真水稔生の『ソフビ大好き!』


第61回 「夜明けのスキャット」 2009.2

先日、回覧板を隣の家に持っていった時、
そこの奥さんに、

 「真水さん、クラシックがお好き?」

と聞かれた。
以前部屋でCDを聴いていた時にボリュームが大きすぎたのかな、と思った僕は、

 「うるさかったですか?
  気をつけてたつもりだったンですが・・・。スミマセン」

と謝った。
すると、その奥さんは上品な笑みを浮かべながら、

 「いえいえ、うちは主人も私も
  クラシックしか聴かないくらいクラシックが好きなんです。
  お掃除してたら素敵な音楽が流れてきたから、
  もしかしたら真水さんのお部屋からかしら、と思って・・・。
  気持ちよく聴かせていただきましたわ」

と言った。

とりあえず苦情ではないようなのでホッとしたものの、
それ以来、僕は、
クラシックのCDしか聴けなくなってしまった。
本当は
『仮面ライダー大全集』とか『懐かしの特撮ヒーロー大全』とかが聴きたいのに(笑)、
隣の奥さんや旦那さんが聴いているかと思うと、
人を楽しませたい、という役者魂が騒ぐのか、
単なる自意識過剰の見栄っ張りなのか(たぶん後者(笑))、
ついついクラシックのCDをデッキに入れてしまうのだ。

しかも、
クラシックは好きだけどそんなに詳しくなく、
時々聴く程度だったからCDも貰い物のヤツを2枚しか持っていなかったので、
いつも同じ曲では隣の奥さんや旦那さんに悪いと思い、
新しくクラシックのCDを買い足そうと、今日はCDショップにまで出かけてしまった。

 いったい僕は何をやっているのだ、

と思いながらも(笑)、
クラシックのCDが増えて別に困る事はないし、
芝居の稽古も無く暇なので、まぁいいか、って感じで。


でも、
本当にクラシックには詳しくないから、何を買ったらいいのかわからず、
いろいろ物色しているうちに、
クラシックのコーナーを抜け出て、となりの歌謡曲コーナーに辿り着いてしまった。
そして、
そこで1枚のCDが目に入った。

この、
紙ジャケ仕様の、
由紀さおりさんのCDである。

昭和44年に発売されたアルバムのCD化で、
『夜明けのスキャット』をはじめとする名曲が、ぎっしり詰まっている。

これは、もう買うしかない。
クラシックと違って、
歌謡曲なら、自分が何を買うべきかすぐわかるのだ(笑)。

僕は、由紀さおりさんの『夜明けのスキャット』が大好き。
まるで現実から逃れるように、
情欲の世界へ埋没していく愛し合う二人・・・、
そんな退廃的とも言える歌詞が、
甘美なメロディーと由紀さんの澄んだ歌声によって、
優しく美しく心に沁みる、昭和歌謡の名曲である。

しかも、
幼稚園の遠足で行った遊園地でずっと流れていた(当時ヒットしていたから)のを
印象深く憶えていて、
そのせいで、
子供の頃を思い出すとその度にまるでBGMのように頭の中に流れてくる、
僕の人生には欠かす事の出来ない1曲なのである。

それに、
由紀さおりさんは、子供の頃から特に好きな歌手。
このアルバムは僕のCDライブラリーになくてはならない1枚、と即座に判断し、
レジへ向かった次第である。


由紀さんは、ここ20年くらい、
実姉の安田祥子さん(声楽家・ソプラノ歌手)とのコンビで
“童謡歌手” としての活動が目立っている(元々、少女時代は童謡歌手だったンだけど)が、
それ以前は、
マルチタレントの印象が強く、
『夜明けのスキャット』をはじめとする美しい歌謡曲を歌う実力派歌手でありながら、
松田優作さん主演の映画『家族ゲーム』における母親役や
石立鉄男さん主演のドラマ『秘密のデカちゃん』で演じたオールドミスの婦人警官役など、
女優として、
歌の時とは全くイメージの異なる、しかも強烈な個性の役を、無理なくのびのびと演じ、
更には、
『8時だよ!全員集合』や『ドリフ大爆笑』などのバラエティ番組では
ドリフターズ相手にコントで “オチ” まで担当するなど、
その多才ぶりは、子供の頃から僕を魅了し続けた。
ああ、そうそう、
クイズ番組の司会を担当されていた事もある。

