真水稔生の『ソフビ大好き!』


第60回 「萎えて男も意志を持て」  2009.1

恋愛関係や夫婦関係において、
“女が強くなった” というフレーズを、
新聞やテレビなどのメディアを通して、よく目や耳にする。

でも、
元々女性は強い生き物なので(第30回「男にとって女は怪獣のようなものだ」参照)、
正確に言うなら、
“女が強くなった” ではなく、
“女が我慢してくれなくなった” ではないだろうか。

社会的地位が向上して、
経済的な面で男を頼りにする必要がなくなった現代、
女性は、
黙って男に尽くす、なんて事はしてくれなくなった。
“亭主関白” とか “内助の功” なんて言葉、若い子はおそらく知らないだろう。

自立して積極的になった分、
女性は、仕事にかこつけた男の身勝手や空威張りを我慢してくれなくなったのだ。
ちっぽけな男の矜持など、一切通用しない時代がやってきたのである。

女が男を選ぶ時代、とも言われているが、
まさにその通りで、
恋愛対象や結婚相手にふさわしいかどうか、
女性は冷酷なまでにシビアに男を見て、その合否を決めている。

女性に認めてもらいたかったら、
男は、
仕事でお金を多く稼いでくるのはもちろんの事、
家事も育児も、女性と平等(もしくはそれ以上)にしなくてはならないし、
女性のワガママやヒステリックを
笑顔で許してあげる優しく大きなハートを持っていなくちゃならないし、
政治とか経済とかにもそこそこ詳しくなくてはいけないし、
面白い事をしゃべるセンスも少しはなくてはならないし、
見た目もカッコよく清潔感がなければならない。

・・・大変な事である。
ほとんどの男が及第点には満たないだろう。

女性の中にも、
淋しい気持ちでクリスマスイヴを過ごしたりする人がいる事はいるだろうけど、
それは、
自分の理想の男性と
たまたまめぐり逢えていないだけで、
まったく女性に相手にされず
半ばクサりながら孤独を抱きしめている男とは、
事情が違う気がする。

あくまでも、
選ぶのは女性側なのである。

だから、
恋愛関係や夫婦関係にとどまらず、職場の対人関係や近所付き合いにおいても、
面倒くさいから、その方が楽だから、
という理由で、
女性の言いなりになっている男は多い。

認めてもらえる合格ラインに到達しない分、
言動や物事の考え方を女性に合わせる事で御機嫌を取り、
嫌われたり見捨てられたりする最悪の事態を避けているのだ。
賢明である。
そうしておけば、とりあえず円満な関係が築けるし、波風は立たない。

しかもそれは、
昔、女性が生きるために仕方なく我慢して男を威張らせておいてくれたのとは違って、
男の性と言うか、資質と言うか、そういったものがなせる業なので、
男にとって、さほど苦にならない事なのである。

つまり、
それこそが男と女の自然な状態であり、本来の上下関係・力関係なのだ。
男は、
精神的にも肉体的にも、女がいなければ生きていけないが、
女は、
別に男がいなくても、生きていこうと思えば生きていける。
男が折れるしかないのだ。
仕方ない事なのである

(でも、そういう男と女の資質の違いを理解したうえで、
 あえて、男を立てて、威張らせといてくれる女性が僕の理想なンだけど、
 そんな女性は、いないかな(笑))。


とにかく、女は強い。そして男は弱い。
彼女にフラれたり、奥さんに逃げられたりして、
心も暮らしもボロボロになってしまった男を何人も見てきた。
もちろん僕自身もその中の一人だ。

だが逆に、
男と別れて心や暮らしが荒んだ女性など、僕はただの一人も見た事がない。
そりゃあ、女の人だって、別れは辛いだろうし、淋しい気持ちにもなるのだろうけど、
どう見ても、
男ほど傷ついたり、引きずったりはしていない。
女性は、たくましいのだ。

