真水稔生の『ソフビ大好き!』


第21回 「仮面ライダーシリーズの底力」 2005.10

昭和49年、オイルショックによる特撮テレビ映画の制作費高騰が
番組の質的低下を促し、
これに代わる形で台頭してきた『マジンガーZ』や『ゲッターロボ』などの
巨大ロボットもののアニメ作品の影響で、
第2次怪獣ブーム(変身ブーム)はその幕を閉じ始めた。
円谷プロのウルトラシリーズも、
体力の限界を感じて引退するスポーツ選手のように『ウルトラマンレオ』で物悲しく終了へ向かっていく。

しかし、東映は、
低コストを強いられながらもクオリティの高い作品を作り続ける情熱を失わず、
“ピンチこそチャンス” という発想のもと、
ブームの中で異常に多数作られた特撮ヒーロー番組の作品群を淘汰して再びエポックとなるような、
新しく、かつ、良質な作品を創り出そうと努力した。
そんな中、生み出されたのが、
『仮面ライダー]』と『仮面ライダーアマゾン』である。
今回は、
この二人の仮面ライダーから、“仮面ライダー” の魅力を探ってみたいと思う。

 

『仮面ライダー]』

昭和49年2月から放送が開始された仮面ライダーシリーズ第3弾。
謎の犯罪組織GODへの加担を拒否したため、
神教授は襲撃され瀕死の重傷を負い、大学生の息子・敬介も凶弾に倒れてしまう。
神教授は最後の力を振り絞り、
改造手術を行って敬介の命を救った後、息絶える。
改造人間としてよみがえった敬介は、父の遺志を継いでGODと戦う、仮面ライダー]となった。
 
『仮面ライダーX3』の後番組であるこの作品は、
文明社会に警鐘を鳴らす大自然の使者である仮面ライダーを、
銀色のマスクやベルトから引き抜き使う特殊武器・ライドルなどによってメカニカルに表現し、
レッドアイザーやパーフェクターといったパーツが
神敬介の顔に装着されていく変身過程の斬新な映像をもって、
新感覚の仮面ライダーとして登場した。

しかし、
スパイ活劇に恋人の裏切りの謎をからめたミステリアスなドラマを展開する、
という深みのある作風や、
ヘラクレスやユリシーズといったギリシャ神話のキャラクターをモチーフにした怪人たちの渋い個性は、
人気の頂点を極めた前作『仮面ライダーX3』の派手なインパクトに比べると
若干地味な印象で、
今ひとつ盛り上がりに欠けた感があった。
僕個人としては、
少年仮面ライダー隊のような非現実的な設定があまり好きではなかったので、
この新番組の大人っぽい雰囲気は胸がときめいたが、
一般的には歓迎されなかったようで、
放送開始からわずか2ヶ月で路線変更され、]ライダーの好敵手・アポロガイストの登場となる。

そして、その後、
頬づえをついて横たわったままの巨大な大幹部・キングダークの出現に伴い、
怪人も、ギリシャ神話の怪人から、
タイガーネロやカブト虫ルパン(笑ってはいけない)といった、
過去の悪人の死体に動物や昆虫の能力を植えつけてよみがえらせた怪人、
という、
低年齢層をターゲットにしたものにリニューアルされると、
後半にはX3・風見志郎や2号ライダー・一文字隼人の効果的なゲスト出演もあって、
娯楽性に富んだ華やかな作品へと変貌していった。

このように、『仮面ライダー]』は、
視聴者の反響を意識しながら番組の向かうべき方向を摸索し続けて、
ミステリードラマ編、アポロガイスト編、キングダーク編、という起伏の激しい内容になったが、
それがまさに “](未知の値)” として、
仮面ライダーというキャラクターの間口の広さや奥行きの深さを印象づける結果となった。

魅力溢れる新しい仮面ライダーを創り出そうとするスタッフの努力やセンスは、
間違いなく賞賛に値する。
画期的な新路線をしっかりと打ちたてていながら、
それが思惑通りにいかなかった場合にも
即座に対処出来る柔軟さには、
ヒーロー番組製作の老舗である東映のたくましさを感じずにはいられない。
『仮面ライダー]』は、
仮面ライダーがまだまだ未知なるキャラクターであり、
スタッフの情熱やアイデアによって
いかなる設定や展開にも対応可能なヒーローである事を、
一番最初に示唆した、意義ある作品なのである。
 
