真水稔生の『ソフビ大好き!』


第5回 「君にも見えるウルトラの星」  2002.10

君にも見えるウルトラの星。
・・・御存知、『帰ってきたウルトラマン』主題歌の歌い出しの部分である。

こんなに短い言葉で、“ウルトラマン” の奥深い魅力をズバリと言い表している、
実に見事な歌詞だ。
夢見る事の大切さや素晴らしさを心の琴線に響かせる、僕の大好きなフレーズである。

『帰ってきたウルトラマン』というのは、
「帰ってきた」と言いながら、
実は、初代のウルトラマンが地球に帰ってきた物語ではない。

元々は初代ウルトラマンが帰ってくる物語の予定だったそうだが、
途中で企画が変更されたそうである。
結果、
地球にやって来たのは、容姿は酷似しているものの、
初代のウルトラマンとは全く別人の、新しいウルトラマンである。

その新しいウルトラマンの活躍を描く物語なのだから、タイトルは『新・ウルトラマン』でないとおかしい。
なのに、なぜ「新」ではなく「帰ってきた」と言うのか。
新しいウルトラマンがやってくる企画に変更されたのに、なぜタイトルは「帰ってきた」のままなのか。
面倒くさいからそのまま放っておいたわけでもなかろう。
これには意味があるのだ。


『柔道一直線』や『サインはV』のような “スポ根もの” の全盛期で、
いわゆる “怪獣もの”、“SFもの” がテレビ界において皆無に近い状態だった時期、
TBS局内では、
あの『ウルトラマン』をなんとかもう一度製作する事は出来ないものだろうか、という話し合いが
関係者の間で幾度も持たれていたそうだし、
テレビ映画の製作受注が途絶えて苦境に耐えていた円谷プロに至っては、
ウルトラマンの復活は、まさに、会社の復興をかけた一大プロジェクトであった。

もちろん、
僕ら子供たちも、ウルトラマンや怪獣が大好きだし、
そういった番組が登場するのを心から待ち望んでいたのだ。

つまり、
ウルトラマンが再びブラウン管に登場し、怪獣ブームが巻き起こる事は、
送り手である大人たちにとっても、受け手の僕ら子供たちにとっても、
夢見る出来事だったのである。

「帰ってきた」というのは
単にウルトラマン個人ではなく、ウルトラマンという名の “夢” を指しているのだ。

この、“夢の復活” を意味する番組タイトルは、
企画段階における円谷英二氏のアイデアによるものだと言われているが、
この命名のセンスの良さに、
世界にその名を轟かす偉大なる “特撮の神様” の根本的精神を感じる。

簡単に思いつきそうで思いつかない、
という絶妙の感覚が見事だと思う。
常に少年時代の夢を追いかけているような汚れ無き心の持ち主でないと、
常に夢にこだわって生きている情熱家でないと、
こんないかした番組タイトルは思いつかないのではないだろうか。

残念な事に円谷英二氏は、
この新番組『帰ってきたウルトラマン』の製作開始決定を待たずして亡くなられてしまったが、
その魂は、
長男である円谷一氏をはじめとする番組スタッフの方々に熱く受け継がれ、
“君にも見えるウルトラの星・・・” という素敵な歌詞の美しい主題歌とともに、
キラキラと星のように輝きながら、
昭和46年の春、僕ら子供たちの心に届いたのであった。



そんな『帰ってきたウルトラマン』には、
『ウルトラQ』や『ウルトラマン』や『ウルトラセブン』のものに勝るとも劣らない、
素晴らしい夢の生き物(つまり、怪獣)が多数登場する。

従来のものには無かったシュールなデザインの新しい怪獣が、
自然現象のひとつとして続々と出現し、街で大暴れした。
中でも、
タッコングとツインテールは、僕の超お気に入り怪獣だ。

        

まず、タッコング。
もう、ネーミングからしてグッときてしまう。
しかも、
このタッコングが凄いのは、姿がタコに似ていない事。
安易にタコが巨大化したような形をしていないところに、プライドを感じる。

