真水稔生の『ソフビ大好き!』


第11回 「僕が愛したウルトラセブン・その2」 2004.12

『ウルトラセブン』の魅力について、
脚本家や演出家の異質な感性が生み出す重厚で芸術的なドラマのおもしろさ、
優れたデザインと充実した技術が描き出す特撮のカッコよさ、
そして、ほのかに香るダンとアンヌの恋愛設定、
といったところを前回挙げたが、
今回は更に付け足して、
出演者の方々の “役者としての実力の高さ” について述べてみたいと思う。

どんなに設定や脚本がおもしろくて、どんなに演出や特撮が凝っていても、
演じる役者がしっかりしていなければ、
テレビドラマは成立しない。
作品の完成度の鍵を握るのは、やはり役者だと、僕は考える。

キリヤマ隊長を演じた中山昭二さんは、
『ウルトラセブン』と同時期に、
渥美清さん主演の『泣いてたまるか』というテレビドラマにゲスト出演されているが、
これが実に素晴らしい。

渥美清さん演じる主人公の中学時代の友人役なのだが、
それが、
穴の空いた靴下を履いている冴えないオッサンで、
同窓会では、出世した同窓生にペコペコ頭を下げて酒を注ぎに行く太鼓持ち、
最後は、生活苦から主人公の部屋にあったカメラを盗んで姿を消してしまう、という、
どうしようもなく哀れで情けない男なのである。

凛々しい人格者であるキリヤマ隊長を演じる一方で、
キリヤマ隊長とは全く正反対のような人間を演じていた中山昭二さんの役者としての力量は、
計り知れないものがある。
凄い。

そんな名優・中山昭二さんを筆頭に、
出演者の方々は、リアルかつシャープな演技で『ウルトラセブン』の深い世界を支えている。
とても魅力的だ。

全49話の中から一番好きな話を選べ、と言われたら、
ファンには拷問かもしれないが、
おそらく、
最終回の「史上最大の侵略」前後編や「ノンマルトの使者」、
あるいは実相寺監督の作品あたりを、苦しみながら挙げる人が多いだろう。

僕は、
第11話「魔の山へ飛べ」がいちばん好き。
民族が老衰で絶滅の危機にある宇宙人が
特殊なカメラで地球の若者の生命を吸い取りに来る、というストーリーで、
役者陣の優れた演技が随所に見られる名作である。
     
ダンが死んでしまったと思って悲しみに沈むウルトラ警備隊の面々。
中でも号泣するソガが印象的。
とても丁寧な芝居で、
僕が生まれて初めて見た “大人の男が涙を流して悲しむ姿” として、
しっかりときれいに胸に焼き付いている。
キリヤマ隊長やフルハシの悲痛な表情も、悲しみや悔しさが強烈に伝わってきて、胸が震える。

 “子供番組とはいえ、ではなく、
  子供番組だからこそ、きちんと作らなければならない”

という、
円谷英二社長の信条が、
特撮だけではなく、こういった本編の演出や演技にも浸透していた事を立証するシーンだ。
 
そして、
なんといっても最高なのは、ラスト。
馬に乗って颯爽とダンが現れる場面は
理屈抜きでカッコいい。

さらに僕がシビれるのはその後。
ダンは、
自分を救ってくれたアマギに
ビデオシーバーを通して「あなたは命の恩人です」と礼を言うのだが、
それを受けるアマギの表情が超一級品。
予想していなかった “命の恩人” という言葉に、
アマギはほんの一瞬驚いたような表情を見せ、
そして大きな仕事をやり遂げた男の笑顔でうなずく。
ほんの数秒の事であるが、
役やお話に全神経が入り込んでないと出来ない、素晴らしい表情の演技だと思う。カッコいい。

しかも、最終回では、
この命の恩人・アマギを、ダンは命をかけて救う事になるわけで、
そういった意味でも興味深いシーンである。
     
唯一残念なのは、
この回、大好きなアンヌ隊員が出演していない事である。
これには、
アンヌ隊員を演じた菱見百合子(現・ひし美ゆり子)さんが、
撮影前だろうがアフレコ前だろうがお酒を飲みまくり、注意してもまったく改めない、
というプロ意識の無さだったので、
満田監督が激怒して彼女を出演させなかった、という、
夢をぶち壊す裏話があり、
更に残念である。

世の中には知らない方が幸せな事もある、
という事を僕に教えてくれたのも、『ウルトラセブン』であった(笑)。


僕は幼い頃から役者に興味があったので、
ソフビ怪獣人形で遊ぶ際、
人間のドラマの部分も夢見る気持ちでクリエイトした。
キリヤマ隊長やフルハシ、アマギ、ソガ、そしてウルトラセブンに変身する前のモロボシ・ダンを、
母親の鏡台の三面鏡を見ながら自分でなりきり演技して、その後でソフビバトルに入る、
という独り遊びをしていたのだ。

ボーグ星人の人形がどういうわけかお気に入りで、
ボーグ星人をセブンに協力して敵と戦うヒーローにして、
オリジナルのストーリーをつくっていた事もあった。
ボーグ星人に変身する前の青年も、やはり、母親の鏡台の前で気取って演じた。

空想は、進め銀河の果てまでも。

母親の鏡台の前で、
僕はソフビ怪獣人形片手に大いなる夢を見た。
今でもその夢を追い続けている。

子供の頃思い描いたような立派な大人にはなれていないが、
夢を捨てずにそれに近づこうと毎日明るく元気に頑張れるのは、
きっと、ソフビ怪獣人形がそばにあるからだと思う。

ソフビ怪獣人形を見る度、
子供の頃のピュアな感性が懐かしい思い出と共に甦る。
そして、自分に素直になれる。

ふと考える。
ソフビ怪獣人形の内部が空洞なのは、
そこに夢や思い出をいっぱい詰め込むためではないだろうか・・・、と。

役者という職業や
ソフビ怪獣人形というオモチャに僕が惹かれ続けるのは、
両者とも、
主語が “心” であり、
夢や空想を動力源にしている、というものだからであろう。

ソフビ怪獣人形コレクターであるかぎり、
“少年” は続く。“夢” も続く。
“生きている実感” が続く。

ボーグ星人の人形には、
全身に銀の塗装がしてあるものと、
してないものが存在する。
銀の塗装が有るか無いかで、
こんなにも印象が異なる。
銀の塗装無しの方は、なんだか
ミルクチョコレートのかたまりのようで、
おいしそうだ。
 細かい棘がたくさんあって、
 それらが破損していない完品と
 出逢うのは
 至難の技であるブルマァクのパンドン。
 奇跡的に出逢えたとしても、
 プレミア価格で高額な為、
 手に入れるまでが
 これまた至難の技(笑)。


                         

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