余談だが、
神敬介を演じた速水亮さんが、以前ダウンタウン司会のバラエティ番組に出演されて
当時の思い出を語る中で、

 「最も手強かった敵は?」

との問いに、

 「火薬。あと、高い所も恐かった」

と答えられ、
松本さんと浜田さんを笑わせていた。
そんな笑いの中にも、
テレビを見ていた僕ら子供達を魅了した迫力は
スタッフや出演者の方々の弛まぬ努力と命をかけた取り組みがあったからこそなのだ、
と改めて敬意を抱いた。
もちろん、松本さんも浜田さんも
当時テレビを見ていた子供達のひとりだ。

     当時の仮面ライダー]のソフビ人形は、
     スタンダードサイズにもミニサイズにも、
     ライドル(と言ってもただの棒(笑))が別パーツで付いていた。
     袋入りのデッドストック品でない限りは紛失してしまっている可能性が非常に高い。
     向かって右側の写真は、
     ミニサイズよりも更に小さいサイズで、
     イナズマン人形などと一緒にセット売りされていたもの。
     甘いお菓子の匂いがしてきそうな成形色が、
     いかにも“子供のオモチャ”って感じだし、
     オタマジャクシみたいな造形も可愛い。何故かマフラーは黄色。



この回が泣ける!
 第2話「走れクルーザー!]ライダー!!」

神敬介は、
父親の形見のフルートを涙を流しながら吹くススム少年と出会い、
父親を亡くした者同士頑張ろう、と励ます。
ススム少年はそんな敬介の言葉に、悲しみに閉ざしていた心を開き始める。
だが、
怪人パニックの吹く笛の音に惑わされた団地の住民が、
ススム少年のフルートの音色が自分達を狂わせる、と言ってススム少年に襲いかかる。
敬介はそれを止めに入るが、
素手で刃物をはじき返したところを目撃したススム少年から、

 「お前は人間じゃない、ロボットだ」

となじられる。
ロボットには父親なんかいないから、
敬介は自分に嘘をついていたと、ススム少年は思ってしまったのだ。
再び心を閉ざしてしまうススム少年。
また、敬介も、ススム少年の言葉に自分が改造された体である事を改めて実感し、
ひどく落胆してしまう。
亡き父・神教授の意識と人格を受け継いだコンピュータが設置されている神ステーションに
やってきて、

 「俺はもう人間じゃないのか」

と悲しみにくれる敬介に、コンピュータは、

 「人間でない事に誇りを持て」

と諭す。
巨大な悪の組織・GODと戦い人々を救う事が出来るのは、
仮面ライダーになった、つまり、人間ではなくなった、敬介しかいないからである。
そしてコンピュータは、
敬介が何かある度に神ステーションへ泣き言を言いにやって来るような軟弱な男になる事を防ぐため、
自爆の道を選ぶ。
爆発する神ステーションを見つめ、天国の父親に強い精神で誇りを持って戦いぬく事を誓った敬介は、
決意も新たに]ライダーに変身し、怪人パニックをうち倒すのだった。

また、
この物語には、粋なラストが用意されている。
狂った団地住民たちに踏みつぶされ、
折れ曲がってしまい音が出なくなったフルートを持って落ち込んでいるススム少年の前に、
再び敬介が現れ、
改造人間の怪力でその折れ曲がったフルートを元の状態に戻して直してあげて、

 「人間じゃない、ってのもいいものさ」

と優しく微笑むのだ(ココ、めちゃくちゃカッコいいです)。

男の本当の優しさは強い男だけが持っている事を、
おそらくこの時ススム少年は知ったであろう。
そして敬介も、
今回の戦いで一回り大きく強い男に成長したのだった。

実に完成度の高いドラマだと思う。
脚本は、『快傑ズバット』や『特捜最前線』などで有名な、あの、長坂秀佳氏である。



「人間でない事に誇りを持て」は名言だと思う。
それまでのライダーは
改造された哀しみに耐えながら戦っていたが、
その戦いの歴史は今や栄光の軌跡と崇められ、
仮面ライダーは英雄的存在として確立されていたのだ。
改造された事は名誉なのである。
X3で完結した仮面ライダーの物語が
新たなスタートを切った事を明示する、
本当の意味での
仮面ライダーシリーズが始まった事を宣言した、
記念すべき言葉でもあるのだ。




