真水稔生の『ソフビ大好き!』


第25回 「純真のシンボル」  2006.2

幼い頃、テレビでヒーロー番組を見ていて、
そのヒーローの
あまりのカッコよさに心が勇み立ち、体が奮えた事が、僕には3度ある。

1度目は、
『仮面ライダー』の最終回で、
幽閉した本郷猛(1号ライダー)を変身不可能の状態に陥れ、
世界征服に向けて意気上がるゲルショッカーの前に、

 「ライダー2号を忘れていたな!」

という痛快極まりないセリフとともに、2号ライダーが現れた時。

その瞬間、
僕は神経が高ぶり、
ブラウン管に向かって「うぉーっ!」と叫んだのを憶えている。

この2号ライダーの登場から、絶体絶命だった形勢は逆転。
ゲルショッカーは
組織全滅に追い込まれていくのである。

スカッとした。
現在でも、
1号ライダーを神格化するあまり
その後のライダーは認めないファンがいるが、
当時から1号ライダーを崇拝する声は絶大で、2号ライダーよりも圧倒的に人気が高く、
僕はそれを不満に思っていたからである。

 『仮面ライダー』の人気を高め、
 日本中に変身ブームを巻き起こしたのは、
 1号ライダーではなく、2号ライダーではないか!

 1号と2号がいて
 初めて『仮面ライダー』は成立するンだ!

って、ずっと思ってた。

だから、
めちゃくちゃ嬉しかった。
2号ライダーを軽視する風潮に
番組自体からライダーキックが炸裂したみたいで、
溜飲が下がる思いの、とても気持ちの良い場面だったのだ。

「そら見ろ! なめんなよ! ざまぁみろ!」

って感じだった。


2度目は、
続いて放送された『仮面ライダーX3』。
にせ結城丈二(にせライダーマン)が出てくる回で、
そのにせ結城丈二に騙されて
崖から突き落とされた風見志郎が、すぐ後のシーンでX3に変身して現われ、

 「こんな事だろうと思っていたぞ!」

と言い放った時は、心の底からシビれた。
どこで気づいていたか全くわからないけれど、全てをちゃんと見抜いていて、
相手の出方を窺う為、わざとやられた振りをして、
最終的には勝利を手にするX3に、
僕は底知れぬ頼もしさを感じて、感動のあまり涙さえこぼした。
僕の心のダブルタイフーンが光って回った。


そして3度目。
今度は仮面ライダーシリーズではなく、
『正義のシンボル コンドールマン』という番組の、確か第3話。

人々を飢え死にさせるべく、
肉や魚、野菜や果物、そして牛乳や玉子に至るまで、
ありとあらゆる食料を
モンスター一族が買い占めたため、
充分な食事を取る事が出来ず、或る少女が健康を害してしまう。

栄養失調のためどんどん体力や視力が低下してゆく我が子を案じる一心で、
母親が農家を訪ね回り、
必死の思いでミカンを数個手に入れるも、
それすらモンスター一族の殺し屋・ダンガンマーが踏みにじる。

母親の目の前で、
ダンガンマーの銃口が少女に向いたその時、
我らのコンドールマンが駆けつける。
慌てて逃げ出すダンガンマー。

そして、
次が重要ポイント。
なんとコンドールマンは、逃げて行くダンガンマーをすぐには追わないのだ。
床に転がったミカンを拾いあげ、少女に手渡しする。

 「はやく良くなるんだよ」

あぁ、なんというカッコよさ!
体中に電流が走る気がした。

コンドールマンから直にミカンを手渡され励まされた少女の体が良くならないわけがない。
ダンガンマーなんか、いつでも倒せる。
今は、病気に打ち勝つ気力を少女に与える事、それが先決。
命をかけた戦いの最中に
瞬時にその判断を下し実行するコンドールマンの鋭さと温かさ、最高!
余裕さえ感じられるその強さは、
その後のシーンで、すぐに追いついて簡単にダンガンマーをやっつけてしまう事で証明される。

日本を代表するヒーローである仮面ライダーが感動するほどカッコいいのは当たり前だが、
コンドールマンのような、
当時番組を見ていた世代の人しか知らないようなマイナーなヒーローにも、
こんな胸を打つカッコよさがあるところに、
日本の特撮ヒーロー番組の質の高さと厚みを知る事が出来る。

『正義のシンボル コンドールマン』は、
東映とNET(現在のテレビ朝日)が製作したテレビ番組で、
原作は『月光仮面』で有名な川内康範氏。

昭和50年の春から放送が始まった。
当時僕は小学校5年生。
体裁では怪獣映画やヒーロー番組からは卒業しつつも、やはりそういったものがまだまだ気になる年頃。
そんな時にコンドールマンは僕の前に現われた。

