なものだった。
むしろ、旅行に来てどこかのホテルにでも泊まってるようで、ワクワクする気分だった。

また、親戚や近所の人がお見舞いに来てくれる事も嬉しかった。
僕の事を心配してくれたり励ましたりしてくれる人がいるという事は、とても幸せな事だと思った。
当時働いていた祖母も、
仕事の帰りに毎日病室に来てくれた。
祖母にとても愛されている事を、あの時僕は初めて実感した。

入院生活は、
ただ物珍しくてワクワクしただけでなく、
人の心の温かさや優しさを知る、僕にとってとても有意義な経験となったのである。

そして、その思い出は、
僕の心の中で
今でも消えずにいるのはもちろんの事、
怪獣の形をして、モニュメントのようにコレクションの棚に飾られている。
それは、
当時近所に住んでた1歳年上のモリサダくんという友達がお見舞いにくれた、
マルサンのギャオス人形である。

(随分前置きが長くなりましたが、ここからが本題です。)

モリサダくんはお金持ちの家の子で、ものすごく大きな家に住んでいた。
屋上がある二階建てで、
広いガレージには車が3台。
三畳と四畳半の二間しかない長屋に住んでいた僕からすると、
まるでどこかの国の王様が住むお城のようだった。
部屋もたくさんあったし、
ピアノ、カラーテレビ、ステレオ、クーラー、ソファー、ベッド、シャンデリアなど、
僕の家には無いものが、当たり前のようにそこにはあった。
廊下というものがあり、
そこをスリッパを履いて歩く、という事もモリサダくんの家で覚えた。
じゅうたんも、
僕の家のとは全然違うフカフカのものだった。
お手伝いさん、と呼ばれるおばさんもいた。“家政婦” という存在を僕は初めて知った。
トイレも1階と2階にそれぞれあった。
もちろん洋式で、
備えてあるのはちり紙ではなくトイレットペーパーだ。
トイレなのにいい匂いがした。
キッチンだけでも僕の家の広さを超えていた。
扉が二つもある大きな冷蔵庫には、アイスクリームやプリンが常時入っていた。
なんだかピカピカ光ってる大きなテーブルの上には、
上品そうな和菓子や外国のチョコレートなどが、いつも置いてあった。
食後にお菓子やフルーツが出てくる事、そしてそれが “デザート” という名称である事を
僕はモリサダくんの家で初めて知った。
モンブランというケーキやマスカットという葡萄も
モリサダくんの家で初めて食べた。
大きな木がいっぱいあってまるで林のような庭には、池や鹿威しがあった。
犬が2匹いた。
猫もいた。
熱帯魚やワニも飼ってた。
・・・思い出した。確か、庭の隅に滑り台もあったぞ。
とにかく凄い家だった。

当然、モリサダくんはオモチャもいっぱい持っていた。
ソフビ怪獣人形などは、
何十体とあって、オモチャ屋さんよりも充実していた。
ナメゴン人形やガラモン人形は
“劇中に2匹登場するから” という理由で2体ずつあったし、
バルタン星人人形なんかは、
ミニ、スタンダード、ジャイアント、と全サイズ揃ってて、
ミクロ化したり巨大化したり・・・、という実に贅沢な遊びが出来た。
しかも、
スタンダードサイズのバルタン星人人形は
“分身の術を使う” という理由で、これまた2体あった。
一緒にソフビ怪獣人形で遊んでいた或る時、
モリサダくんがそのスタンダードサイズのバルタン星人人形を両手に持ち、

「バルタン星人は円盤の中に何十億匹もいるんだよ」

と話してくれた事がある。
何十億体も買ってもらうつもりだろうか、と真剣にビビったものだ。

で、マルサンのギャオス人形も2体持ってて、

「ひとつは普通のギャオスで、もうひとつは宇宙ギャオスだ」

などと言っていた。
・・・なんと裕福で贅沢な話だろう。

でも、
モリサダくんには全然イヤミなところや気取ったところがなく、
やさしいお兄ちゃん、って感じで僕は大好きだった。憧れてもいた。
病室に来てくれた時は本当に嬉しかったし、
「ハイ、これ、お見舞い」と言って手渡された紙袋の中に、
ケーキのような高級な菓子パンと一緒に
マルサンのギャオス人形が入っているのを見て、僕は歓喜した。
2体あったうちの1体を、僕にくれたのである。

「宇宙ギャオスはすぐにやられる弱い怪獣だで、もう要らんから」

モリサダくんは照れくさそうにそう言った。
モリサダくんが勝手に宇宙ギャオスだと言っていた方のギャオス人形が、僕に下りてきたのである。

僕の親やモリサダくんの親は、
たくさんある怪獣人形のうち、ひとつくらい人にあげてもモリサダくんは痛くも痒くもないだろう、
みたいに考えているようだったが、
モリサダくんが怪獣人形1体1体をものすごく大切にしている事を僕は知っていたので、
本当に嬉しかったし、感激だった。
「もう要らんから」なんて、
僕に気を遣わせまいとしたモリサダくんの精一杯の心配りである。

