第65回 「最後のチャンバラ世代」 2009.6
先日、時代劇の舞台に出演させていただきました。
“守山崩れ” と呼ばれる史実を劇化したもので、
地元の文化グループが主催する、
いわゆる “市民ミュージカル” なのですが、
歌有り、踊り有り、琴や尺八の生演奏有り、もちろん殺陣有りの、
エンターテイメント性に富んだ、とても楽しい作品でした。
“守山崩れ” とは、
天文4年(1535年)、尾張国春日井郡森山(現在の名古屋市守山区)の守山城で、
三河国岡崎城主・松平清康(徳川家康の祖父)が家臣により暗殺され、
天下統一に動き出していた松平軍が総崩れになってしまった事件の事。
前回、
“さぁ、これからだ” という時に決まってコケてしまう、
僕のこれまでの人生について述べましたが、
そんな僕であるがゆえに、妙に興味を引かれる史実でありました(笑)。
出演する事が決まってすぐ、
インターネットで “守山崩れ” について調べてみると、
自宅から車で30分くらいのところに守山城跡がある事がわかり、
早速出かけてみました。
新旧様々な住宅が立ち並ぶ中、
「こんな所に本当に城跡があるのか?」
などと独り言をつぶやきながら進んでいくと、
或るアパートの裏に、
こんもりと盛り上がった、土塁のような丘があり、そこが守山城跡でした。
丘の上にただ石碑が建っているだけのものでしたので、
最初はちょっと拍子抜けしてしまいましたが、
石碑を見ながら、
ここで “守山崩れ” が起きたのかぁ・・・、と
感慨に浸っていると、
なんだか段々と空気が張りつめてくる感じがして、緊張してしまいました。
もちろん、
史実というのは、あくまでも通説ですから
100%真実ではないかもしれません。
でも、自分の演技が、
歴史上の出来事を観客の方々に伝える事の一翼を担う以上、
責任を感じますし、
普段とは異なる感情が湧き起こります。
台本が手元に届いてすぐの、
出演者やスタッフの初顔合わせすら済んでいない頃でしたので、
まだ自分が何の役になるか決まっていませんでしたが、
どんな役にせよ、
今までのような、架空の出来事の中の架空の人物ではなく、
実際にあった出来事の中を生きた人、つまり、実在した人を演じるわけですから、
石碑を前に、身が引き締まる思いだったのです。
帰り際、
近所の住民と思われる中年男性の方が、
「宝勝寺には行かれた?」
と、笑顔で話しかけてきました。
石碑以外には何もない小さな裏山から降りてきた僕を
史跡めぐりをしている人だろうと気遣い、
声をかけて下さったのです。
そのまま少し立ち話をさせていただきましたが、
その方の真摯な話し口調から、
“守山崩れ” は、やはり、
この地域の方にとっては、愛着や思い入れのある史実なンだなぁ、と実感しました。
宝勝寺は、
守山城跡の南側に隣接する、松平清康の菩提を弔うお寺で、
以前その敷地内で松平清康の墓石の一部が発見されたそうです。
また、
松平清康やその家臣など、
守山城に縁のある人達の位牌が安置されている、との事でしたので、
行ってみる事にしました。
まだ何の役になるか決まっていなかった、と先程述べましたが、
実は、
たぶん、数名いる家臣のうちの一人になるだろうと予想していたので(的中しました(笑))、
家臣の方々の位牌に向かって、“挨拶” をさせていただこうと思ったのです。
石段を上って山門をくぐると、
そこは深く苔むした感じの小さなお寺で、
静かな境内には、黒猫数匹以外誰もいませんでした。
なので、
敷地内に建っている住職の方のお宅を訪ねました。
住職は御在宅で、玄関の外まで出てきて下さいましたが、
“守山崩れ” を題材にした芝居に出演する旨を説明し、
「位牌にお参りをさせて下さい」
とお願いすると、
「位牌は仏様とは違うので、むやみに公開は出来ません」
と断られてしまいました。
まぁ、突然の訪問でしたし、
拝観料払うから見せてくれ、などと交渉するわけにもいかないので、
あきらめて帰ろうとしたら、
「位牌は本堂に安置されているから、
本堂に向かって手を合わせていったらどうですか?
