〜 第7景 「私が車掌になった理由」 〜
=投稿=
これは、父と3歳の頃の私の写真です。
持っているのは電車のオモチャ。頼みもしないのに(笑)、父が買ってくれたものです。
父は鉄道マニア。現在でも、模型店へ通い、嬉しそうに部品を集めたりしています。
そんな父は、当時、自動車関係の仕事をしていたのですが、なかなか休みがとれず、
毎日、夜遅くまで働いていました。
だから、私は、海とか山とか遊園地とか、
そういうところに父に連れていってもらった記憶がほとんどありません。
記憶にあるのは、電車を一緒に見に行った事くらいです。
仕事が忙しかった父は、
休みはとれなくても、ちょっと遅く出勤したり、時には早く帰ってきたりして
なんとか1、2時間くらいでも家族と過ごす時間を作るよう努力していたようで、
その貴重な時間に、よく私を連れて電車を見に出かけてくれました。
乳母車に乗せられ、父の隣で名鉄パノラマカーを見ていた事を鮮明に憶えています。
また、或る時、父はHOサイズの貨物列車の模型と線路を作り、
畳一枚くらいの大きな板の上で、遊ばせてくれました。
私は、怪獣人形の襲撃でそれを壊してしまいましたが、
それを楽しそうに修理してくれる父の横顔が、優しく、そして、たくましく見えたのを憶えています。
修理が完了すると、父はまた仕事に出かけてしまいました。
淋しい気持ちもありましたが、目の前にある修理したての貨物列車の模型と線路からは、
父の愛情が感じられました。
月日が流れ、やがて大人になった私は、鉄道会社に就職し、車掌になりました。
親戚の人などから、「鉄道マニアの父親の影響だ」とよくひやかされました。
そう言われると、父はなんとも嬉しそうな顔をしていました。
自分自身では、特に父の影響でこの仕事を選んだとは思っていませんが、
いちいち否定はしません。
仕事が忙しい中、家族と過ごす時間も大切にしてくれた父を誇りに思っているので、
むしろ、父の影響だという事にしておきたいくらいです。
名鉄パノラマカーを乳母車から見ていた記憶も、電車のオモチャや鉄道模型で遊んだ記憶も、
父の愛情とリンクしながら、僕の中に温かく沁み込んでいます。
正義の車掌(43歳 愛知県名古屋市)
【掲載日:平成18年10月17日】
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