天はいったいこの人にいくつの才能を与えたのか、
って、ずっと思ってた。

桜田淳子さんやキャンディーズにも同じ事を感じて尊敬していたが、
彼女たちはアイドル、つまり、
テレビの世界でマルチに活躍する事が当たり前のように求められる存在だったので、
そういう使命を持って生まれてきた人たちだろう、と解釈していた。
でも、由紀さんは違う。
歌手として、絶大なる存在感と説得力があり、
それだけで、表現者として立派に成立する人である。
おそらくこの世に生まれてきた使命は “歌う事” 。
そんな人なのに、
タレントやアイドルみたく、
まるで当然のようにほかのジャンルにも顔を出してくるのである。そこが凄かった。

しかも、
女優業にしてもタレント業にしても、
何をやっても本業同様に魅力的、というところが、また凄かった。
輝く才能に満ち溢れた、まさに超一流のマルチタレントなのである。
それでいて、
大物ぶったり気取ったりするところがまるで無く、
明るくて親しみやすくて、それでいて自然な品があって、
とっても素敵な、憧れの “芸能人”であった。

だからこそ、
そんな由紀さんが歌う『夜明けのスキャット』には、余計にシビれるのだ。


桑田佳祐さんが、昔、竹内まりやさんとの雑誌の対談で、

 「もしも無人島に1枚レコードを持っていくとしたら、やっぱりビートルズ」

って語っていたが、
僕は、
迷う事なく、由紀さおりさんの『夜明けのスキャット』を持っていく。
ジョン・レノンでもポール・マッカートニーでも、
サザンでも大滝詠一でもなく、
もちろんクラシックでもなく、
僕は “由紀さおり” を選ぶ。

・・・無人島になんか、行きたくないけど(笑)。


というわけで、
今、帰宅して、早速、部屋で『夜明けのスキャット』を聴いている。
隣の奥さんには申し訳ないが、
今日はクラシックのCDは、かけない。
大好きな由紀さんの歌声に、ずっと酔っていたいのだ。

古いロッキングチエアに座って静かに揺れながら、
『夜明けのスキャット』の流れる部屋で、
コレクションの怪獣人形たちを眺め、
幼稚園の遠足をはじめとする子供の頃のいろんな出来事を思い出す。

あぁ、なんて穏やかで優美なひととき。
心が浄化されていくようだ。

やっぱ、自分の聴きたい音楽を聴くのが一番だなぁ(笑)。


          ♪

先程、
“幼稚園の遠足で行った遊園地でずっと流れていた”
と述べたが、
この『夜明けのスキャット』が流行っていた頃は、
僕がソフビ怪獣人形で遊んでいた事を記憶している、最も古い時期でもある。

コレクターとなった現在、
演技者となった現在、
そして、
それらを暮らしの中で最優先して生きるスタイルが
おそらく死ぬまで変わらないであろう事を考えると、
瞳を輝かせてソフビ怪獣片手に空想の世界に浸っていたその光景が、
大人になってからの僕を象徴あるいは予見していた、と思えて仕方が無い。

『夜明けのスキャット』は、
時間の経過すら忘れて人が愛し合う姿を美しく描写した歌である。
子供の頃を思い出す度に聞こえてくるこの歌が、

 自分の好きな事に意を注ぐ事こそ幸せ、

と僕に悟らせてくれた。
夢見る思いと空想する力だけでソフビ怪獣遊びに没頭していたひとときは、
その最もわかりやすい実例だったのである。

思えば、僕の人生観は、
ソフビ怪獣で遊んでいる時の “幸せの感触” を根幹に、ゆったりと静かに作られていった。
それは、『夜明けのスキャット』をBGMにして、
子供から大人へと成長していく僕の神経の中に、深く濃くすり込まれていったのだ。