『仮面ライダーアマゾン』

『仮面ライダー]』の後を受け、
昭和49年10月から放送が始まった仮面ライダーシリーズ第4弾。
幼児期に遭遇した飛行機事故によりアマゾンの奥地で遭難しながらも、
生き残ってたくましい野生の青年に成長した日本人・山本大介は、
彼を育てた長老バゴー(インカ帝国の一族の末裔)の秘術により、
オオトカゲの怪人に変身出来る能力を与えられ、
古代インカ科学の秘宝の鍵・ギギの腕輪を託されて日本にやってきた。
大介は、
祖国でありながら右も左も話す言葉もわからぬ地で、
ギギの腕輪を狙う悪の組織・ゲドンと戦う事になるのだが、
まさひこ少年や立花藤兵衛との出会いによって、徐々に日本語を理解し文明を受け入れ、
ここに、
世界の平和と人間の自由を守るヒーロー・仮面ライダーアマゾンが誕生する。

オオトカゲの化身というその不気味な風貌から、
異色の仮面ライダーとして捉えられがちだが、
前作『仮面ライダー]』のメカニックなイメージを180度転換した野性味溢れる個性や、
日本語がわからない事による主人公の孤独感は、
物語の持つ怪奇性ともども仮面ライダーの原点であり、
アマゾンライダーこそ、
原作者である石森章太郎さんがイメージしたヒーロー像に最も近い存在ではないかと思う。

それまでのライダーのようなスマートな戦いには無かった、
牙で噛みついたり爪で引っ掻いたりする攻撃も、
ライダーキックに魅了されていた僕ら子供達にも違和感なく受け入れられるだけの説得力があって
カッコよかった。
また、
敵キャラクターである獣人は、
昆虫や動植物に人間の知能を植えつけるという、
従来の怪人とは逆の方法で作り出される生き物ゆえ、
その姿が人間よりも獣に近いものになっていてとても印象的だった。
ワニ獣人は巨大なワニそのもののスタイルでまるで怪獣のようだったし、
ヘビ獣人やカニ獣人、あるいは着脱可能の頭部の下にもうひとつ別の顔があるガマ獣人など、
仮面ライダーシリーズに登場する怪人の中でも出色の出来を誇る素晴らしい造形のものが多かった。
しかも、
ゲドンを結成した十面鬼ゴルゴスは、
巨大な岩石に自分の体と9人の悪人の顔を組み込んだ改造人間で、
その恐ろしい姿形にはド肝を抜かれた。
そんな強烈なインパクトの連中とアマゾンライダーが繰り広げる荒々しいアニマルアクションは迫力満点で、
1秒たりとも目が離せぬ壮絶な死闘であった。

或るテレビ番組で、

 「アマゾンで仮面ライダー見るのをやめました」

と発言した中森明菜さんや、
スタジオに現れたアマゾンライダーを見るなり、

 「恐い」

と言って泣き出した山瀬まみさんらの言動からしてみても、
甘ったるいアニメを見て喜んでいる女子供には到底わからぬであろう男の世界、
みたいなものが感じられて、
異形の怪物を主人公に据えて神秘的な怪奇色を前面に打ち出す『仮面ライダー』の世界観を、
アマゾンライダーがしっかりと表現していることが窺える。

     当時の仮面ライダーアマゾンのソフビ人形は、
     なぜかメーカー不明の無版権商品(いわゆる海賊版)が多く、
     集め甲斐があってとても楽しい。
     向かって右の写真がその集団。
     仮面ライダーアマゾンというキャラクターの魅力を見事に表現した素晴らしい造形のものもあり、
      海賊版だからといって決して侮れない。


この回が泣ける!
 第20話「モグラ獣人 最後の活躍!!」


モグラ獣人は、
ギギの腕輪の強奪という任務に失敗した罪により処刑寸前のところを、
アマゾンに救出されたゲドンの獣人であり、
敵に助けられた事にジレンマを抱きながらも、
まさひこ少年との心の交流などから愛と正義に目覚め、アマゾンに協力して悪と戦う日々を送っていた。
そんな或る日、
人間を溶かしてしまうカビを撒き散らすキノコ獣人が出現する。
モグラ獣人はそのカビの解毒剤精製に必要なカビを採取するため、
アマゾンを裏切り悪に手を貸すと偽ってキノコ獣人に接近するも、狂言と見抜かれカビを浴びせられてしまう。
それでもモグラ獣人は息絶え絶えなんとか体に附着したカビを持ち帰り、
必ず悪を倒してくれよ、と言い残してアマゾンの腕の中で息を引き取る。

