第47回 「魂のソフビ」 2007.12
現在、僕は、来年1月に本番を迎える舞台に向けて稽古稽古の日々を送っています。
演目は『キネマの天地』。
プロアマ問わず多くの芝居関係者に愛され続け、
各地で様々な劇団によって公演されている、あの傑作です。
僕の役は、尾上竹之助という“売れない役者”。
そもそも売れない役者なのだから、役作りの必要が無くて楽なのではないか、
と周りから皮肉られていますが(笑)、
“芝居”というのは、やはり奥が深いです。
台本を読み込めば読み込むほど、演じれば演じるほど、その世界に惹かれてしまいます。
こんな難しい事を僕なんかが出来るわけがない、
という、後ろ向きでミジメったらしい思いも頻繁に襲ってきますが、
演じる事の面白さや魅力といったものが、そのマイナス感情をすぐに吹き飛ばしてくれます。
元々、“40歳でデビュー” などという、
一般的常識からはかけ離れた僕の役者業ですので、
開き直り的要素を多分に含んだスピリットを持ってやっています。
だから、基本的に前向きなものなのです。
役者には子供の頃から憧れてはいましたが、
それは、あくまでも夢の世界の人たちであって、
職業として俳優をめざそう、とか、本格的に勉強しよう、とか、
そんな事は考えもしませんでした。
自主制作映画のようなものに出演したり、劇団の養成所でレッスンを受けたりはしていましたが、
僕にとって、それは、ソフビ怪獣人形のコレクションと同じで、
趣味・道楽のひとつでしかありませんでした。
老いた両親もいたし、結婚して子供もいたので、
目の前の生活を地道にこなしていく事が僕の人生だと信じていたのです。
でも、何が起きるかわからないのが人生。
離婚して子供たちとも離れ離れ、両親も他界してひとりぼっちになり、
30年ローンでせっかく建てたコレクションルーム付きのマイホームも、
たった4年住んだだけで手放さなくてはならなくなりました。
日々の暮らしが自分の決して望んでいない方向に傾いていくのを、
元に戻す事はもちろん、食い止める事すら出来ない、
そんな自分自身の無力さを痛感し、
“人生なんて、自分ひとりの力ではどうなるものではない”
“未来は、自分の思い通りになるとは限らない”
という、当たり前の事を強く実感しました。
だったら、
好きな事だけやって人生を楽しんで生きよう、
そう思ってサラリーマンを辞め、役者になりました。
とは言っても、
当然食えない月の方が多いですから、アルバイトをして食いつないでるのが現状ですし、
殺陣やアクションが出来るわけでも、歌や踊りが出来るわけでもないので、
これといってアピールするものは何もありません。
ただ、演じる事が好き、というだけです。
なので、
友人からは、
「お前は、楽天家だ」
「ノーテンキにも程がある」
などと、とよく言われます。
でも、自分自身では楽天家だともノーテンキだとも思っていません。どちらかと言えば心配性な方ですし。
まぁ、友人たちは、
「生きてくって事はそんな甘いものじゃない。フラフラしてないで落ち着けよ」
という忠告を、
“楽天家”とか“ノーテンキ”とかいう言葉を使って、やんわりとしてくれているのでしょう。
だけど、成り行きとは言え、僕としては大真面目。
両親からもらった命、たった一度の人生を、力の限り生きるために選んだ道なのです。
そんな僕が、
毎日の舞台の稽古はもちろん、仕事に出かける際には必ず拝んでいく人形があります。
それは、
マルサンのキケロ星人・ジョー人形。
昭和42年に放送された『キャプテンウルトラ』に出てきた宇宙人です。
演じていたのは、御存知、小林稔侍さん。
どうしてこの人形を拝んで仕事に臨むかというと、
20年近く前にテレビで見た、或るバラエティ番組での小林さんの言動が
とっても素敵なものだったので、
それを思い出すたびに身が引き締まり、心が奮い立つからなのです。
その番組の内容は、
スタジオで昔のテレビドラマのワンシーンをVTRで流し、
それを司会者やゲストが見て笑い合う、というものでした。
そこで、
“小林稔侍も若い頃はこんな役をやっていた”
という事で、
『キャプテンウルトラ』が紹介されたのです。
それが “怪獣もの” という子供番組であった事や、
巨大なサザエのような被り物をしたタイツ姿の若き日の小林さんと
現在の渋い小林さんとのギャップに、
スタジオ内は大爆笑となります。
そんな中、
司会者が小林さんにこう振りました。
「小林さん、今見ると恥ずかしいですか?」
司会者の方としては、小林さんから、
「そうですねぇ、恥ずかしいですねぇ」
というような言葉をもらって
そのコーナーを締めたかったようでしたし、
スタジオの雰囲気も小林さんのそんなコメントを期待している感じでした。