 「男だったらクヨクヨするな」

 「男がメソメソするな」

っていう叱咤は、かなり無理があると思う。

 「魚のくせに泳ぐな」

って言ってるようなものだ。
男だからこそ、クヨクヨし、メソメソするのだ。

また、
そんなクヨクヨしたりメソメソしたりする男の事を、

 「女の出来損ないみたいなヤツだ」

ともよく言うが、
これも、根本的事実を履き違えた放言に過ぎない。

そもそも男とは、
女性が突然変異して出来た、か弱い生き物である。

生物学的に見て、
男性の機能というものは、すべて女性の機能が変化したもの。
人間という生き物のオリジナルは、女性なのである。
つまり、
世の中の全ての男が、“女の出来損ない”なのだ。


そういえば、
幼い頃、僕が泣いていると、
父親は必ず、

「女の出来損ないか、お前は」

と言って怒った。

・・・ちきしょう。今だったら、

「お前だって女の出来損ないだ!」

って言い返してやるのになぁ(笑)。

威厳のある恐い父親だったが、
所詮、男など、お釈迦様の手の上を周回していただけの孫悟空のようなもの。
父親の権威は、
母親の支えが無ければ、一切成立しないものだったと思う。
労働量や労働時間が父親よりも多いのに、
黙って父親を威張らせておく母親のあの器のデカさと心の強さは、尊敬に値する。

父親よりも母親の方が圧倒的に凄い。
母親が我慢していたからこそ、父親は偉そうにしていられたのだ。

だいたい “女の出来損ない” などというのは、
女性蔑視以外の何物でもない、現在では許されない表現である。
そんな言葉を、
勘違いして、さも正論を吐いてるかの如く当たり前のように使う男を、
女性が黙って我慢していてくれた時代だからこそ、
父親は威張っていられたのだ。

そんな事にも気づいていない女の出来損ないに、
「女の出来損ないか!」なんて怒られる筋合いは無いのである(笑)。


女性というのは、本当に強い。
たとえば、
出産を男が体験したら狂い死にすると言われている。
それを
誰がどうやって調べたのか知らないけど(笑)、
次元もスケールも、
男なんか足元にも及ばない強靭な精神力を
女性が生まれながらにして所持している事は確かである。

女の出来損ないである男が、到底勝てる相手ではないのだ。
出来損ないが出来損ないじゃない存在に対して劣勢なのは、当たり前である。


ところで、父親は、
この “出来損ない” という言葉を、
泣いてる僕を叱る時以外でも使った事がある。

僕が持っていた児童雑誌に載ってたケムラーの絵を見て、

「トカゲの出来損ないみたいだな」

と言って鼻で笑ったのだ。
僕が幼稚園に通っていた頃の話である。

大好きな怪獣の悪口を
面と向かって言われた気がして、
その腹立たしさから、鮮明に憶えているのだ。

・・・ちきしょう。今だったら、

「トカゲの出来損ないじゃないっ!
 これはケムラーっていう凄い怪獣だ!
 お前こそ、女の出来損ないではないか!」

って言い返してやるのになぁ(笑)。


ケムラー
決して、トカゲの出来損ないではありません。
ウルトラマンでも歯が立たない程の
恐るべき威力を持った、毒ガス怪獣です。

写真の人形は、
ブルマァク製スタンダードサイズ。
全長約21センチ。
腕の曲がり具合や指先の雰囲気、
あるいは、
スペシウム光線もはね返す硬い皮膚の表現など、
強敵ケムラーの特長が
実に巧みに再現されていて、
ブルマァクソフビの中でも屈指の出来だと僕は思う。
また、ケムラーは、
弱点である背中を甲羅で隠しているのだが、
人形は、その甲羅に、
突然こんな派手な塗装がされているところが面白い。
実物のケムラーの背中の甲羅は
こんな事にはなっていないので、
何を思ってこんなカラーリングにしたのか、
塗装担当の方に聞いてみたいものだ。
幻覚でも見ながら
陶酔状態で塗装したのではないかと思えるくらい、
サイケデリックで妖しく美しい。