僕はモリサダくんの気持ちにとても感謝し、
退院してからもそのギャオス人形を大切に大切に扱った。
遊ぶ際も、
ほかの怪獣人形との激しいバトルは極力避け、しっかりと手に持って飛行させるのみか、
もしくは、
畳の上にそっと置いて、這いつくばって眺めるだけ、にしていた。
特別なオモチャだった。


月日は流れて僕は大人になった。
だけど、精神的には子供のままだったのか、
ソフビ怪獣人形のコレクションなどというものを始めてしまった。
コレクターになりたての頃は、
子供の頃に持ってたものを今再びこの手に、とか、
子供の頃に買ってもらえなかったものを今こそこの手に、とか、
そんな思いが濃厚で強烈で、
少しでもコレクションを充実させようと必死だった。
服とかCDとか欲しいものを買うのを極力我慢したり食費を削ったりしてお金を貯め、
アンティークTOYショップで高価な品も買ったし、
昔からやってるオモチャ屋さんや問屋さんを訪ねまわって、
倉庫の中で埃まみれになりながら売れ残りの品を探しもした。
とにかく夢中だった。

そんな頃、結婚が決まって、
僕の部屋を夫婦の寝室に変えなければならなくなり、
部屋にある机やベッドを処分し、荷物を全部出して大掃除、という事になった。 
押入れの奥からダンボール箱を引っ張り出し、古いレコードや雑誌などを整理していたら、
なんと、マルサンのギャオス人形が出てきた。
幼い頃モリサダくんからもらった、あのお見舞いの宇宙ギャオスだ。
ソフビ怪獣人形をはじめとする僕のオモチャは、
全て誰かにあげたか捨ててしまったと思っていたので、とても驚いた。
たまたま偶然残っていたのか、
あるいは、
特別に大切にしてたからそれだけ別にしまっておいたのか、
そのマルサンのギャオス人形だけが我が家に残っていたのである。

給料の大半をつぎ込んだり遠方へ出かけたりしながら
必死でソフビ怪獣人形を探す毎日だったが、
最初から自分の部屋にソフビ怪獣人形はあったのだ。
メーテルリンクの『青い鳥』みたいだな、と思った(笑)。

そんな予期せぬ感動的な再会が、
忘れかけていた思い出を鮮明に甦らせ、
僕のソフビ怪獣人形への愛情を、更に強く激しくした。

ソフビ怪獣人形を集める事、
ソフビ怪獣人形を手元に置く事は、
日々の生活に押し流されて忘れてしまいそうになる小さな事柄を、
心の中にしっかりと留めておける素晴らしい行為である事に気づいたからである。

親がいて自分がいる、いろんな人に支えられて今日がある、
当たり前の事だから、人は大人になればなるほどその大切さに気づかなくなる。
僕はそれを防ぐ術を知ったのだ。
僕にとって、
ソフビ怪獣人形のコレクションこそ、
自分自身を見失わないでいられる最高の手段である事を悟ったのである。


        オモチャとしての温かみを重視したデフォルメ造形でありながらも、
シャープな顔の表情がギャオスの特徴をしっかりと捉えていて、
怪獣としての魅力は損なわれていない。芸術的バランス感。
いつも言うけど、
これがマルサンというメーカーの絶妙な技である。
            
       また、
 水色の成形色と緑の塗装色が見事なまでにマッチしていて、上品でお洒落な雰囲気を醸し出している。
 “お金持ちの友達からもらった” という特別な高級感や
 “宇宙怪獣(本当は違うけど)” という未来的なイメージが
 僕の胸の中で強く美しく輝くのは、
 この魅惑的なカラーリングの効果であろう。素晴らしい。
 神様があらかじめ、
 僕の人生における体験や思いに合わせて、
 マルサンに特別に誂えさせたような気さえしてしまう。
 ちなみに、
 モリサダくんからもらったこのマルサンギャオスは、
 懐かしいオモチャの展示会やガメラのLDボックスの特典映像に縁あって使われる事となり、
 僕に楽しい経験や素敵な出逢いを用意してくれる、
 まさに幸せを運ぶ“青い鳥”となったのでした。

            


このギャオス人形を見る度、
モリサダくんの事はもちろん、
お見舞いに来てくれた人たちみんなの優しい顔や温かい言葉、
毎日病室に来てくれた祖母の愛、
そして、いつもそばにいて僕を励まし続けてくれた母親の思いなど、
入院生活を通して幼い心に吸収した様々な事を思い出し、僕は自分を見つめ直す。
自分の人生そのものを、ありがたいと思う。
辛い事や淋しい事、思い通りにいかない事は山ほどあるが、僕は今、幸せである。
なんたって、
幸せの青い鳥が自分の部屋にいるのだから。




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