生活を度外視して、オモチャを集めたり、芝居をしたり、
そんな僕の日常は、世間一般から見れば、
己の器量や力量をわきまえぬ、無謀で馬鹿げたものかもしれない。
だけど、
たった一度の自分の人生を、
他人の目を基準に送るなんてつまらない事、僕はしたくない。
自分に正直でいたい。
自分の好きな事を選び、
自分の好きな事をやリ続ける、
それが、最も自然で無理の無い生き方だと思う。
他人に迷惑さえかけなければ、何をやったっていいのだ。

 「そんな簡単にいかないのが人生だ」

 「世の中、そんなに甘いモンじゃないよ」

などと、反論する人もいるかもしれないが、
それは、
自分のやりたい事を我慢して、無理して生きていく事の言い訳だと思うので、
そういう、わかりきった事を訳知り顔で言うような人は、
自分を誤魔化している分、哀れでカッコ悪い。
たとえ、うまくいっていなくても、
好きな事に一生懸命な人はカッコいいし、美しいと思う。
そういう人を僕は信じる。
また、自分もそういう人でありたい。

本当に好きな事は、結局やめられないものだし、
無理してやってる事は、いつか必ず破綻するものだ。
自分に素直でさえいれば、好きな道さえ歩いていれば、人は幸せになれる。
自分の幸せは、
世間や他人が決めるものではなく、
自分で探すもの、いや、自分で作るものなのだから。

それを、今、
由紀さんの澄み切った美しい歌声が、改めて僕に諭してくれている。

          ♪

それでは、最後に、
『夜明けのスキャット』が流行っていた頃に僕のオモチャ箱に入っていた、
ソフビで遊んだ僕の記憶の最も古いところにある、懐かしい怪獣人形たちを紹介して、
今回は筆をおくことにします。



バンデル星人
メーカーは、マルサンかブルマァクで、
全長約20センチ。

“マルサンかブルマァク” というのは、
メーカーの刻印を入れ忘れたマルサンの金型を使って
ブルマァクがそのまま再販していたため、
人形にはどちらのメーカー名も刻まれておらず、
袋入りのデッドストックでもない限りは、
はっきり断言出来ないから。

   不気味な色気でインパクトがあり、こんなにも魅力的な造形の宇宙人でありながら、
   今ひとつメジャーな存在になりえなかったのは、
   やはり、
   『ウルトラマン』や『ウルトラセブン』ではなく、
   『キャプテンウルトラ』に出てきたキャラクターだったからであろうか。
   だが、世間一般の評価はどうであれ、
   バンデル星人は、
   カネゴンやバルタン星人やキングジョーと並ぶ、
   昭和の特撮テレビ番組における代表的なキャラクターだと僕は思う。

   人形は、塗装色の違いにより、いろんなバージョンが存在する。
   どれがマルサンでどれがブルマァクかは、断言出来ないけど、
   このようにバンデル星人がウジャウジャいると
   なんだかワクワクしてくる事は、断言出来る。
   また、それが僕らの世代のみの、独特の感性である事も断言出来る(笑)。
   
   よく見ると、
   左腕と右腕が違う型のものと、左腕も右腕も同じ型のものとがある。
   これには、
   両腕が同じ型のものは間違えて取り付けてしまったエラー商品である、という説と、
   左右どちらかの腕の金型が破損したため、
   途中から両腕とも同じ金型のものを付けて販売されていた、という説があるが、
   真相は不明。
   
