第12回「あばんぎゃるど」 2005.1
マルサンという玩具メーカーの魅力をしみじみ味わいたい時、
手にするのに最も適しているソフビ怪獣人形は、ナメゴンでも尻尾の動くガラモンでもない。
それは『キャプテンウルトラ』のバンデラーだ。
マルサンのマルサンたる所以を
これほど強烈に物語っている造形の人形はない。
いちばん好きな人形は?
というと、
好みは人それぞれだが、
いちばんマルサンっぽい人形は?
という事なら、
この僕の選出は
多くのソフビ愛好家から賛同を得るのではないだろうか。
ひとくちに “マルサン” と言っても、
全ての人形の原型を同じ人が作っていたわけではないだろうから、
造形のセンスは怪獣によって異なる事もある。
でも、
オンリーワンにしてナンバーワンをめざす社風、
チャレンジ精神を掲げて天下を取りに行く意気込みは、
どの人形の造形にも共通して表われているように思われる。
バンデラーはそれが顕著だ。
オモチャは可愛らしいものである事が常識だった時代だから、
ソフビ怪獣人形は皆、丸っこい造形にデフォルメされて、
いたずらっ子が舌を出して笑っているような表情をしている。
だが、
マルサンは
ただ愛敬があるだけの人形は作らなかった。
他社と同じものを作っていては
オンリーワンにもナンバーワンにもなれない、と考えたからだ。
戦後に生まれたメーカーが
伝統勢力を打ち倒して業界の頂点に立つ、
そんな野望が生み出す鋭い眼力が、
“怪獣が強くて恐い生き物である” という事実を見過ごさなかった。
そこが凄い。
幼い子が見ても泣き出さないような優しい造形にしながら、怪獣の強さや恐さも表現しようとした。
マルサンはどうしたか。
怪獣が生き物である事を、その荒く激しい息づかいを、形にしてみせたのだ。
破綻を恐れないで、
可愛らしいデフォルメを歪ませよじらせた結果、
温かい血が通い、かつ、豪快な呼吸が聞こえるような怪獣人形が出来あがった。
怪獣というものの本質を、
玩具の面目が解き明かしたのである。
僕の勝手な解釈だと嘲笑する方がいたら、
ぜひ、バンデラー人形を手に取り、そのダイナミックな捻じれやひねりを見つめてほしい。
文明を破壊し暴れまわる怪獣の息吹きが聞こえてくるはずだから。
・・・ん?バンデラーはロボットだったかな?(笑)
子供の頃は
ただ怪獣が好きなだけ、
集め始めた頃は
ただ懐かしさだけ、
ソフビ怪獣人形に対する思いは、ただそれだけだった。
でも、
コレクションがひとつふたつ増えていくうち、
ソフビ怪獣人形の向こう側、つまり、ソフビ怪獣人形を世に送り出したメーカーに、
僕は興味を持つようになった。
若き日の大瀧詠一さんや細野晴臣さんは、
ビートルズのようなアイドルスターにではなく、
ジョージ・マーティンさんやシャドー・モートンさんといったプロデューサーに憧れた、
つまり、光を浴びている者の “背後” に惹かれたそうだが、
僕の思いもそれに似て、
ソフビ怪獣人形の “背後” に、神秘的な魅力を感じるようになったのだ。
ソフビ怪獣人形というアイドルスターを世に送り出したプロデューサーであるマルサンは
いったいどんなメーカーなのか。
それを知ろうと思った。
蒐集活動の中で知り合った、
玩具業界の方や玩具研究家の方からいろいろ御教授いただいた。
いろんな書籍や資料に目を通した。
トイミーティング等にも積極的に参加して、
いろんなジャンルの先輩コレクターの方々のお話も伺った。
オモチャの歴史やエピソードなど何も知らなかった僕にとって、
それらはとても楽しい経験だった。
マルサンの魅惑の正体に少しずつ近づいていくようで、胸がときめいた。
プラモデルを日本で最初に発売したのがマルサンである事は知っていたけど、
そのプラモデルを売るため、
子供たちの通学路にある文房具屋さんを新しい販売ルートとして開拓したのもマルサンである、
という事は知らなかった。
寝かすと目を閉じ起こすと目を開ける人形のギミックがマルサンの特許だという事も知らなかった。
驚嘆の連続だった。
マルサンは、
営業形態や流通において、
当時の玩具業界の革命児的存在であり、
発想力の豊かさで他社から恐れられていたメーカーだったのだ。
