真水稔生の『ソフビ大好き!』


第3回 「怪獣人形をつくった町」 1998.12

愛知県には、ここ名古屋のとなりに、
千三百年の歴史を持つ、焼き物の生産地がある。
瀬戸物で有名な、陶磁器のふるさと・瀬戸だ。
瀬戸物と言えば焼き物の事を指すくらい、瀬戸は焼き物で有名な土地である。

だが、
この瀬戸がソフビ怪獣人形の原型をつくった町である、という事実を
いったい何人の方が御存知であろうか。

玩具業界関係者の方々の間では周知の事実だったかもしれないが、
恥ずかしながら
僕がそれを知ったのは、わずか数年前の事であった。
或るテレビ番組の取材で、
かつてマルサンに勤務しソフビ怪獣人形の開発に携わった方のインタビューに立ち合う機会があり、
その方の口から、

 「原型製作は、瀬戸の職人に依頼した」

と聞いた時、僕は驚いた。
マルサンのソフビ怪獣人形を生み出したのが、まさか自分の地元だったなんて、それまで思いもしなかった。

僕は瀬戸市内の大学に通っていたので、瀬戸という町には愛着があった。
陶磁器づくりの歴史を保存した多くの資料館や
陶工たちが築いた窯跡、
古い商家、焼き物で出来た壁や塀、
町の中央を流れる瀬戸川に架かる橋の欄干にかかげられた陶板など、
あの、歴史のロマンが薫る町のたたずまいが、僕は大好きだった。
だから、
憧れの玩具メーカー・マルサンが、しかも愛するソフビ怪獣人形が、
大好きな瀬戸の町と関わりあっていたという事実が、なんとも嬉しかった。
愛知県民である事が誇りに思えた。

では、
何故、マルサンがソフビ怪獣人形の原型製作の場に瀬戸を選んだのか。
今回はそれについて、
瀬戸の歴史をひもときながら、僕なりの見解を述べたいと思う。


鎌倉時代、
中国は宋より製陶術を学んできた陶祖・加藤四郎左衛門景正(通称:藤四郎)が
瀬戸に窯を開いたのが始まりで、
元々良質な粘土(陶土)に恵まれた瀬戸は、陶器の生産地として栄えていった。

江戸時代中期に有田の磁器に押されて衰退するものの、
磁祖・加藤民吉が九州で覚えた磁器の窯焚きや釉を瀬戸に伝えた事により、
磁器主体で生産が盛り返し、
明治時代には東日本の市場を席巻、
販路が海外にまで及んで、瀬戸はやがて陶磁器の一大生産地となり、今日に至っている。

また、ひとくちに陶磁器と言っても、
和洋食器だけでなく、タイルやプラグ、ファインセラミックスなども生産しているので、
工芸品主体の京都や唐津と異なり、
瀬戸は製陶主体の工業都市と言える。
市街地の主要道路を、
陶土を積んだダンプカーが頻繁に走っている。
大学に通う行き帰りの道で、僕はよくそんなダンプカーとすれ違ったものだ。

そんな、
味わい深い歴史の町でありながら活力みなぎる工業都市でもある、
という瀬戸のバイタリティに、
マルサンは目をつけたに違いない。
それは、ノベルティという製品で裏付けがとれる。

ノベルティ。
英語ではNoveltyと書き、
目新しい趣向を凝らした物、新奇な商品、といった意味を持つが、
一般的には、
陶磁器製の置き物・玩具の事を指す。
鳥や獣、人間、あるいは童話の世界に出てくる擬人化された動物の、陶磁器製の置き物の事である。

瀬戸は、
先述した和洋食器やファインセラミックスのほかに、このノベルティの生産も得意としている。

明治37〜38(1904〜1905)年の日露戦争前後、
子供の玩具として、
浮き金魚やインド人形(インド向けに輸出される裸像・仏像)が
2、3の窯で焼かれたのが、瀬戸ノベルティの始まり。

大正3〜7(1914〜1918)年の第一次世界大戦で、
当時世界最大のノベルティ生産国だったドイツがノベルティの生産を中断したので、
名古屋の輸出商・森村組(現在のノリタケカンパニーリミテド)は、
アメリカ向けの新しいノベルティ供給地として、瀬戸にその任を求めた。
その時、
ドイツで生産される高級人形と瀬戸の土型による人形とでは、
格段の技術の差があったが、
瀬戸は、
長年培ってきた焼き物の産地としての伝統と、徹底的な模倣と工夫でそれを克服し、
ビスク人形(釉薬をつけないで生地を焼き締めた磁器の人形)を完成させ、
瀬戸ノベルティ発展の基礎を築いた。

