真水稔生の『ソフビ大好き!』


第57回 「夢を食べて生きる 〜コレクターの本懐〜」  2008.10

集める事を楽しく思い、
揃える事を美しく感じ、
その対象となるモノと出逢った時のときめきや
それを手に入れた時の喜びで、とても幸せな気持ちになれる。
それが、僕ら“コレクター”。

楽しくなるために、
美しさを味わうために、
そして幸せになるために、時にとても熱くなる。
その情熱が、
周りからは、“異常” と捉えられたり “気持ち悪い” と思われたりするが、
生活よりも己の感性を優先させる純粋さは、決して恥じる事ではないと思う。

混じりけの無い真っ直ぐな情熱で、
只々、コレクションの対象となるモノを愛している。
素敵な事だ。
そしてそれは、
そのモノが存在している事への感謝の気持ちにも繋がっていくので、
コレクターの胸の内には、
愛に満ち溢れた、極めて優しく美しい精神が根づいている、と言える(・・・本当か?(笑))。

大袈裟な表現になってしまったが、
“好き” という感情を全ての判断基準にするのは、
生き方として間違っていないと思う。
自分の愛情やこだわりに従えば、自ずと人生は楽しくなる。
美学を持って生きるというのは、大切な事なのだ。

中には、
わざと変わったものを集めてマニアックな人物ぶっている人や、
ブームになっているものを財力に物を言わせて買い集め、
「レア」だの「お宝」だのと騒いでいる人もいるが、
その多くは、
単なる “ウケ狙い” であり、
愛情もこだわりも、何も持ち合わせていない。
コレクターと呼ぶには値しないだろう。

珍しいモノを持っているとか、
たくさん持っているとか、
そんな事じゃない。
大切なのは “どれほど好きか” という事。
世間の評判や他人の評価ではなく、
自分自身の感性でモノの価値を見い出し、そしてその価値を高めていく事に、
趣味・道楽の意義がある。
好きなモノに人生をかけている、愛のある素直な人間、
それがコレクターなのだ。

・・・って、
やっぱり大袈裟な表現になってしまうなぁ(笑)。
それに、
そんなムキになって語ってみたところで、

 「コレクターなんて、物欲に取りつかれた、ただの奇人変人だろ?」

と、世間一般からは馬鹿にされてしまうのがオチなのだけれど(苦笑)。


でも、僕は、
他人からどんなに気味悪がられようが、
また馬鹿にされようが、
自分をコレクターと名乗って憚らない。
幼児性が抜け切っていない、という指摘は甘んじて受けるが、
ソフビ怪獣人形のコレクターである自分を、僕は気に入っている。
コレクターという人種を愛すべき存在だと思うし、
ソフビ怪獣人形を素晴らしいオモチャだと確信しているからである。

客観的に自分という人間を考えてみると、
幼児性が抜けきっていない事に起因するのであろうか、
頭で考えて行動するのではなく、感覚で生きてるみたいなところがある。
ゆえに、
俗っぽさとは無縁の価値観での生活が成り立つのだろう。
しかも僕の場合、
コレクションの対象が “怪獣のオモチャ” なので、
余計に子供じみている。

40代も半ばにさしかかり
加齢臭さえ漂わせようかというオッサンがそんなふうなのだから、
馬鹿だの奇人変人だのという世間一般の評価は、ある意味正しいのかもしれない。

だけど、
他人の評価や一般論に自身の価値観を合わせたり、
経済的理由を言い訳にしたりして暮らしていくのが大人であるなら、
僕は大人になんかなりたくない。
ガキで結構、幼稚で結構。
自分の気持ちを誤魔化して生きる、なんて真っ平御免だ。
この世の中で、
ただひとつ、絶対に自分を裏切らない真実は、
“○○が好き” という感情だけなのだから。
僕はそれを守りたい。


では、
なぜそんな人間に、
なぜコレクターになんか僕はなってしまったのか、
改めて考えてみた。


資質、つまり持って生まれた性格が
その大部分を占めるとは思われるが、
やはり、
育った環境や体験した出来事も、大きな影響を与えてくれている。

物心ついた頃から、
変わった形の石を集めたり、
近所にあった工場の周りに落ちてたいろんな大きさのナットを
いくつも拾ってきたり、
あるいは、
メンコを友達と勝負して遊ぶ事に使わず、
ただ集めて揃えて、畳の上に並べて眺めて喜んでいたりした僕なので、
元々収集癖らしきものはあったンだろうとは思うけど、
それが開花(?)したのは、
やはり、ライダーカードとの出会いである。