心を込めれば、お気持ちは届くと思いますよ」
とおっしゃって下さったので、そうさせていただきました。
誰もいない静かな境内でしたので、
まっすぐに気持ちを集中させる事が出来ました。
本堂の中から、
「しっかり頑張りなさいよ」
と語りかけて下さる声が聞こえるまで(そう思い込めるまで(笑))、
ずっと瞑想してました。
目を開けると、先程の黒猫たちが
奥の墓地の方から不思議そうに僕を見ていました。
実在した人を演じる、という事に対して、
どうしても自分の中で、
そんな儀式のようなものが必要だったのです。
自己満足、
と言ってしまえばそれまでですが、
稽古が始まる前に
自分なりの心の準備が出来たので、
守山城跡や宝勝寺を訪ねて良かった、と思いました。
さて、
そんな、やや厳粛な気持ちで臨んだ芝居でしたが、
いざ稽古が始まると、
いつものように、只々楽しくてしょうがないテンションに戻りました(笑)。
僕にとって、
この世の中に芝居ほど楽しいものはありません。
精神的にも体力的にもしんどい時はありますが、
“楽しい” という気持ちが、全てを支えてくれるのです。
とくに今回は、
地元の俳優のほかに、
箏曲の家元、声楽家、ダンサー、バレリーナ、
あるいは、
一般公募で参加している会社員や学生や主婦など、
普段は御一緒する機会の無い方々とも共演出来る事が心地良い刺激になり、
とても充実した日々を過ごせたのです。
いろんな才能を間近で見る事が出来たのは、実に貴重な経験でした。
公演を終えた今、改めてその喜びを噛みしめています。
そして、
稽古や本番をきっと見守ってくれていたであろう戦国時代を生きた人々に、
心から感謝しています。
メイクを終えて、さぁ、本番! 「いざ、出陣じゃあ!」 |
これは、 オモチャの刀でチャンバラ遊びをしていた頃の僕。 まさか この40年後も、チャンバラをやっているとは・・・(笑)。 |
それにしても、
この歳になって、いまだにガチでチャンバラが出来るのですから、
役者稼業とは実に愉快なものです。
やめられません。
というわけで、
今回の『ソフビ大好き!』は、
時代劇・チャンバラにちなみまして、
特撮時代劇の2大変身ヒーローであるライオン丸と変身忍者嵐、
そして、
彼らと戦った(チャンバラした)敵キャラたちにスポットを当て、
その味わい深いソフビ人形たちを数点紹介させていただきます。
快傑ライオン丸 ブルマァク製。全長約27センチ。 白い獅子、赤いコスチュームに黒い胴、 といったライオン丸のデザイン・配色は、 うしおそうじの名で知られる、 『快傑ライオン丸』を制作したピープロダクションの社長・ 鷺巣富雄さんが思い描く、 “正義” や “英雄” のイメージを象徴したもの、との事。 この人形は、 そんな生みの親の魂を込めたような思いに応えるべく、 凛々しく勇ましく、その気高い存在感を強烈に放っていて、 カッコいいです。 当時ブルマァクから発売されたライオン丸人形には いろんなタイプ・造形のものがあるのですが、 僕はこれがいちばん気に入っています。 戦国の世を旅しながらも平和な未来を見つめているライオン丸の、 熱き心と汚れ無き魂が伝わってきて、 見る度に心が洗われる気がするのです。 |
この2体は、 ブルマァク製ではなく、海賊版です。 向かって左から、全長約31センチ、27センチ。 ぱちもん人形ゆえチープな印象は拭えませんが、 左側の人形は たてがみが植毛で表現されているし、 右側の人形は コスチュームのしわが再現してあるし、 両者とも、なかなか手の込んだ部分もあって、 嬉しいのです。 |
なんとなく 品の無い顔の表情ではありますが、 とりあえず、 強そうではあります(笑)。 |
着脱可能なマスクの下には、 獅子丸(ライオン丸に変身する人)を意識して、 髻のある人間が作られています。 |
ワクランバ ブルマァク製。全長約29センチ。 ゴースン魔人たち(快傑ライオン丸の敵キャラ)の中では、 わりと地味な存在でしたが、 木の葉の怪人という設定や、お面を被っているような顔が、 なんか時代劇っぽくて好きでした。 病気で枯れてしまった葉の事を “病葉(わくらば)” と呼ぶ事を 恥ずかしながらつい最近知り、 「ワクランバのネーミングはそこから来たのかぁ」 と、独りで今頃納得しています(笑)。 |
