第28回 「強いぞガメラ」 2006.5
亀という生き物は神秘的だった。
小学校1年の時、縁日でゼニガメを買ってもらい、
学習机の上に水槽を置いて飼っていたが、
人間に懐くわけでもなく、かといって人間を嫌ってるようでもなく、
鳴くわけでも暴れるわけでもなく、
ただ静かにゆっくりと時間を過ごす亀のその様子は、
まるで、世の中を達観し、人の心などとうに見抜いているかのように、幼い僕には見えた。
不思議な生き物だなぁ、って思ってた。
或る日の事、
突然、母親が
「亀を逃がしてあげよう」
と言い出した。
なんでも、祖母が「亀は飼ってはいけない」と言っている、との事。
かねがね亀は神秘的で不思議な生き物だと思っていた僕は、
理由も無しに飼ってるペットを逃がせ、などいう、そんな無茶な話にもなんとなく説得力を感じたが、
やはり、せっかく買ってもらったものだし、可愛がってもいたので、
逃がすのは嫌だという気持ちの方が強く、
どうせ僕が水槽の中の亀を覗いてばかりで勉強しないから母親が勝手にそう言っているのだろう、
と強引に解釈して、それを断った。
しかし、
その数日後、従弟の家に遊びに行った時、
彼が飼っていたミドリガメがいないので、どうしたのかと尋ねると、
「近所の公園の池に逃がしてあげた」
と言うので驚いた。
彼は祖母の言葉に従ったのだ。
更に驚いたのは、
彼が口にした “逃がしてあげた時のミドリガメの様子について” である。
池の中に放すと、そのミドリガメは、
池の中心に向かって1〜2メートル泳いでいった後、Uターンして戻ってきて、
なんと、彼に向かって何度もお辞儀をした、
というのだ。
そんなおとぎ話みたいな事あるわけない、
と一瞬彼の話を疑ったが、
嘘を言っているようには見えなかったし、
叔父(つまり彼の父親)もそれを目撃していたというので、
間違いなく事実なのだろうと思った。
亀についてなんとなく抱いていた神秘的なイメージが
心の中ではっきりとしたものに変わっていくのを自覚した。
やはり亀という生き物はただの爬虫類ではないンだ、と
心を突き動かされた僕は、
翌週の日曜日、
飼っているゼニガメを逃がしに
熱田神宮の中にある池へ母親と出かけた。
なぜ、近所の公園の池でなく、熱田神宮の中にある池にしたかというと、
神秘的なイメージである亀を、
僕は “神の遣い” と自分の中で結論づけたので、
母親と話し合って、
神様のそばがいいだろうという事になったからであった。
“カメ” という名も、
“カミ(神)” が訛ってそう呼ばれるようになったのではないかと
想像してしまうくらい、亀を特別な動物と考えるようになっていた僕は、
水槽からゼニガメを移しかえた小箱を抱きしめ、
厳粛なる気持ちで
熱田神宮の大きな鳥居をくぐった。
樹齢千年を越えると言われる楠の森に薄く霧がかかっていて、
まさに神秘的な雰囲気だった。
素足に履いた運動靴の底から伝わってくる参道の砂利の感触も
何やら厳かで、
さらに心が引き締まった。
やがて池に到着し、
ドキドキしながら小箱からゼニガメを取り出してそっと池の中に放すと、
従弟の言ってた通りの光景が目の前で展開された。
従弟のミドリガメ同様、僕が放したゼニガメも、
池の中心に向かって1〜2メートル泳いでいった後Uターンして戻ってきて、
何度も何度もお辞儀をしたのだ。
「逃がしてくれてありがとう、って言っとるンだわ」
母親が僕に言った。
もちろん僕も納得した。そして感動した。
亀のあの仕草がいったい何だったのか、いまだにわからないが、
この目で見た紛れもない事実なので、僕は現在でも亀と神は何か関係がある気がしてならないのである。
イラスト:森タケヒト
そんな僕だから、
ゴジラと並んで日本が世界に誇る大怪獣ガメラが、“亀” の怪獣である、という事実にも、
なんだか神のお導きみたいなものを感じてしまう。
そもそもガメラは、
大映の永田社長が、
飛行機の中から空を飛ぶ亀を見た事から、
亀が空を飛ぶ映画が企画され、誕生した怪獣だと言われている。
実際に飛行機の隣を亀が飛んでいたかどうかは別として、
問題はそれが “亀” だったという事。
人々に夢を与える素晴らしい映画を作りなさい、と
神が永田社長に伝えたメッセージではなかったか、と僕は考えてしまう。
神の御告げ、である。
“神の遣い” である “亀” がそれを伝えたのだ。
・・・なんて言うと、
嘲笑う人もいるかもしれないけど、僕は真剣にそう思う。
人智では計れぬ不思議な力が働いたからこそ、
永田社長に空飛ぶ亀が見えたのである。
ガメラは生まれるべくして生まれた大怪獣であり、当たるべくして当たった映画シリーズなのだ。
それに、
ガメラシリーズのほかに大映がつくっていた特撮映画が、
妖怪シリーズや大魔神シリーズといった、“神” に関係したものだった事も、偶然とは思えないのである。
このように、
僕の中では神聖なる怪獣として生きているガメラだが、
子供の頃は、納得のいかない評価をされて腹を立てた悔しい思い出が多い。
映画館で父親に、
「ただのぬいぐるみだがや、こんなモン!」
「とろくさて、こんなモン見とれん!」