社会問題にもなった、
カルビー仮面ライダースナックのおまけ・ライダーカードの大ブーム。
あれをリアルタイムで体験したのは、実に大きい。
『仮面ライダー』の放送開始の年に小学校に入学した、
バリバリのライダー世代である僕は、
御多分に漏れずライダーカード集めに夢中になった。

メンコを集めていた頃は、

 「それは、誰かとひっくり返し合って遊ぶモンだぞ」

と大人たちによく言われたものだが、
裏面に番号がふられているライダーカードは、まさしく集めて揃えるもの。
遊び方や楽しみ方を誰に否定される事なく、
堂々と集められるのだ。
しかも、
表の面は、大好きな仮面ライダーやショッカー怪人の写真である。
僕にとって “ド真ん中 絶好球” なアイテムだった。

本当に夢中で集めた。
延長商品であるX3カードも当然集めた。
その情熱の結晶である約1000枚にものぼるカードたちは、
誠に残念な事に中学生の頃に処分してしまったが、
集める事の面白さや揃える事のカッコよさは、
僕の美学として、今でもずっと胸の奥の引き出しにしまってある。

冒頭で述べた “集める事を楽しく思い、揃える事を美しく感じ” という神経は、
間違いなくライダーカードによって目覚めたものである。


そして、
そのカード集めとは別にもうひとつ、
僕をコレクターとして生きるよう導いてくれたモノがある。
それは、
ライダーカードもX3カードも集め終わった小学4年生の或る日、
本屋で何気なく手にとって数ページ読んだ漫画の単行本。
板井れんたろう先生の『六助くん』。

ギャグ漫画なんだけど、なんとも温かい作風で、
心がホッとやすらぐようなその世界観に、とても惹かれた。
どうしても欲しくなったので、
次の日からお小遣いを貯め始めたのだが、
友達と遊んでいると、
ついつい駄菓子屋などで使ってしまい、なかなか貯まらない。
で、
その本屋に立ち寄っては
数ページずつ立ち読みしていたので、
幾日か経ったら、
最後まで読み終えてしまった。
お小遣いが貯まる前に、全部読んでしまったのだ。
でも、不思議な事に、
全て読み終えた後でも、“この本が欲しい” という気持ちが消えなかった。
僕は『六助くん』を愛してしまっていたのだ。

どうしても『六助くん』が欲しい、『六助くん』を手元に置きたい、
ただそれだけ。
今思い返してみると、
あの時の気持ちは、実にピュアなものであった。
“物欲” と呼ぶには少し抵抗のある、
胸の奥から沸き起こってくる、なんだか神聖な “思い” だった。

引き続き、お小遣いをコツコツ貯める事にした。
相変わらず思うように貯まらなかったが、
『六助くん』を思う気持ちは日に日に強さを増していった。
自分の部屋の本棚をボーッと眺めながら、
『六助くん』がそこに並べられた状態を思い浮かべては、胸を熱くする毎日だった。

そして、
或る時、千載一遇のチャンス(ちょっとオーバーかな(笑))がめぐってきた。
友達の誕生プレゼントを買う事になり、
漫画が好きな子だったので、何か漫画の単行本をプレゼントしようと考えたのだが、
親同士も仲が良かった事もあり、母親がお金をくれたのである。
しかも、少し多目に。
おそらく、漫画の単行本がいくらするのか母親は正確には知らなかったのだと思うが、
「余ったら、使っていい?」
と尋ねると、OKという事だったので、
僕は一瞬にして胸がときめいた。熱くなった。
友達へのプレゼントと一緒に『六助くん』が買えるかもしれない。
僕は急いで自転車をこぎ本屋に向かった。
『六助くん』がまだ誰にも買われていない事を祈りながら。

『六助くん』はまだあった。
ホッとした。
神様が僕に味方してくれている、と思った。

友達へのプレゼントは、
その頃好きだった、
ちばあきお先生の『キャプテン』か、
永井豪先生の『キッカイくん』か、
とりいかずよし先生の『トイレット博士』か、
確かそのどれか(第何巻だったかは不明)を選んだと思うが、はっきり憶えていない。
僕の目的は
最早その友達へのプレゼントではなく、
ずっと欲しくて前々から狙っていた『六助くん』を、自分のために買う事にあったからである。
そして、
プレゼントを買ったおつりに僕が貯めていたお小遣いを足すと、『六助くん』が買えた。
言葉では言い表せないほど激しい幸福の電流が、体中に走った。