ブルマァクの、 綺麗に整った造形美や 鮮やかな色づかいを味わえるソフビ人形は、 なにもゴジラ怪獣やウルトラ怪獣だけではありません。 このワクランバ人形も、 実物とは全く無縁な “清潔感” すら感じさせる美しさを誇ります。 特に、胸部から上の、 丁寧な作りと光輝を放つような色艶には、 気後れしてしまいそうになるほどの “品格” が漂い、 怪人の人形である事を忘れてしまいそうになります。 時代劇のキャラクターの人形なのに、 その造形を、 古風な優雅さではなく、 現代的な端正さで押してくる強引さ、 それでいて、この完成度の高さ、 当時のブルマァクの勢いを物語る、 傑作ソフビのひとつだと思います。 |
ちなみに、 このサイズで当時発売されたゴースン魔人の人形は、 おそらくワクランバだけだったと思われますが、 全長約15センチのサイズのゴースン魔人の人形となると、 下記の3体が存在します。 |
向かって左から、ワクランバ、ムササビアン、ギンザメ。 |
『快傑ライオン丸』は、
バラエティ豊かな敵キャラたちの魅力が
シリアスなストーリーの面白さと巧くかみ合って、
実に見応えのある作品だったと思います。
毎週、番組を楽しみに、ワクワクしながらブラウン管の前に座っていました。
当時僕は小学2年生でしたが、
クラスの男子の間では、
「風よぉ、光よぉ、にんぽう獅子へんげーっ!」
と叫んで、
獅子丸の変身ポーズの真似をみんなでしたり、
棒切れを拾ってきて幼稚園の頃以来のチャンバラ遊びに没頭したり、と
ライオン丸のちょっとしたブームさえ起きました。
また、
そんな『快傑ライオン丸』のヒットを受けて、
翌年製作された後番組『風雲ライオン丸』からも、
下記の3体のソフビ人形が発売されています。
向かって左から、 風雲ライオン丸、アクダー、地虫忍者。 ブルマァク製、全長約14センチ。 前作ほどの人気番組にならなかったため、 商品化はこの3体のみにとどまってしまったようですが、 ソフビ人形として、 主人公と敵キャラがちゃんと発売されたのは喜ばしい事です。 |
快傑も風雲も、
ライオン丸はとってもカッコよく、素敵なヒーローでした。
当時の人気や現在の一般的知名度から考えて、
時代劇における変身ヒーローの筆頭だと言っても過言ではないでしょう。
僕の少年時代の記憶の中で
今でも神々しい光を放ちながら、眩く輝き続けています。
そして、
次に紹介する変身忍者嵐も、僕にとっては忘れられないヒーローです。
時代劇における変身ヒーローとしての存在感は、
ライオン丸に比べると若干薄い印象があるのは否めませんが、
『仮面ライダー』を崇拝し愛していた僕が、
『仮面ライダー』がそのまま時代劇になったような内容の『変身忍者嵐』に
心をときめかせないはずがありません。
大好きなショッカー怪人にそっくりの、
動物や昆虫の能力を持ったモンスター・血車党の化身忍者たちと
スピーディなチャンバラアクションを繰り広げる嵐は、
僕にとって
ど真ン中ストライクなヒーローだったのです。
変身忍者嵐
バンダイ製。全長約31センチ。
原作者である石森章太郎先生が
鷹をモチーフにしてデザインしたという変身忍者嵐は、
仮面ライダーと同じ、
カッコよさと不気味さが紙一重のところにある異形のヒーローです。
最初にテレビで見た時は、
ダイナミックな意匠のマスクが胴体に対してやや大きく、
なんだか不恰好に思えてしまったのですが、
回を追う毎に、
その派手でアンバランスな姿形に、何故だか妙に惹かれていきました。
そんな、
見ようによっては滑稽にも映りかねない嵐の容姿には、
仮面ライダーによって感化され、
“醜” の中から “美” を見出す術を知っていた、
僕ら当時の子供たち特有の感性を刺激する、“魔力” が隠されていたのだと思います。
この嵐人形は、
マスクが着脱可能タイプになっているせいで
やや “頭でっかち” になってしまっているため、
実物の嵐が持つ、
その派手でアンバランスな姿形ゆえの “魔力” が偶然にも巧く表現されてしまい、
なんとも魅力的な霊気を放っています。
昭和玩具独特のちょっとゆるい感じの造形が導き出した、
奇跡の超リアル造形(笑)です。
同サイズで、
敵キャラの人形も、6人発売されていました。
血車党の首領・魔神斉と、
毒うつぼ、マシラ、オニビマムシ、卍カマイタチ、ネコマンダラ、の化身忍者5人です。
たとえ残虐な悪者とは言え、
愛嬌のあるデフォルメ造形を好しとする当時の玩具業界の常識から、
いくらかソフトなタッチにはなっているものの、
親が我が子に買い与えるには、
やはり少し躊躇する、不気味で恐い造形の人形ばかりです。