今でこそマルサンのソフビ怪獣人形の素晴らしさは語り尽くされている感があるが、
僕がコレクションを始めた頃は、
専門店でプレミアム価格がついてはいるものの、
ただ懐かしさや残存数による希少性で評価されてるだけで、
マルサンのソフビ怪獣人形は “過去の技術の低い玩具” という位置付けが一般論だった。
大声で異論を唱える自信は無かったけど、
マルサンのソフビ怪獣人形の造形に魔力のようなものを感じていた僕は、なんとなく気に障っていた。
マルサンのソフビ怪獣人形がそんな安易な玩具だとは
どうしても思う気になれなかったのである。
でも、
当時の玩具業界の事やマルサンがどんなメーカーだったかという事などが徐々に解ってきて、
更に、或るテレビ番組への出演がきっかけで
マルサンのソフビ怪獣人形のルーツを知る事にもなった(第3回「怪獣人形をつくった町」参照)ので、
マルサンが崇拝すべきメーカーであり、
ソフビ怪獣人形が一生を捧げて付き合うに値する、とても素敵なオモチャである事を確信するに至った。
マルサンは、
怪獣という生き物をゲテモノ扱いしたりせず、
慎重に作り手となる職人を選び、
夢見る力で新しいオモチャを創造したのだ。
あの造形は、
マルサンのそんな精神性の表われである。
カネゴンの顔が笑っているように見えるのは何故だろう。
ドドンゴが左の前足の踵を浮かせているのは何故だろう。
ウインダムが右手の親指を中に折っているのは何故だろう。
エレキングの尻尾が踊っているように見えるのは何故だろう。
マルサンのソフビ怪獣人形は、
技術が低いどころか、美術品の域にも達する高逸なものだ。
もちろん、
現在のバンダイのリアルな造形の人形の方がずっとずっとカッコいい。
だけど、
ウルトラ怪獣シリーズを見れば一目瞭然で、
月日が経てば、よりリアルな、より細部に凝ったものにリニューアルされて、
初期のものはただ廃れていくだけである。
バンダイのウルトラ怪獣シリーズが、マルサンのソフビ怪獣人形のように、
商品のスピリットを問題にされたり、時が移り変わってもなお輝きを増したりする事はないと思う。
せいぜい、
金型が紛失した人形に高価な値がつくか、
もしくは、
限定発売した変な色の人形を誰かが話題にするくらいの事だろう。
時代も立場も異なるメーカーの商品を比較するなんてナンセンスなのだが、
やはりマルサンは
ただものではないと思う。
ソフビ怪獣人形の発展におけるその貢献度は、単にパイオニアと呼ぶにはとどまらないだろう。
悪役である怪獣が
主役のヒーローと同等(あるいはそれ以上)に子供たちから愛されている事を
多くの大人たちはまだ認識していなかったのだから、
ソフビ怪獣人形の人気が爆発して売り切れが続出した事態は、
大いに意義がある。
マルサンのソフビ怪獣人形が、怪獣を子供が喜ぶものとして世の中に認知させたのだ。
凄い事である。
もしマルサンに “他社とは同じものは作らない” というポリシーも無く、
単なるスケールモデルや
業界の常識に歩調を合わせたただ可愛らしいだけの人形を作っていたら、
そこそこは売れたとしても、
僕ら子供は
あれほどの勢いで飛びついたりしなかっただろう。
よって大人たちの怪獣に対する認識も、中途半端なものになっていたに違いない。
当時の玩具業界の状況をいろいろ知った上でマルサンの偉大さに気づくと、
その後の、
頂点を極めたブルマァクから現在のバンダイに至る時代の流れも、
実に興味深いものになってくる。
よって、
それぞれの時代のいろんなメーカーのソフビ怪獣人形をコレクションしていく事は、
実に楽しい作業であり、
使命感のようなものさえ湧いてきて、
ただ好きなものだけを集めるよりも意味や価値があるように思える。
しかも、
自分の少年時代の記憶や思い出とリンクさせて愛していくのだから、
ホッと安らいだり元気が出たり、心の洗濯にもなる。
マルサンの気質が
怪獣という夢の生き物との出逢いによって開花し始まったこのソフビ怪獣人形の歴史を、
僕は丸ごとコレクションしていきたい。
バンデラーに代表されるソフビ怪獣人形たちが
永遠に語り続ける “マルサンの前衛的精神” に、敬意を表しながら・・・。
前回へ 目次へ 次回へ