この2体の差は、塗装の念入り度。
全身に吹かれた紺色の量や
背中の甲羅の仕上がりが明らかに異なるし、
口の中に至っては、
塗装そのものが有るか無いか、
という違いになっている。

マルサンの時代から続く傾向から推測すると、
丁寧な仕事がしてある向かって左側の人形が
初期生産、
それに比べて手間が省かれている右側の人形が
後期生産、
ではないかと考えられる。


   ケムラーは口から毒ガスを吐く際、
   口の中に閃光が走るので、
   口の中が塗装してない右側の人形は、
   まさに今その閃光が走り、
   毒ガスを吐く瞬間のようで、恐い。



ノコギリン
クワガタの出来損ないではありません。
『帰ってきたウルトラマン』に登場した、
角から殺人光線を発射する、恐ろしい宇宙昆虫です。
モーター音を敵の羽の音と勘違いして、
電気カミソリやヘアードライヤーを使用している人間を
突然襲ってくる、物騒な慌てン坊。
しかも、
MATのスペースレーザー銃を浴び、
そのエネルギーを吸収して巨大化したら、
ケムラー同様、スペシウム光線も通用しない、
これまた極めて硬質な皮膚を持つ大怪獣に変身してしまった、
という、人類にとって迷惑極まりない “害虫” であった。

  写真の人形は、ブルマァク製スタンダードサイズ。
  全長約21センチ。
  
  ノコギリンは、
  子供に人気の高いノコギリクワガタをモチーフにデザインされたのだから、
  当然カッコいい怪獣になって多くの子供から支持されるはずだったが、
  出来上がった着ぐるみの出来の悪さのため、人気怪獣になり損ねた可哀想なヤツである。
  また、ブルマァクが、
  よせばいいのに(笑)その出来の悪い着ぐるみを忠実に再現したため、
  このような、
  覇気が無くてなんとも締まらない、残念なソフビ人形が出来上がってしまった。

  しかも、
  下記の写真のように、
  サイズの違う人形(全長約13センチ)も
  スタンダードサイズの人形をそのままスケールダウンしたような造形・カラーリングであり、
  頑ななまでに出来の悪い着ぐるみの再現にこだわった(笑)、
  どこまでいってもカッコ悪い怪獣人形なのである。
          (前)           (後)

  カッコいい甲虫をモデルにしたのに、カッコ悪い姿。
  ソフビ化されても一切フォロー無しの、そのままカッコ悪い造形。
  ・・・なんて不運な怪獣なのだろう。
  僕が子供の頃流行っていた、太田裕美さんの『しあわせ未満』という歌の中で、

   ♪ついている奴 いない奴 男はいつも2通り

  という歌詞があるが、
  このノコギリンという怪獣は、間違いなく “ついていない奴” だ。
  だから、
  せめて僕だけでも、精一杯愛してやろう。
  人形を大切に大切にして、
   「ノコギリンよ、お前は優れた怪獣だ」
  と称えてやろう。
  そしたら、

   ♪面喰いなのに もてない僕を何故選んだの

  って歌ってくれるかな(笑)。




モグネチュードン
モグラの出来損ないでも
ナマズの出来損ないでもありません。
宇宙猿人ゴリが、
大地震を巻き起こすために作り上げた、
モグラとナマズの合成怪獣です。
『宇宙猿人ゴリ』(『スペクトルマン』)が、
裏番組であった人気アニメ『巨人の星』を
視聴率で抜いた記念すべき回に登場した、
怪獣ブームの勲章のような存在です。
         その迷いの無いストレートな造形は、スペクトルマン怪獣の真骨頂。
         写真の人形は、マスダヤ製。
         全長約20センチ。
         誇り高いウルトラ怪獣ではありえない、
         スペクトルマン怪獣独特の、その下品なまでに奇抜な造形を、
         一切恥じる事なく、それどころか、逆に開き直ったかのように堂々と、
         さらに大胆に表現してしまうマスダヤの潔いセンスには、
         男はこうあるべきだ、という主張さえ感じます(笑)。
        ただ見てるだけで、なんだか楽しい気分になってくる、素敵なソフビである。