ずっと欲しかったものを手に入れた時の喜びを、あの時初めて感じた気がする。
幼稚園の頃に
欲しい怪獣のオモチャを買ってもらえた時ももちろん嬉しかったのだが、
『六助くん』の頃は、
その欲しいものの値段がいくらで、
その金額を調達するにはどれくらい大変で、といった事がわかっていたし、
自分一人でお店に行って、自分で店員さんにお金を渡して買う、というものだったので、
価値というか、意味というか、
喜びの濃度が全然違ったのである。
とても幸せな気持ちだった。

ライダーカードとX3カード集めで、
“モノ” を集める事の楽しさに目覚め、
『六助くん』の単行本によって初めて実感した、
“ずっと欲しかったものを手に入れる喜び” がそれに加わった事により、
僕のコレクターとしての気質の土台が、あの時完全に出来上がった気がする。

以来、キーホルダーだのマッチ箱だの、いろんなものを集めながら少年期を過ごし、
学校を出て社会人になり、
ソフビ怪獣人形のコレクターとなった、という次第である。




         僕が愛して止まない『六助くん』の単行本。
         第2次怪獣ブームの頃に描かれた作品なので、
         家族みんなが変身ポーズに凝るエピソードや、
         子供がソフビ怪獣人形で遊んだ後のお風呂に入ろうとしたお父さんが、
         お風呂場に散乱した人形に悲鳴をあげるエピソードなどがある。
         また、巻末には、
         あの『怪獣大奮戦 ダイゴロウ対ゴリアス』の
         ダイゴロウを主人公にした、
          『ダイゴロウ』という作品も収録されている。
         これは映画とは全く関係ない設定とストーリーで、
         等身大の怪獣ダイゴロウが
         人間たちと日常を過ごすドタバタを描いたもの。
         ダイゴロウが
         幻のようにパッと消えてしまうラストが印象的。



     板井れんたろう先生から頂いたファンレターの返事。僕の宝物。
     ちなみに、
     『六助くん』以外の板井先生の作品は、
     『ドタマジン太』、『おらぁグズラだど』、『なんでもヤッ太郎』、『ドカチン』など。




この歳になっても、
食費を削ったり夜中にアルバイトしたりして、怪獣のオモチャを買うお金を捻出している事に、
周りの人たちは呆れているようだが、
人生の成功者でも資産家でもない僕が、ソフビ怪獣人形をコレクションしていくには、
そんな必死な生活スタイルしかありえない。
だけど、
それは決して辛いとか苦しいとかではなく、むしろ、楽しい毎日。
子供の頃の、
ライダーカードを集めている時の、1枚1枚増えていくワクワク感、
『六助くん』の単行本が欲しくて欲しくてたまらかったあの時の思い、
そして、それを遂に手に入れた時の喜び、
そういったものが心に宿っているので、
コレクターでいる限り、僕は、
肉体は老化していっても、精神はずっと新鮮な状態でいられるのである。



それでは、
そんな僕のコレクター生活の楽しい苦労を思い出しながら、
愛するコレクションたちをいくつか紹介します。


モグネズン
ブルマァク製スタンダードサイズ


この人形を購入したため、預金残高が不足し、
その月のガス代が引き落とせず、
ガス会社から督促状が届いてしまった。
ガス会社さん、ゴメンナサイ。
毒ガス怪獣買ってガス代未納、なんて
シャレにもならない話だけど(笑)。

戦争の傷跡を描いた、
『帰ってきたウルトラマン』第11話「毒ガス怪獣出現」に
登場した怪獣の人形だが、
派手なカラーリングによる明るい印象が、
お話の暗く重いイメージを吹き飛ばしてくれるし、
全長約24センチで、
他のスタンダードサイズの帰りマン怪獣人形よりも
若干大きいため迫力があり、
なんだか気持ちの良い人形に仕上がっている。

おもちゃメーカーが主導権を持って
ソフビ怪獣人形を作っていた時代だからこそ、
誕生した人形と言えるだろう。


                  狂気的とも言えるこの顔の表情や、
                  こってりと塗装が乗った濃厚な背中の雰囲気は、
                  観る者を理屈抜きで圧倒させてくれる、
                  まるでアングラ俳優のようで官能的(笑)。