まず惹かれたのは、その独特の世界観。
地球侵略や世界征服というグローバルな視点ではなく、
我が国・日本が敵の主たる標的にされて
庶民が苦しめられるストーリー展開が衝撃的だった。
そして、
そんな現実感のある “恐怖” に
敢然と立ち向かうヒーローの姿を通して、
人間が正しく生きる事の美しさや尊さを視聴者に訴えかけていく作風は、
同じく川内康範氏原作の『愛の戦士 レインボーマン』や『ダイヤモンド・アイ』にも共通しているものであったが、
数あるヒーロー番組の中では異彩を放つものだった。

コンドールマンが戦う敵・モンスター一族は、
“人の心が生み出した” と主題歌に歌われている通り、
守銭奴の権化・ゼニクレージーや、
公害による環境汚染の化身・スモッグトンなど、
人間の醜いエゴイズムが具現化した怪人の集団である。

経済格差や自然破壊をテーマにし、
人間社会に潜む “悪” と戦って愛を説くコンドールマンの物語は、
勧善懲悪ストーリーの単なる娯楽作品的なヒーロー番組に幼稚さのようなものを感じ始めていた僕を、
完全に虜にした。
大人の社会派ドラマを僕は見ている、という気分にさせてくれる、最高にお気に入りのテレビ番組だった。

そして更に惹かれたのが、
モンスター一族の怪人たちの強烈な個性。
デザインや造形がもう抜群のセンスで、
ものすごいインパクトがあった。

その無気味で奇怪で、
ともすれば滑稽にも映るグロテスクな姿形の醜さは、
まっすぐな正義の清潔感を表現するかのように全身が純白であるコンドールマンのスマートさと
見事に対照的で、
“悪” のイメージが効果的に表現されていた。

また、
モンスター一族のテーマソングをバックに、
怪人みんなで楽しそうに踊っているエンディングの映像からも窺い知れる、
彼らの諧謔的な性格が、
気色の悪い外見と絶妙に絡み合い、
なんとも深い “味” を出していて、際立つ存在感があった。

『仮面ライダー』のショッカー怪人や
『超人バロム・1』のドルゲ魔人に匹敵する、
素晴らしい敵キャラクターであったと思う。大好きだった。

ただ淋しい事に、
僕の知る限り、当時ソフビ人形として商品化されたモンスター一族の怪人は、
下記のタカトク製ミニソフト2体だけのようである。
モンスター一族は、
先に述べたゼニクレージーやスモッグトンをはじめ、
マッドサイエンダー、ヘドロンガー、バーベQ、コインマー、ゴミゴン、レッドバットン・・・と
魅力的な怪人の宝庫だっただけに、非常に残念である。

モンスター一族の首領・キングモンスター。
人間の腐敗した心を表しているかのような
醜悪な顔が、
ミニソフビゆえのチープなタッチで
淡々と造形されている。
悪者の非情な性格や不気味な雰囲気を、
こうやってあっさり表現されると、
かえって恐い。
 司令官サタンガメツク。
 目玉が赤で描かれているため、
 充血しているように見えて、
 実物よりもこの人形の方が顔は恐い気がする。
 ただ、手がパーじゃなくて
 グーになっているので、
 猛毒が仕込まれた長い爪の恐ろしさが
 表現されていないのが惜しい。


僕がソフビ怪獣人形を集めるのは、
子供の頃の夢や気持ちを大切にしたいから。
郷愁や忘れ去られていくものへの愛情でもある。

コレクションの対象となるソフビ怪獣人形を見つけた時は、
いつも興奮する。
持ち主である子供の成長とともに捨てられる運命にあったソフビ怪獣人形が、
捨てられずに残っていたなんて奇跡だと思うし、
デッドストック品であれば、
僕に封を開けてもらうためにその人形が僕を何十年も待っててくれた気がして、
とにかくとにかく感動してしまう。
手に入れる事が出来た時の喜びはほかの何にも代え難い。

このコンドールマンのように、
作品の一般的知名度が低く、ソフビ怪獣人形というオモチャの人気も下火だった頃のものは、
特に幸運に思う。
数が少なく珍しいから貴重、などという陳腐な評価の次元ではなくて、
社会とも経済とも全く無関係な、
ただただ純粋な心の世界での、僕とそのソフビ怪獣人形との “縁” を大切に思うのだ。

このコンドールマンや怪人の人形が手元にある限り、
幼い日にコンドールマンを見てそのカッコよさに心が奮い立ったあの瞬間を、
いつでもリアルに思い出す事が出来る。

ソフビ怪獣人形が手元にある限り、
僕の気持ちが錆びついたり枯れはてたりする事は絶対無い。
たとえそれが、
思い通りにいかない事が増えてくだけの人生であったとしても。

コンドールマンは、正義のシンボル。
ソフビ怪獣人形は、僕にとって、純真のシンボル。

                          

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