カメレキング
カメレオンの出来損ないでも
鳥の出来損ないでもありません。
異次元人ヤプールが
古代のカメレオンの卵と宇宙翼竜の卵を合体させ、
その中から誕生した大超獣です。

写真の人形は、ブルマァク製スタンダードサイズ。
全長約22センチ。
元々、実物のカメレキングもカッコよかったのだが、
着ぐるみを忠実に再現して
リアルな造形にしようとするブルマァクのコンセプトと、
子供のオモチャである事を大前提に、
見て嫌悪感を覚える物や恐すぎる物は作らないという、
当時の玩具業界の常識が、ものの見事に調和した結果、
実物よりもカッコいいのではないか、
と思えるほど綺麗にまとまった、
素晴らしい造形のソフビ怪獣人形になった。
誰の目にも、
ブルマァクの造形力の高さが、
はっきりと認識されることだろう。


    この2体の差は、ゴールドとブロンズといった感じの、塗装色の違いにある。
    どちらも
    ブルマァク全盛時代を称えるかのように、光り輝いています。



      カメレキングは、ウルトラマンAとの戦いで翼をもぎ取られたが、
      それを人形バトルで再現しようとすると、
      翼と腕が一体成形のため、
      このように、一緒に腕まで取れてしまう(笑)。





怪獣は、
夢や憧れ、哀しみや優しさ、といった、
人間のいろんな感情を背負った、愛すべき存在である。

永遠の生命力で、
強くたくましく、そして美しく、僕らの心の中に生きている。

それは、
彼ら怪獣たちが、
動物や昆虫などの出来損ないではない、という夢の生き物としての誇りを、
しっかりと持っているからである。

だから、男も、
決して女の出来損ないであってはならない、という意地とプライドを持たねばならない。
そうでなければ、生まれてきた価値が無いのだ。

だが、
女性が我慢してくれない今の時代、
精神力が脆く、女々しい生き物である男が、
凛として生きていくのは、とても大変な事である。
女性に媚びてヘラヘラしながらでも孤独を回避して、
ついつい楽に生きていこうとしてしまう。
女の出来損ないに成り下がってしまうのである。

それが男と女の自然な状態であり、
男として賢明な生き方だと先ほど述べたが、
実は、
決して正しいわけでない。
その場しのぎの暫定処置に過ぎないからである。

どんなに御機嫌を取りながら優しい振りをしていても、
女性はとうに見破っている。
女性の言いなりになっていたって、
頼りにならない男はいつかは見切りをつけられ、やがて捨てられる。
“情” などという甘い考えは、女性には通じない。
不要なものは不要、とスパッと切られる。
その事に男は早く気がつくべきだ。

女性はちゃんと見ている。
本当に尊敬出来る相手かどうか、ちゃんと男を品さだめしているのだ。
女性の言いなりになる男など、実は望んだりしていないのである。

強くなければ男じゃない。
優しくなければ男じゃない。
信頼され、尊敬され、女性に惚れられる生き物でいなくてはならない。
男は男であって、
女の出来損ないなんかに成り下がっていてはいけないのである。


・・・などと偉そうな事をほざいている僕だが、
御多分に漏れず、
孤独にはめっぽう弱い。
女がそばにいてくれなければ生きていけない。
なのに、
女はそばにいてくれない・・・(涙)。

でも、
だからといって、女に媚びるわけにはいかない。
女の出来損ないなどではない、立派な男として生きていかなければならないのだ。

では、どうすればいいのか。

だからこそ、僕は、
ソフビ怪獣人形を蒐集しているのである。
動物や昆虫の出来損ないじゃない、という意地とプライドを持った、
立派な生き物である怪獣の、
その分身である人形たちを見つめながら、
怪獣たちのように、強くたくましく、そして美しく生きていこうと、
弱気になるた度に襟を正しているのである。

決して、
女に相手にされないから怪獣のオモチャで遊んでる、ってわけじゃないよ(笑)。




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