と馬鹿にされた(第7回「妖怪のように美しく」参照)のを筆頭に、
近所の上級生のお兄ちゃんたちからも
「幼稚っぽい」とか「ゴジラより弱い」とか言われて、よくケナされた。
まぁ、父親に馬鹿にされた件は、
当時の一般の大人の中には
怪獣映画を愛していたり正しく評価出来たりする人が
現在と違って皆無に等しい状態だったと思うので仕方が無いとして、
許せないのは
近所の上級生のお兄ちゃんたちの心貧しき発言である。
同じ子供として哀しすぎる。
確かに、
勢いだけでつけたような “ガメラは子供の味方” という安易な設定や
子供の言動によって展開していく荒唐無稽とも言える強引なストーリーは、
『ウルトラマン』におけるホシノ少年の存在や
『仮面ライダー』における少年仮面ライダー隊の活躍と同じで、
リアリティの欠如という理由から、僕もあまり好きではなかった。
でも、
それらは作り手である大人たちが
見る側の子供たちを喜ばせようと考えた言わばサービス精神の表れであり、
それだけで作品そのものを幼稚と判断するには、
あまりにも感受性が貧困すぎるのではないか、と思うのだ。
“なぜ子供たちが怪獣を好きなのか” を
大人たちが理解していないあの時代、
大人たちが作る怪獣映画やテレビのヒーロー番組に
少々の気の利かなさやズレた感覚があっても、
幼心にも許せる余裕があったはずだし、
何より子供なのだから、もっと素直にガメラを愛せたはずである。
生命力がみなぎるあの映像の迫力に圧倒されないのか、
幼稚だと思う前にもっとほかに感じる事はないのか、
空想する力や夢見る気持ちは君達にな無いのか、
と僕は問いたい。
ガメラにはガメラの良さがたくさんあるのだから、
ゴジラを愛する勢いあまってガメラを馬鹿にするような言動は、「違うンじゃないか?」って
当時からずっと思ってた。
そもそも、
戦った事も無いのに「ゴジラより弱い」などと言われる筋合いは無い。
乏しい感性がなせる主観的な見解である。
論外、除外、問題外な意見。却下。
ガメラだってゴジラと同じくらい強い。
強いぞガメラ。
ギャオスやジャイガーやギロンといった、あんな凄い怪獣たちを倒したガメラが、弱いわけがない。
回転ジェットで飛行する、なんて破天荒でめちゃくちゃカッコいいではないか。
馬鹿にする人の神経がわからん。
ガメラは偽りなく素晴らしい怪獣である。
だいたい、もしも本当に亀が “神の遣い” だったら、
亀の怪獣であるガメラを馬鹿になんかしたら、いつか罰があたる。
超自然への畏怖心を失った奢れる人間は、
ゴジラだって愛する資格がないのだ。
10年程前、
平成ガメラシリーズが絶賛された時、
比較された平成ゴジラシリーズがネット上などでボロクソに言われてた事があったけど、
あれは、
馬鹿にされ続けてきたガメラファンの積年の恨みが一気に爆発した事による珍事、と
僕は解釈している。
本来、ゴジラもガメラも両方大好き、ってのが怪獣ファンだと思うから。
平成ゴジラシリーズだって、僕は充分オモシロいと思う。
それに僕は、
ゴジラやガメラを
映画館で自分の子供にも見せてあげられる事を、とても嬉しく思う。
ゴジラやガメラの新作映画が平成でも作られ続けているなんて、怪獣世代にとって誇りではないか。
もっと素直に楽しむべきである。
昭和41年に発売された最も古いガメラのソフビ人形。
同時発売されたライバル怪獣のバルゴン人形共々、
ボリューム感溢れるカッコいいデフォルメが素敵。
独特な腕の形状も趣深い。メーカーは日東科学教材。
同じく日東科学教材から、第2次怪獣ブームの波に乗って
昭和46年に発売されたもの。
先述の5年前のものと比べると、
フォルムは似ているが全体的に小振りで、
迫力に欠ける感は否めない。
でも、筆塗りされている背面の塗装に、いくつか色の違いがあって楽しい。
オレンジ色、えび茶色、朱色を確認済。
こちらは本家マルサンのガメラ人形。
品のある色合いといい、
首の長さや両腕の付け根の位置の絶妙さといい、
全体から滲み出る哀愁といい、
ミドルサイズではありながら、
昭和の傑作ソフビのひとつ、と言っても過言ではないだろう。
マルサンが、
安易に可愛らしいデフォルメをするのではなく、
実物の怪獣の魅力をいかに表現するか、
という事にこだわって造形するメーカーであった事が
よくわかる一品である。
逆に、
同時発売のギャオス人形とバイラス人形は
表情豊かなデフォルメを効かせた造形になっているが、
これは、
悪役である醜悪性や恐怖を緩和して人形が与える印象を優しくし、
ガメラ人形と同じように多くの子供たちから親しまれるよう、
意図的に表現方法が変えられたと思われ、
こうして並べると、絶妙にバランスがとれていて、シリーズのまとまりを感じる。
マルサンというメーカーの配慮の繊細さと技術の高さが
ひしひしと伝わってくる、感動的なスリーショットだ。
そういえば、
僕の飼ってたゼニガメの名前は “ジェット” といいました。
もちろん、ガメラの “回転ジェット” から取ったものです。
熱田神宮の池で、
どれくらいの大きさに育ったかな?
まだ元気で生きてるかな?
イラスト:森タケヒト