第18回 「天までとどけ ガマクジラ」 2005.7
シルヴィ・バルタンがかかっている喫茶店でメロンクリームソーダを飲みながら、
この原稿を書いています。
僕はメロンクリームソーダが好きで、
車を運転する直前でビールが飲めない時などは、こうやってよく注文する。
冷たいメロンクリームソーダを
やや太めのストローで吸い込むと、喉の奥で甘い夢が一気にはじけるようで、
気持ち良くて美味しい。
幼稚園の時、
母親と芝居を見に行き、
その帰りに入った喫茶店で飲んだのが初めてだったと記憶している。
アイスクリームは全部食べたけど、ソーダは量が多くて飲みきれず、残した分を母親に飲んでもらった。
「飲めないなら、クリームソーダじゃなくて、最初からアイスクリームをたのみなさい」
なんて叱られながら。
その時母親は、
向日葵みたいな大きな花の模様の、黄色いワンピースを着ていた。
今ぐらいの暑い季節に母親の事を思い出すと、
決まって、
メロンクリームソーダとセットになって、その黄色いワンピースが浮かんでくる。
パッと明るいけどなんとなく落ちついた感じのする色合いが、
頼もしくてやさしい母親のイメージに直結していて
好きだった。
母親がその黄色いワンピースを着ている時は、なんだか嬉しくて幸せな気分だった。
でも、或る時、
母親が「洋服に虫が食った」と嘆いていたのでふと見ると、
なんと、
その黄色いワンピースに小さな穴が空いていた。
それ以来、母親は、その黄色いワンピースをあまり着なくなってしまい、
僕は小さな虫食いの穴を随分恨んだものだった。
ソフビ怪獣人形にも、
虫が食ったような小さな穴が空いてしまっているものがよくある。
犯人は気泡だ。
気泡は、
製造過程において出来てしまうものだから、
あまり気にしても仕方がないが、
気泡で穴が空いてしまった箇所によっては、その人形が破損品のように見えるので、
コレクターとしては、やはり気にしてしまう。
角や爪の先端、棘やイボの表面などに出来てしまった気泡は、
母親の黄色いワンピースに出来た虫食いの穴と同じで、
僕はあきらめきれず恨んでしまう。
そんな気泡をテーマに今回紹介する人形は、ブルマァクのガマクジラ(Sサイズ)。
着ぐるみのしわがリアルに表現されていて、
ブルマァク独特の造形美が味わえる人形だが、
いちばんの特徴は、
ビーズをちりばめた手芸品みたく体中に無数の小さなイボがある事。
気泡は天敵である。
僕が最初に手に入れたガマクジラ人形は、
そのイボをひとつひとつチェックし、
気泡による破損がないかをよく確かめて購入したにもかかわらず、
或る時、
左足の付け根辺りのイボがひとつ、気泡でなくなっている事が発覚した。
おそらく、購入時には薄く皮1枚って感じで残っていたのを、
僕が洗った時に
擦り過ぎたために削れてしまったのだろう。
ショックだった。
でも、落ち込んでいてもしょうがない。
新たなガマクジラ人形を手に入れるべく、アンテイークTOYショップや骨董市などに僕は足しげく出かけた。
そして見つけた2度目のガマクジラ人形は、
前回同様に体中のイボを入念にチェックしたのはもちろんの事、
購入後の管理や手入れにも充分気を遣って大切に扱った。
だが、或る時、
上の歯がひとつ、気泡でなくなっている事を発見してしまい、愕然とした。
ガマクジラ人形の歯は、
体のイボと同じくらい小さくてもろい。
購入時は体のイボばかり気にしていたため、歯が欠けている事に気づかなかったのだ。
もぉ〜、バカバカ。
それにしても、このガマクジラ人形、
イボといい歯といい、気泡で簡単になくなってしまうなんて、
呑気な顔に似合わず、ずいぶん気難しい繊細な人形である。
このギャップが素敵だと思った。
ますますガマクジラ人形にのめり込んだ僕は、
その後も、