昭和に入ると、
ドレスデン人形(17〜18世紀風のドレスをつけた男女の人形で、マイセン人形とも言う)と
童話風のハンメル人形(ドレスデン人形の硬質磁器とは異なり、艶消しされた柔らかな質感を持った人形)が
企画・生産されるが、
昭和14年〜20(1939〜1945)年の
第二次世界大戦による貿易途絶と企業整備による不況で、
内需用食器の製造に転換せざるをえなくなった。

しかし、
終戦後、ノベルティの輸出は、占領下の制限付き民間貿易として、
すぐに再開した(この時期の製品には、
全てに、
占領下の日本を意味する “OCCUPIED JAPAN” という文字が焼きつけられている)。

やがて、
ヨーロッパの模倣から脱皮して、
名犬シリーズや野鳥シリーズ、干支の置き物など、日本独自の製品を続々と開発し、
昭和30年〜50年にかけて最盛期を迎え、
瀬戸地域は日本最大のノベルティ生産地となって、
全国ノベルティ輸出の6〜8割を占めるようになったのである。


僕はマルサンのソフビ怪獣人形の原型が瀬戸で作られたと知った時、
すぐに、このノベルティが頭に浮かんだ。
色彩が豊かで、
表情や動きの表現が造形のポイントであるノベルティこそ、
マルサンのソフビ怪獣人形の原点のような気がするし、
ノベルティをつくってきた歴史・技術・職人を保有する瀬戸だからこそ、
マルサンの依頼を受ける事が出来たのだと思う。

ソフトビニールで怪獣人形をつくるノウハウなどほとんど持っていなかったマルサンが
昭和41年にソフビ怪獣人形を発売するには、
“人形” という物を作り慣れた瀬戸の町が、原型製作の場として最適であったのだ。
それに、
発想力やチャレンジ精神で他社に恐れられていた玩具業界の革命児・マルサンが世に送り出す以上、
それは、他社では思いつきそうもないもの・他社では出来ないものでなければならなかったし、
三大メーカー(増田屋、野村トーイ、米澤)の伝統勢力を打ち倒して
戦後生まれのメーカーが天下を取るには、
何より優秀な玩具でなければならなっかたはずである。

“ノベルティの瀬戸” に白羽の矢が立ったのは、実に納得のいく話だ。

怪獣を
ゲテモノではなく夢の生き物として捉えた粋な瀬戸の原型師は、
オモチャとしての温かみを大前提に、
怪獣の迫力を表現した。
その結果、
実は子供たちしか気づいていなかった或るものが造形に滲み出た。
優しさや哀しさや愛くるしさ、
といった、繊細な怪獣の内面である。

当然、この素敵な人形は子供たちのハートを捕らえ、爆発的ブームを巻き起こした。
そして、
その魅力は30年以上経った現在でも色褪せる事なく、
いや、それどころか、
時が経てば経つほど輝きを増し、深く深く愛され続けている。

このマルサンのソフビ怪獣人形を
現在のバンダイのリアルな造形のカッコいいソフビ怪獣人形と比べても見劣りしないのは、
会社が倒産してしまっている骨董性でも残存数の少なさによる希少性でもなく、
瀬戸が作り出した造形が醸し出す雰囲気や存在感が、
ただ純粋に、
少年時代のピュアな感受性を呼び醒ますからである。

瀬戸が選ばれた事は決して偶然ではなかったし、
瀬戸を選んだマルサンの判断は疑う余地なく正しかったのだ。


愛知県陶磁器資料館のパンフレットに、瀬戸ノベルティについて、こう書かれている。

  「時間を止め、ドラマチックに生活を彩る、時代を超えた夢の伝道師。」

このコピーをそのまま、
僕はマルサンのソフビ怪獣人形たちにも添えたい。
不本意ながらネクタイをしめ、
つまらない大人になってしまった僕ら怪獣少年の心を
再び熱く揺り動かす、マルサンのソフビ怪獣人形の奥深い魅力、
それは、
瀬戸の歴史と技術が生み出した、鮮やかな職人芸なのだ。


「たかがオモチャ」と言うなかれ。その後に来る言葉は、「されどオモチャ」なのだから。


  

   ノベルティは、これまで、国内ではあまり販売されていなかったが、
   最近は、好みの多様化、生活の洋風化によって注目を集め、
   国内向けにも様々な商品が生み出されている。


             



マルサンソフビの代表的存在、古代怪獣ゴメス。
凶暴な肉食怪獣だが、
なんと、
キューピー人形のフォルムを参考に作られた、との事。
時代背景と職人芸が味わえる名作。
手に取れば、
マルサンのソフビ怪獣人形が
いかに性格最良の玩具であるかが理解出来る。 





参考文献 『美しいやきものの里を訪ねる』 実業之日本社
  『あいちの地場産業』 岡崎信用金庫 
   
取材協力 せとセラミックマート
  瀬戸陶磁器工業組合


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