         ポピー製 店頭用ウルトラマン
         販売促進の目的で、
         オモチャ屋が店頭に飾る大きな人形。

 コレクションを始めて間もない頃、近所のオモチャ屋で見つけたが、
 非売品なので当然売ってもらえなかった。
 それでも、
 全長1メートル23センチという、そのデカさの迫力にハートを打ち抜かれた僕は、
 どうしても欲しかったので、
 そのオモチャ屋に通いつめ、要らないオモチャをいくつも買い、
 店のおじさんを半年近く口説き続けた。

 ・・・が、
 それでも売ってもらえなかったので、
 ひとつ策を練り、
 当時付き合っていた彼女に頼んで、
 交渉してもらう事にした。
 もちろん、僕と知り合いである事は伏せて。

 もしかしたら、相手が若い女性なら、
 おじさんは鼻の下伸ばしながら売ってくれるンじゃないか、
 そう考えたのだ。
 若い女性が大きなウルトラマンの人形を欲しがるのは変だから、
  「甥っ子にプレゼントしたい」
 という嘘の理由まで考えて言わせた。

 すると、
 ものの見事に狙いは的中した。
 お店のおじさんは簡単に売ってくれたのである。
 やはりおじさんも男。
 若い女性には甘かったのだ。

 だが、
 僕が半年通っても駄目なものを、
 初めて来た客にあっさり売ってしまうとは・・・。
 作戦がうまくいって
 手に入ったのは嬉しかったのだけど、なんかムカついた(笑)。





       ガッパ 
       日東科学教材製

        全長は、向かって左から、
        約25センチ、約21センチ、約12センチ、約9センチ。


 上の写真の、向かって左端のものが、
 一番最初(昭和42年)に作られたガッパ人形であるが、
 このように、
 勇猛な顔の表情と真っ赤に燃える目が、
 怒りの感情をストレートに表し、
 リアルな足の表現も相俟って、
 スクリーンで暴れまわっていたガッパを
 見事に再現している。

 それに、
 スリムなフォルムが、実物のガッパ以上にカッコよくて、
 怪獣に憧れる子供の心を絶妙にくすぐる、
 見事なデフォルメだと思う。
 その隣の3種は、
 後年になって新造形されたものだが、
 クオリティが明らかに落ちていて残念。
 同じメーカーが同じ怪獣人形を作り直して
 どうしてこんなにも差が出るのか、実に不思議。

 でも、
 出来が悪いからといって、
 買わないわけにはいかないところが
 コレクターの性(笑)。
 各サイズ揃えないと気がすまないのである。

 はっきり言って、
 左端以外の人形は、
 3体とも哀しいくらい等閑な造形・彩色だが、
 “各サイズ揃っている” という満足感が、
 僕の暮らしを快適にしてくれるのだ。

 ・・・コレクターじゃない人には
 きっと解ってもらえないだろうなぁ。

     色違いやサイズ違いをコツコツ集めていくのが
     ソフビ怪獣コレクションの醍醐味だが、
     これらガッパ人形だけは、各サイズを一日で揃えてしまった。
     或るTOYショーに出かけた際、
     覗いたブース毎に、偶然、サイズの違うガッパ人形が売っていて、
     入手する事が出来たのだ。
     その日を僕は “ガッパの日” と命名した(笑)。

     所持金を全部使い果たし、
     さらに、不足分をATMで引き出して購入したので、
     帰りの電車代も夕食代もなくなって、
     徒歩で何時間もかけてヘロヘロになりながら帰路につく羽目になった。
     しかも、
     そのせいで預金残高が三桁になってしまったため、
     翌日から給料日が来るまでの約10日間、
     “食パンと水だけ” という食生活を余儀なくされる事になった(苦笑)。

     だけど、仕方ない事。
     アンティークソフビというものは、
     何十年も前の絶版商品であるがゆえ、絶対数が少ない代物。
     もう二度と出逢えないかもしれないのである。
     だから、
     出逢った時が入手する時。
     それが “縁” であり、“運” でもある。
     入手出来る時に入手しておかないと、
     お金で解決出来る時にお金で解決しておかないと、
     一生の後悔になるかもしれないのだ。
     帰りの電車代の事を考えたり、
     呑気に食事なんかしてる場合ではないのである(笑)。



人間が生きていくには
衣・食・住が不可欠だが、
美意識とか清遊とか、別に無くても死にはしないようなものを、
衣・食・住と同等の、あるいはそれ以上のレベルで欲しているのが、
僕らコレクターである。

楽しく美しく幸せになりたい、と
いつも思っている。願っている。信じている。
言ってみれば、
夢を食べて生きているのだ。

だからこそ、
貧しくても、心豊かに笑顔で生きていけるのだと思う。



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