真水稔生の『ソフビ大好き!』


第128回 「ロンリー道楽親父」  2014.9

仕事で名古屋を離れています。
先ほど、
宿泊先のホテルに着いてすぐ、
息子たちに携帯電話からメールを送りました。


離婚によって離れて暮らすようになって15年、
息子たちとは、たまに会って
一緒に食事したり旅行に出かけたりしてきましたが、
長男も次男も
もう大学生ですので、最近ではそんな機会もめっきり減ってしまいました。
なので今は、
メールのやりとりが、
父子のコミュニケーションをはかる、いちばんの手段になっています。

息子たちの事は
当然の事ながら常に気になりますから、
2人の現状を知ったり
僕の思いや考えを伝えたりするため、
本当は頻繁にメールしたいところなのですが、
それも鬱陶しいでしょうから、
誕生日だとか
新学期の始まりだとか
年末・年始だとか、
そういう、何か特別な事があった際に、
それに託けて、
すかさず送るようにしています。
あくまでも、“自然な流れ” を装って・・・(笑)。

ただ、
そういった特別な日は、そうそうありませんので、
息子たちの暮らしの中にだけではなく、
僕の暮らしの中にも、
メールを送る事に託けられる出来事をいつも探しています。
たとえば、
泊りがけの仕事で名古屋を離れた今日などは、まさにそれ。

 どこに来ているのか、
 どんな町なのか、
 いつまで滞在するのか、
 仕事の内容は、
 どんなドラマ(どんな映画)で、どんな役なのか・・・等々、

僕がメールしてきた事を
息子たちが不自然に感じない、
もっともらしい “理由・きっかけ” がちゃんとあるし、
返信しやすい話題の提供も出来るわけで、好都合なのであります。

僕の存在を思い出してもらい、
かつ、
息子たちの近況を知る、“絶好のチャンス” というわけです。


でも、
これだけ気を遣っているにもかかわらず、
2人とも、
忙しいのか面倒くさいのか、
なかなか返信してくれないのが現状でして・・・(哀)。

今回も、
送信してから
かれこれ2時間近く経ったのに
まだ返信が来ず、
こんな原稿を書いている次第であります。

前回メールしたのは1ヶ月以上前だから、
そんなにウザくはないと思うンだけどなぁ・・・。

う〜ん、こうなったら、

 明日は、
 大島優子と共演だ、とか、
 ガッキーと共演だ、とか、

嘘のメール送って、無理やり食いつかせたろかな(苦笑)。


ってなわけで、
今回は、
息子たちからの返信メールを待ちながら、
息子繋がり、ゴジラの息子・ミニラのソフビを紹介します。

まずは、昭和のソフビから・・・。 
 
     













マルサン製、全長約17センチ。

   
 これまでに何度も述べてますが、
 昭和のソフビは、
 実物の怪獣をリアルに再現する平成のソフビと違い、
 実物の怪獣をデフォルメして表現するもの。
 実物どおりの姿形はしていません。
 たとえ怪獣の人形と言えど、
 オモチャならば可愛らしい見た目にアレンジしなければならない、
 というのが、当時の玩具業界の常識でしたから。

 けれど、
 時に、
 その昭和のデフォルメ造形は、
 平成のリアル造形以上に、
 実物の怪獣の魅力をリアルに感じさせてくれる事があります。
 映画『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』が公開された昭和42年に発売された、
 このマルサンミニラの造形が、まさにそれです。
   
 いびつな形の頭、つぶれた鼻、
 ボロボロの歯、意味不明な傷がある背中・・・等、
 それらは、
 決して実物の形状を正確に伝えているとは言えませんが、
 どう見てもミニラ。
 絶妙に、ミニラなのです。
      マルサンは、
業界の革命児ゆえ、挑発的表現で怪獣の玩具化に取り組みました。
デフォルメ、と言っても、
単に可愛らしい愛嬌を持たせるのではなく、
異形なものが持つ怖さを活かして
あえてその “醜” を過剰に演出して遊ぶ、という
アバンギャルドな造形の人形にしたのです。

その粋なセンスが、
延いては、
“醜” の裏に隠れていた哀しみや愛くるしさを外形に滲み出す事となり、
怪獣を、愛されるべき存在として世の中に認知させる事態を招きました。

オモチャの人形が、

 “なぜ、怪獣は魅力的なのか”、
 “なぜ、子供たちは怪獣が好きなのか”、

を解き明かしたのです。 児童文化史に残る、凄い功績です。

そんな、
オモチャの夢を信じ、子供たちの空想力に賭けたマルサン造形の
顕著な例のひとつであるのが、このミニラ人形。
ミニラという怪獣の、
容姿だけでなく存在意義までをも、見事に立体化しています。
ブサイクなのに愛嬌を感じるのは、そのせい。
つまり、ブサイクである事に “意味” があるわけですね。
        そして、それこそが、
  アンティークソフビのファンが
  マルサンを永遠のトップメーカーに位置づける最たる理由 。

  懐かしさだけではない “奥深さ” が、そこにはあるのです。


    これは、
『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』から2年後の昭和44年、
『ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃』の公開の際に発売されたミニラ人形。

島田トーイ製、全長約22センチ。


マルサンのミニラ人形の造形を模して作ったものですが、
今ひとつインパクトが弱い、
と言うか、
愛嬌が中途半端。
ブサイクである事に “意味” があったマルサンミニラと異なり、
こちらは、“意味” もなく、ただブサイクなだけです(笑)。