タッコングをはじめとする帰りマン怪獣をいくつかデザインした美術スタッフの池谷仙克さんが、

 「動物図鑑を見て参考にするのは、皮膚感のみ。
      頭はこれ、尻尾はこれ、なんていう “つぎはぎ” みたいな事はしたくないんです」

と何かのインタビューで答えていらっしゃったのを憶えているが、
タッコングはまさにそれで、
池谷さんの最高傑作、いや、ウルトラ怪獣の最高傑作ではないか、とさえ僕は思う。

人気怪獣なので、当然、ソフビにもなっている。
当時ブルマァクから発売されていたタッコング人形は、
実物ほど丸々としてなくて細やかなため、
タッコングの最大の魅力である “重量感” があまり上手く表現されておらず、
やや迫力に欠ける感はあるが、
顔の造形が風雅で独特の味があり、
ソフビ怪獣人形というオモチャの魅力の奥行きを感じさせる、なかなか乙な人形である。

タッコングという怪獣は
丸っこい胴体の先端に小さな頭部があるのだが、
ブルマァクは、それを、
小さな頭部ではなく、皮膚の表面がやや腫れあがったような形にしてしまっている。
で、そこに目や口がついているから、
顔というよりは、胴体の先端に浮き出た人面疽、といった感じに仕上がっているのだ。

その、
笑っているような怒っているような不思議な表情は、
水木しげる先生が描く “妖怪たんころりん” の顔にも似て、
夜にひとり部屋で向き合うと、なんだか不気味で、ちょっと恐い。
ただのスケールモデルで終わらせない、マルサン・ブルマァク時代ならではの造形と言える。

     

次に、ツインテール。
これも実に魅力的な怪獣だ。
頭が胴体の下にあるその姿そのものが斬新でド肝を抜かれたし、
地底怪獣グドンのエサ、という設定も、
怪獣が生き物である事を実感させてくれて、子供心にとても印象的だった。

或る書籍に、
“生まれたばかりのツインテールは海老のような味がする” と
書いてあったけど、
いったい誰が食べて知り得た情報なのだろう(笑)。

そういえば、
先述したタッコングは食べられるのかな。
たこ焼きなら何百個、いや、何千個何万個と作る事だ出来そうだ。
オイルを主食としている怪獣だから、肉はなんか石油臭くてあまり美味しくなさそうだけど・・・。

話をツインテールに戻そう。
このツインテール、
新鮮な海老のようなプリプリ感は、実は、実物よりもソフビの人形の方が際立っている。

メーカーは、やはりブルマァク。
胴体が肉厚で歯ごたえ充分な感じだし、
顔も、実物のなんだか眠たそうなだらしのない表情と異なり、キリッとして、シャキッとして、活きが良い。

僕は、部屋にグドンとツインテールを下の写真のように並べて飾っているが、
ごちそうを目の前にしてグドンがヨダレをたらして喜んでいるようで、見る度に楽しい気分になる。

常に食べられる寸前の状態にされているツインテールにしてみれば、
その恐怖と絶望感はたまったモンじゃないだろうが、
やや表情をひきつらせながらも、
オタオタする事なく、凛として正面を向いているその堂々たる姿から、
由緒あるウルトラ怪獣の誇りと意地がうかがえる。素敵な人形だ。

怪獣には夢がある。ロマンがある。
ソフビ怪獣人形は、夢とロマンのオモチャだ。
僕らは、
少年時代、ウルトラの星が見えていた。見ようとしていた。見えると信じてた。
だが、いつの頃からか、
そんな気持ちはオモチャと一緒にどこかへ消えてしまい、
思い描いていたイメージとはおよそかけ離れた大人になってしまった。

僕がソフビ怪獣人形を探し集めるのは、

  「もう一度ウルトラの星を見たいから」

と言ったらキザだろうか。

夢は叶えられなくても、
夢に顔をそむけるような人間ではいたくない。
ウルトラの星が見えていた頃の心、いろんな事を夢見ていた子供の頃の気持ちを、
いつまでも持ち続けていたい。
“大人” じゃなくて、“ベテランの少年” でいたいのだ。

ソフビ怪獣人形は、
僕が日々の生活に押し流されないための、必須アイテムなのかもしれない。


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