 「モグラぁ、死んじゃイヤだーっ!」

と、まさひこ少年が泣き叫ぶ中、アマゾンの怒りは頂点に達する。
そして、
モグラ獣人が命と引き換えに持ち帰ったカビのおかげで解毒剤が精製され、
アマゾンライダーは怨敵キノコ獣人を倒す事が出来るのだった。

涙と熱いものが込み上げる、最高のドラマだと思う。
「チュチュ〜ン」というモグラ獣人の鳴き声は、今でも僕の耳の奥でこだましている。




クライマックスであるアマゾンライダーとキノコ獣人の戦いには
シビれるものがある。
この時アマゾンライダーはヒーロー・仮面ライダーではない。
親友・モグラ獣人の仇を討つためだけに
キノコ獣人を殺しにかかる、一匹の野獣である。
相手に反撃を一切許さずボコボコに打ちのめす姿からは、
アマゾンライダーの怒りや悲しみがストレートに伝わってきて、
胸が震える。
そんな強烈で激しい一方的な攻撃を受けて
フラフラになったキノコ獣人に、
突如背を向けたアマゾンライダーが、
大空に向かって「モグラぁー!」と叫んだ時、
一体何人の視聴者が涙した事だろう。
そして振り向きざまにとどめの必殺技・大切断。
仮面ライダーシリーズ史上、
最も心打たれるバトルシーンだと僕は思う。
主題歌の歌詞にもある、
“正義のためなら鬼となる”とか
“友よ、お前のためならば”とか、
そんな熱いフレーズを、
このバトルシーンが実感させてくれる。


このように、
第2次怪獣ブーム(変身ブーム)が終結をむかえる時期に
これほど魅力的な仮面ライダーが作られた事、
つまり、
容赦ないアニメ作品の台頭に屈する事なく特撮実写作品の新たな可能性を
仮面ライダーシリーズが見出していたという事は、
歴史上見逃せない事実である。
なぜなら、
この後約30年間にわたってアニメ作品にとられていた児童文化の主導権を
今再び特撮実写作品に取り戻そうとするのも、やはり、仮面ライダーシリーズだからである。

平成12年に『仮面ライダークウガ』で復活を果した仮面ライダーシリーズは、
その後も、
『仮面ライダーアギト』、『仮面ライダー龍騎』、『仮面ライダー555』、『仮面ライダー剣』、と
次々と人気を博し、
現在放送中である『仮面ライダー響鬼』では、
“完全新生”の旗印通り、見た目もストーリーも世界観もまったく新しい仮面ライダーが描かれ、
子供から大人まで多くの視聴者を魅了している。

平成の仮面ライダーシリーズは、
スーパー戦隊シリーズと並んで今や東映の二枚看板となり、
昨今のヒーローブームを大いに盛り上げているのだ。
特撮実写ドラマが大好きでアニメが苦手な僕としては、嬉しい限り。

僕がソフビ怪獣人形のコレクションを始めた頃は、
オモチャ屋さんに仮面ライダー関連の商品は一切無かった。
ゴジラやガメラなんて、すっかり忘れ去られていた。
唯一、バンダイのウルトラ怪獣シリーズ(当時の商品名はウルトラ怪獣コレクション)はあったが、
円谷プロが特撮テレビ映画を何も作っていない時代だったので、
売り場の隅にほんの申し訳程度に置いてある状態で、淋しいものだった。
特撮ヒーローや怪獣になど、子供達は見向きもしなかったのだ。

それを思えば、
ヒーローブームに伴う現在のオモチャ屋さんの活気ある賑わいは、夢のような光景である。
子供が仮面ライダーのオモチャを買っていく姿を見かけると、
とても嬉しい気持ちになる。
僕が愛し忠誠を誓ったヒーローは、
永遠の輝きを持った素晴らしいキャラクターであった事を実感するからだ。

ブームを巻き起こし、
そのブームが下火になった時にも価値あるものを残し、
月日が流れて再びブームを巻き起こす、
仮面ライダーが不滅のヒーローである事を、あの時、]とアマゾンはすでに教えてくれていた。
その後も、
電気人間になったり、空を飛んだり、手から光線出したり、あるいは巨大化までしたり、
仮面ライダーはキャラクターとしての器の大きさを僕らに見せつけ続けてきた。

そんな、無限にも近い可能性を秘めた仮面ライダーシリーズが、
我が国の児童文化の展開を支えている。
僕が]やアマゾンを見ていた昔も、僕の子供がその時の僕と同じ年頃になった今も。

                          

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