   でも、
   たぶん、間違えたンだと思う(笑)。

   たとえ、
   金型破損説が真実だとしても、
   もともと左右の判別がしづらい造形の腕だったので、
   金型が破損する前から
   間違えて取り付けた人形が世に出ていた可能性は、決して低くない。
   それが証拠に、
   左右異なる型の腕が付いている人形同士でも、左右の腕が逆だったりする。
   どっちが左腕でどっちが右腕かなんて、あまり気にしていない感じなのだ。
   管理が杜撰と言えば杜撰だが、
   不定形な姿が魅力のバンデル星人ゆえ、たいした問題ではないと思う。
   むしろ、劇中のシーンをイメージしながらこのように何体も並べると、
   両方左、両方右、あるいは、左右逆、といった具合に
   色んな腕の組み合わせの人形がある事で、キャラクターの “味” が活きてくる気がする。



ギラドラス
メーカーはブルマァクで、全長約22センチ。
マルサンソフビの再販ではなく、
ブルマァクが初めて
自社開発で発売したソフビ人形のひとつだが、
着ぐるみを忠実に再現しようとする独創性は
まだ具現化されておらず、
マルサンテイストがたっぷり残っている。
よって、
ブルマァクファンの評価は
それほど高くないように感じられるが、
怪獣の迫力と
オモチャとしての可愛らしさを巧く融合させた、
昭和の時代ならではの、
とても味わい深い人形だと、僕は思う。


        前足と後ろ足を入れ替えると、向かって右側の写真のように、
        エサをもらえるのを待っている猫のような、なんとも愛らしい姿になる。
  
        その日の気分で前足と後ろ足を付け替えて飾る、
        アンティークソフビには、そんな楽しみ方もあるのです。
  
  それにしても、
  左側の写真の正規の状態よりも、
  右側の写真の、前足と後ろ足を付け替えた状態の方が、なんだかしっくりくる感じがする。
  もしかしたら、
  本来右側の写真のようにあるべきものなのに、
  前足と後ろ足を間違えて取り付けたまま発売してしまったのかもしれない。
  あるいは、
  あえて、アンバランスながらも後ろ足をピンと伸ばし、
  戦闘体勢のイメージで怪獣としての恐さを表現したのか、
  真相は不明である。
   
  でも、
  たぶん、間違えたンだと思う(笑)。
  ・・・って言うか、
  実物のギラドラスに足は4本も無い(二本足で膝を突いたような特殊な形態)ので、
  人形の前足と後ろ足をどう付けようと、
  どっちみち間違いなのだ(笑)。


      コレクターになってから、
      このようなカラーリングによるバージョン違いがある事を知った。
      向かって右端の人形は、
      昭和50年にハワイで『ウルトラセブン』が放映された際に輸出された海外版。



ウルトラセブン
これは、正確にはソフビ人形ではなく、
ポリエチレン製の廉価版人形。
メーカーはマルサンで、全長約31センチ。

親がケチったのか、これしか売っていなかったのか、
僕が子供の頃持っていたウルトラセブン人形は
ソフビ製ではなく、このポリエチレン製の方だった。
彩色も無く、見るからに安っぽいが、
僕の記憶の中のセブンを最も熱く甦らせてくれる、
愛しい愛しい人形。

足の裏にマルサンのマークが彫られているが、
SANの“S”の字が、左右逆の鏡文字になっている。
ただ単に原型師が間違えたのか、
あるいは、
トイザらすの“R”のように、
幼い子供が間違えて書く事に倣って洒落てみたものなのか、
真相は不明。

でも、
たぶん間違えたンだと思う(笑)。


 向かって左側が、ソフビ製人形。
 メーカーは、同じくマルサン。
 近所の友達が
 このソフビ製の方を持っていて、
 とても羨ましかった事を憶えている。
  こんなにも
  グレードやサイズが異なる人形を戦わせて、
  劇中の場面を再現して遊んでいたのだから、
  あの頃の僕の空想力は、
  現代の子供の数万倍であったと思われる(笑)。





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