原因は、
マルサンの精神を理解せず、
その形を、上っ面だけで真似しているからだと思います。

怪獣をゲテモノ扱いする大人たちに、
怪獣の息吹が感じられるような造形で大胆に切り返したマルサンの魂とは
むしろ逆に、
怪獣をゲテモノ扱いする大人たちの機嫌を窺うかのごとく、
その容姿を小奇麗に整えようとした結果、
かえって不気味さが増してしまい、
ミニラという楽しい怪獣の魅力を伝える力が弱まってしまった、と言えます。
     僕は子供の頃、
 マルサンのミニラ人形も
 この島田トーイのミニラ人形も両方持っていましたが、
 やっぱ、
 マルサンミニラほど、これを愛していませんでした。
 
 ゴジラ人形より小さく作ってあるマルサンミニラと違い、
 ゴジラと同じ大きさに作ってある事や
 その “意味” も無くブサイクな顔の造形から、
 精神性の薄い玩具である事を
 なんとなく感じ取っていたのかもしれません。
 ソフビコレクターという大人になった今日のように理屈・能書きは言えなくても、
 怪獣を愛する子供としての素直な感覚で・・・。



 でも、
 もちろん、今では、
 そんな残念なプロフィールや当時の思い出も含めたところで
 この人形を愛し、
 大切なコレクションの1体として、抱きしめるように所有しています。
     
       
       
      翌年には、
第41回「やさしい気持ち 〜怪獣映画の見立て〜」の中でも紹介したとおり、
同じ人形がブルマァクからも発売されました。

当時、ブルマァクソフビの金型を管理していた島田トーイが、
間違って、
ブルマァクではなく自社の刻印を入れた人形を発売してしまい、
翌年、ブルマァクの刻印で正しく発売し直した、
という説もありますが、
真相は不明です。
     その刻印は、足の裏にあります。 
        島田トーイ版の足の裏。

右足に版権元である東宝の刻印。
左足に島田トーイの刻印(ひよこのマーク)。
           
          ブルマァク版の足の裏。

右足には、
例によって無神経なまでにデカいブルマァクの刻印、
しかも、
東宝ではなく円谷プロの版権(本当に無神経(笑))。
左足の島田トーイの刻印は、
消そうとしたのでしょう、薄くなっています。
ちゃんと消さないところも無神経?(笑)


そして、平成のソフビ・・・。 
           
         
                  バンダイ製 ゴジラ怪獣シリーズ、全長約14センチ。

 平成3年(4年だったかな?)の発売。
 実物のミニラに忠実な造形と彩色で商品化されています・・・が、
 ね?
 デフォルメした造形のマルサンミニラの方が、なぜか実物に近い気がするでしょ? 


       
                 バンダイ製 ムービーモンスターシリーズ、全長約15センチ。

 平成16年に公開された映画『ゴジラ FINAL WARS』に登場したミニラは、
 昭和のミニラと違って、
 将来ゴジラになる事が想像しやすい顔をしていたのが特徴。
 映画公開時に発売されたこの人形は、それをきちんとリアルに再現。
 さすが、平成のソフビです。

 でも、
 進歩した技術でそうやってしっかりと作ってあるのに、
 ソフビも
 映画そのものも、
 やっぱり昭和の方が面白い、って感じてしまいます。

 怪獣を表現するなら、
 オモチャも映像も、
 過激でアクが強いものじゃないと物足りない、って事ですね。

  「またかよ」

 って言われそうですが、
 つくづく、
 僕は良い時代に少年期を過ごしたものだ、と思ってしまいます。




話は変わりますが、
我が愛知県には、昭和8年に建てられた、日本で最も古い人形塚があります。
人形塚とは、
壊れた人形・玩具の霊をなぐさめるために作られるものですが、
ここには、
郷土玩具である、“饅頭喰い人形” をかたどった像が建っています。

    ・・・ミニラの像じゃないよ(笑)。

っていうか、
知多市の新舞子(しんまいこ)、
という海辺の町に建っているので、
“海坊主” の像だと
思っている人がいるかも(・・・こんな事書いてたら罰が当たるかな(汗))。

“饅頭喰い人形” の像です、お間違いなく。


“饅頭喰い人形” とは、

 「父母のどちらが好きか?」

と問われた童子が、
手に持っていた饅頭を二つに割って、

 「どちらが美味しいですか?」

と即座に切り返した、
という説話を背景に生まれた人形で、
この人形を飾っておくと子供が利口に育つ、と言われているものです。
延いては、
安産祈願や健勝祈願に奉納されたりもするそうで、
子を思う親の気持ちの化身、といったところでしょうか・・・。
      約80年前、
  この人形塚の形に
  そんな “饅頭喰い人形” が選ばれたのは、
  人形・玩具の供養を通じて、

    賢く健やかな子供の成長を願う親の気持ちは
    いつの時代も変わらないものである、

  というメッセージを後世に伝え遺すため、だったと思います。


    「“道楽息子” ならぬ “道楽親父” が
                  偉そうに何こいとる!」

  って鼻で笑われるかもしれませんが、
  たとえ
  道楽親父だろうと、父親は父親。
  この像に込められた先人たちの思いを、
  理屈ではなく本能で、僕は受け取る事が出来るのであります。
 
 


というわけで、
今回はそろそろこの辺で・・・。
まだ息子たちからの返信メールは届きませんが、
原稿もこうして書き終えちゃったし、
明日、朝、早いので、
もうあきらめて、ビール飲んでとっとと寝ます。

あぁ、淋しいなぁ。
映画の中のゴジラとミニラのように、
パパとして幼い息子たちと過ごした日々が懐かしい・・・。

           




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