でも、
小林さんはその流れを無視して、このように答えました。
「いや、あの頃は全然食えなくて貧しかったンですが、
クサらず毎日一生懸命やってればきっといい事があると信じていました。
そんな時にいただいた役でしたので、とっても嬉しかったですし、
今でも誇りに思っています」
一瞬、出演者やお客さんのバカ笑いが止まり、番組の空気がおかしくなりましたが、
僕は感激しました。
ああ、この人が出てた番組を子供の時に見る事が出来て、僕は幸せだなぁ・・・。
そう思いました。
僕は『キャプテンウルトラ』が大好きだったし、
キケロ星人・ジョーのソフビも子供の頃に持ってました。
いや、僕だけじゃない。
僕と同世代の人なら、『キャプテンウルトラ』を夢中で見ていた人は大勢いるはずです。
あそこで小林さんに
適当に調子を合わせて「恥ずかしいです」と答えられたら、
『キャプテンウルトラ』を見て育った僕らとしては、ちょっと淋しい気持ちになるでしょう。
小林さんの言動はとても立派なものだったと思うし、何より嬉しかったです。
そもそも、
恥じるような仕事など、昔も今も小林さんはしていません。
どんな状況でも、はっきりと「キケロのジョーを誇りに思っている」と言えるのは、
小林さんが、
役者として成功した今日でも、初心を決して忘れず仕事に取り組んでいらっしゃる証拠。
小林さんの役者魂は、
バラエティ番組の雰囲気に呑まれたり流されたりするような軟弱なものではなかった、
という事です。
カッコいい人だなぁ、と思いました。
そして、この小林さんの言動は、
毎日を精一杯生きるための、僕のエネルギー源になっています。
ただ、小林さんが、
毎日一生懸命やっていれば必ずいい事がある、と信じて売れない役者をやられていたのは、
小林さんが20代の頃。
40歳を過ぎて、そんな何の保障も無い毎日を過ごしている僕は、
やはり、楽天家でノーテンキなのかしら(笑)。
まぁ、でも、
僕は自分自身が好きですし、自分を信じてますので、
これからも、このスタンス、このスタイルで生きていこうと思います。
あと残りどれだけある人生かわかりませんが、“表現者” として精一杯生きていこう、と思っています。
僕の芝居を観て、
元気が出たり、温かい気持ちになったり、幸せな気分になったりする人が一人でもいたら、
僕の人生も捨てたモンじゃない、って思うのです。
それが楽天家とかノーテンキとかに相当するのなら、楽天家・ノーテンキ、大いに結構。
自分の人生は自分の力で切り拓いていかねばならないのだし、
人は、自分以上の自分にも、自分以外の自分にもなれないのですから。
水木しげる先生も、
著書『ほんまにオレはアホやろか』(社会批評社)のあとがきの中で、こうおっしゃっています。
「わが道を熱心に進めば、いつかは神様が花をもたせてくれる。
神様が花を持たせてくれなくても、それはそれなりに、また救いがあるものだ。
人がどうこうしたからとか、スタートに遅れたからといって、クヨクヨすることはない」
これは、
どんなに周りから馬鹿にされても、
お化けや妖怪といったものの研究を一生懸命やってきた結果、
現在、その “お化けや妖怪” で飯が食えている、という御自身の人生から得た教訓であろうと思います。
水木先生の長年にわたる研究と、
成り行きでなっちゃった僕のちっぽけな役者稼業を一緒にするのは恐れ多い気がしますが、
水木先生のこの言葉は、僕の心の支えであります。
思い通りにいかない事ばかりの毎日でも、精一杯生きていれば、必ず良い事がある。
僕はそう信じて生きているのです。
胴体の成形色は肌色。 キケロ星人・ジョーが飾ってある僕のショーケース。
つまり、顔と首以外は、 ここに向かって手を合わせ、拝みます。
“くるみ塗装” が施されています。 まるで神棚(笑)。
演じていた小林さんの役者魂と同様、
人形作りにも丁寧な仕事がしてあり、
“心” を感じます。
偶然、僕の名前にも小林さんと同じ “稔” という字が含まれています。
名前だけでなく、役者としての中身も、生き様も、魂も、
少しでも小林さんに近づけるよう、これからも精進したいと思います。
というわけで、『キネマの天地』、見に来て下さいね。
・・・って、結局宣伝かいっ!? (笑)。
天白浪漫劇場 第13回公演 『キネマの天地』 作・井上ひさし
日 時:2008年1月26日(土曜日) 午後2時〜 午後6時〜
27日(日曜日) 午後2時〜
場 所:名古屋市天白文化小劇場(地下鉄鶴舞線「原」駅2番出口 原ターミナルビル4階)
入場料: 大 人 前売2,000円 当日2,500円
小中学生 前売1,000円 当日1,500円
主催◆天白浪漫劇場
後援◆愛知県・名古屋市・名古屋市文化振興事業団