イボも歯も気泡にやられず残っている綺麗なガマクジラ人形を探し続けた。
最初のガマクジラ人形は
イボがダメだったけど歯は全部あったし、
2度目のガマクジラ人形は
歯がダメだったけどイボは全部あったわけだから、
イボも歯もちゃんとある綺麗なガマクジラ人形も、きっと何処かにあるはずだ。
近いうちに必ず出逢える。
そう思っていた。
だが、
世の中そんなに甘くなく、
僕が現在の綺麗なガマクジラ人形を手に入れるまでには、
10年以上もかかってしまった。
イボがちゃんとあれば歯が欠けているし、歯がちゃんとあればイボが欠けている、
その繰り返しだった。
毎回毎回、とても口惜しかった。
どれくらい口惜しかったかというと、
テレビでサスペンスドラマの人気シリーズ『女弁護士 高林鮎子』がやってるのに気づいてチャンネルを合わせると、
その時は決まって主演の真野あずささんがパンツ姿で出ていて、
スカートの裾からのぞく真野さんの、
陶器のように冷たく雪のように白い膝小僧や
程よい肉づきが優美な脹脛を拝む事が出来ないのと同じくらい、
口惜しいものだった。
・・・共感してくれる人、少ないかな(笑)。
でも、
そんな思いでようやく手に入れた気泡の無い綺麗なガマクジラ人形は、
僕が繰り返した失敗や口惜しい思いを軽く笑い飛ばすように、
いつも明るく、ノーテンキな表情で僕の事を見ている。
辛い事があって落ち込んでいる時に目が合うと、
「そんなにクヨクヨしなさんな」
と言って僕を励ましてくれているように思えて、癒され、勇気づけられる。
だいたい、“ガマクジラ” なんていう名前からしてノーテンキで良い。
この、
真珠を食べる汐吹き怪獣が登場する、
『ウルトラマン』第14話「真珠貝防衛指令」の脚本を担当した佐々木守さんは、
円谷プロは怪獣の専門家だから
きっとカッコいい怪獣の名前を考えてくれるだろう、
と頼りにして、
自分自身では怪獣の名前を本気で考えず、
とりあえずガマガエルとクジラをかけ合わせて
暫定的に “ガマクジラ” という名前で原稿を書き上げたという。
佐々木さんの原稿を受け取った円谷プロが
カッコいい怪獣の名前を考えようとしたかどうかは定かではないが、
佐々木さんが適当につけた名前は
結局そのまま使用され、
“ガマクジラ” という、何の苦労も心配も無い単純な名前の怪獣が誕生した。
そんな命名のいきさつを知ってか知らずか、
人形の方も、大雑把というか無頓着というか、
何も考えていない感じがそのすっとぼけたような表情に出ている。
でも、
本当は気泡で簡単にイボや歯が破損してしまうくらい神経質なヤツなのだ。
陽気なふりしてそれを全然感じさせないところが、
なんともニクい。
あんなにいい曲をいっぱい作る才能があるのに、
バンド名を
“サザンオールスターズ” などといういい加減なものにしている桑田佳祐さんのセンスにも似て、
僕は生理的に好きだ。
人生は楽しく生きなきゃ、ってこの人形を見るたびに教えられる気がする。
気泡にこだわって買い換え続けて良かった。
悩みなど何も無いような顔してるけど実はデリケート、というガマクジラ人形の性質を
身を持って知ったから、
ガマクジラ人形の放つ人生観のメッセージに気づく事が出来たのだと思う。
失敗や口惜しい思いを経験しながらも
自分の気持ちに忠実に突き進んで入手したからこそ、
入手したものの本当の良さが理解出来るというものだ。
もしも、
イボや歯が少しくらい無くてもいいやと途中であきらめていたら、
運良く気泡の無い綺麗なガマクジラを手に入れたとしても、
その魅力は今ほどよくは解らなかったと思う。
情熱に気泡の穴が空いてしまっては、楽しい蒐集生活を送る事は出来ないだろう。
やはりコレクションにはこだわりが必要だ。
“こだわる” というのは