中でも、 僕がいちばん気に入っているのは、これ、 毒うつぼ。 |
|
グロテスクな造形も然る事ながら、 口の中から周りに滲み出るように施された紅い塗装が、 今にも血がしたたり落ちそうな感じで、 モチーフとなったウツボという生き物の “危険な肉食魚” というイメージを 強く印象づけさせる、カッコいい怪人人形です。 第1話に登場した化身忍者ですので、 『仮面ライダー』で言うところの蜘蛛男に相当する役回りの、 『変身忍者嵐』の敵キャラの中では結構メジャーな存在でしたし、 その凶暴性を帯びた姿形が 僕ら当時の子供たちのハートを大いに揺さぶる怪人でもあったので、 元々人気はあったと思いますが、 この人形の、 実物以上に毒々しく、いかにも悪者な雰囲気がよく出ているカッコよさも、 その人気の獲得や維持に、一役買っていたような気がします。 |
毒うつぼをはじめとする、このサイズで商品化された化身忍者5人は、
毎週のオープニング映像にも登場する、番組初期の代表的な敵キャラたちですが、
全長約14センチのポピー製の化身忍者人形になると、
更にトゲナマズがラインナップに加わります(下の写真参照)。
左が魔神斉、 下は、 向かって左から、 毒うつぼ、マシラ、オニビマムシ、 卍カマイタチ、ネコマンダラ、トゲナマズ。 このように、 敵キャラのソフビ人形が多く発売されている事は、 子供の頃も嬉しかったし、 コレクターになった今も、 その数だけ楽しみがあるわけですから、 もっとも欣快とするところであります。 |
また、
やはり首領だからでしょうか、
敵キャラでは魔神斉のみ、
全長約35センチという大きなサイズの人形も発売されていました(バンダイ製)。
コレクションを始めて間もない頃、 東京で開催されたTOYショーで 袋入りのデッドストック品を購入したのですが、 帰宅してこれを開封した時の興奮は、 今でも忘れません。 20年くらい前の事ですが、鮮明に憶えています。 袋は透明ですから 中身は最初から見えていたのですが、 袋から取り出して人形を実際に手に取ってみると、 そのサイズと造形が放つ、 グッと迫ってくるような怖さに、マジでシビれました。 |
どうです? この迫力。 |
恐くて思わず目をそらしてしまいます(笑)。 |
『快傑ライオン丸』も『変身忍者嵐』も
昭和47年の4月から約1年間にわたって放送された、
変身ブームの真っ只中を燦然と光り輝きながら駆け抜けた作品であり、
チャンバラ遊びに子供たちを駆り立てた、最後のアクション時代劇であったと言えます。
今どきの子供たちの間では、チャンバラなど流行りません。
言うなれば、
僕らは最後のチャンバラ世代なのです。
僕らの世代にとって、
チャンバラ遊びは、とても愉快なものでした。
特撮世代であるが故、
正義のヒーローに憧れる一方で、
怪獣や怪人、つまり、やられる側である悪者にも、強く感情移入出来る子供だった僕らは、
ウルトラマンごっこや仮面ライダーごっこなどにおいて、
正義(勝つ側)と悪(負ける側)のどちらの役をやる場合も、
子供なりにその美学を追求し、表現し、胸を躍らせました。
チャンバラ遊びで斬られ役になった場合などは、
悪役に徹し、やられ方や死に様にこだわり、それを大いに楽しんだものです。
『仮面の忍者 赤影』で魔風雷丸を演じた汐路章さんが『徹子の部屋』に出演された際、
「悪役は最期まで憎たらしくなくてはならないから、
斬られて死ぬ時も、当たり前のように死んではいけない。
必ず、“なぜ?”と訴えて、死んでいくように心掛けています。
“なぜ、俺が斬られなければならないンだ?”
“なぜ、俺がやられなければならないンだ?”
という表情をして、
未練たっぷりに死んでいくよう、演じています」
と、斬られ役の極意を語っていらっしゃったのを憶えています。
幼稚園児や小学生が、
そんな一流俳優のような精神を遊びの中に持ち込んでいたのですから、
チャンバラ遊びとは、
想像力や表現力を育む、きわめて演劇的な遊戯だったわけです。
少年時代の僕が、
ソフビ怪獣を戦わせる人形遊びや
チャンバラなどのごっこ遊びを人一倍好きだった理由は、
そこに “演劇性” を感じていたからなのだなぁ、と気づいた今日この頃、
この世の中に芝居ほど楽しいものは無い、という自分自身に、
妙に納得しています(笑)。
機会があれば、
また時代劇の芝居に出て、チャンバラがやりたいです。
最後のチャンバラ世代として、夢見る思いを胸に抱きしめながら。