言葉の本来の意味からすればあまり良い事ではないのだが、
コレクションに限って言えば、
とても大切な事である。
怪獣のオモチャのコレクションなど、生活上で何の役にも立たないものであり、
他人から見たらどーでもいいものだ。
コレクターのこだわりが無いと
コレクションはゴミにも等しいものになってしまう。
コレクターがこだわってこそ、初めてコレクションは意味を持つ。
で、意味を持ったコレクションが増えていくと、
今度はコレクションがコレクターの性質を主張し始める。
そんなコレクターとコレクションの相互作用が、生活や気持ちを豊かにしていくのだ。
僕はそう思う。
以前、いろんなコレクターを紹介するテレビ番組に出させていただいた時、
レポーターの方に、
「あなたにとってコレクションとは何ですか?」
と聞かれた事がある。
「コレクションは人格です」
と僕は即答した。
レポーターの方にはいまいち真意が伝わっていないようだったので、
詳しく説明したら、長すぎたのか放送ではカットされてしまった(苦笑)が、
言いたかった事は、
僕が愛情とこだわりを持って集めたコレクションは僕そのもの、という事。
僕のコレクションには
僕の個性が反映されていなければ嘘だ。
コレクションを見れば、そのコレクターの意志がわかる。
だから面白いのである。
最近は “レアものコレクター” なる、わけのわからない言葉をよく目や耳にするが、
なにもコレクターは、レアなものを好んで集めるのではない。
好きで集めたものが、結果としてレアなものだったりするだけである。
仮に、レアなものを好んで集めている人がいるとしたら、
それは、ただの “ウケねらい” であり、
自分が純粋に好きなものを集めている人と一緒にして “コレクター” と呼ぶには抵抗がある。
レアもの、つまり世間で珍しいと言われているものを集めるという事は、
自分の好みよりも世間(=他人)の評価を優先させるわけで、
趣味・道楽においてこれほどナンセンスな事はない。
他人の意見に左右されず自分の好きな事に没頭してこそ、至福の時間というものがあるのだから。
ガマクジラの人形にしたって、
小さなイボのひとつやふたつ無くたっていい、と考える人の方が多いかもしれないが、
そんな他人の判断基準など、
僕が好きで集めているコレクションには関係無いのだ。
他人にも評価されれば、
それはそれで誇らしい事だけど、
自分自身の視点や感性で選択したコレクションでなければ、その心性を疑われてしまう。
他人から見たら奇矯で稚気な行動でも、
ポリシーを持って一生懸命集めたものであれば、
コレクションから自分の人生観を教わったりする場合があると思う。
ガマクジラ人形が
僕に元気をくれるように、
無機的なものが語り出すという事があるものだ。
それを実感して知っているのは、
こだわりを持った愛あるコレクター達だけではないだろうか。
ものを集める、という事は楽しい。
何かにこだわって集めれば、もっと楽しい。
これからも、ソフビ怪獣人形のコレクションが、僕の人生を楽しくしてくれる事だろう。
そういえば、
ガマクジラ人形は今飲んでるメロンクリームソーダにそっくりだ。
溶け出したバニラアイスとメロンソーダとのコントラストは、
クリーム色の成形色に
薄めたメロンシロップのような色を吹いた、ガマクジラ人形の配色そのもの。
炭酸の泡の粒は、
まるで、気泡に弱い無数の小さなイボ。はじけたら消えてしまうところまで似ている。
残した分を飲んでくれる黄色いワンピースの母親はもういないが、
僕はもう大人になりメロンクリームソーダを残さず飲めるようになったから大丈夫だ。
ガマクジラ人形は、
僕が元気で楽しく生きている事を天国の母親に伝えるかのように、
いつも天を仰いでいる。
おどけたポーズと明るい笑顔で・・・。