真水稔生の『ソフビ大好き!』


第114回 「仮面ライダーの顔」  2013.7

 「仮面ライダー・本郷猛(一文字隼人)は改造人間である。
  彼を改造したショッカーは、
  世界制覇(世界征服)を企む、悪の秘密結社である。
  仮面ライダーは、
  人間の自由のためにショッカーと闘うのだ」

僕と同年代なら、暗記してしまっている人も多いと思うが、
御存知、『仮面ライダー』のオープニングナレーションである。
子供の頃は、
中江真司さんの
心地良いスピード感と説得力のあるナレーションのカッコよさに
只々惹かれていただけだったが、
大人になってから、
この文言の中にはスタッフのちょっとした “こだわり” が込められている事を知り、
今はそこにもシビれている。

番組が企画され、
その打ち合わせ会議で、
脚本家の市川森一さんは、平山亨プロデューサーにこう訴えたそうである。

 「正義のために闘うというのはやめましょう。
  ナチスだって正義を謳ったのだから、正義って奴は判らない。
  悪者とは、どんなお題目を掲げていても人間の自由を奪う奴が悪者です。
  仮面ライダーは、
  我々人間の自由を奪う敵に対し、人間の自由を守るために闘うのです」

・・・なんか、
いかにも市川森一さんらしい発言で、その会議の様子が目に浮かぶようだが、
この提案で、
『仮面ライダー』という作品の骨格がはっきりと見え、
番組誕生へ向けて企画が大きく前進した、と言われている。
よって、
オープニングのナレーションでは、“正義” という言葉が一切使われず、

“仮面ライダーは、人間の自由のために闘う”

と謳われているのである。

物語の中の台詞や
テーマ曲・挿入歌の歌詞の中では
“正義” という言葉が使われているが、
これは、

 視聴者が子供である以上、勧善懲悪で単純明快な内容にすべき、

と考えていた平山プロデューサーが、
子供たちが作品世界に入り込みやすいように、
“正義” という言葉の、意味よりも通りの良さを優先してその使用を許したまでで、
それは、
まずは子供に興味を持ってもらう事に徹したのであって、
市川さんの言葉を
無視したわけでも軽視したわけでもない。

それが証拠に、
番組開始から2年近く経ち、
物語がクライマックスを迎えかけていた頃、
これまで当たり前のように使っていた “正義” という言葉を、
子供たちが聞き流さず、ふと、改めて考えるような仕掛けがされていた。

確か、ムカデタイガーの回だったと思うが、
負傷した本郷猛が隠れている場所を
弟の命と引き換えにゲルショッカーに教えてしまい、
その罪悪感と後悔に泣き伏す女性に対し、
仮面ライダーは、

 「あなたは間違っていない。人の命は正義より重いのだ」

と説き、慰め諭すのである。
何の抵抗もなく “正義” という言葉を受け入れ、
正義のヒーロー・仮面ライダーを応援してきた僕ら子供たちが、
初めて、
仮面ライダーが “正義” のために闘っているわけではない事に気づかされた瞬間である。
テレビの前で、
「ん?」と心が一瞬止まった事を憶えている。

正義なんてものは、
所詮、個人の概念・主観。
仮面ライダーは、そんな不確かなもののためには闘わないのだ。
本当は闘いたくないけれど、
人類救済のため仕方なく闘うだけ。
仮面ライダーというヒーローの、カッコよさと哀しみが凝縮された名セリフだと思う。
平山プロデューサーは、
僕ら子供たちを惹きつけた上で、
ちゃんと、市川森一さんの思いを反映させた作品世界を作り上げ、
お茶の間に届けてくれていたのである。

その事を想い、
改めて冒頭で紹介したオープニングナレーションを聞くと、
『仮面ライダー』の深みや偉大さが、激しく強く胸に沁みてくる。
幼い胸に植えられた種が発芽して、今、大きな花を咲かせているような、そんな感覚だ。

たまたまヒットしたわけではない。
『仮面ライダー』は、
日本を代表するヒーロー番組になるべくしてなった、有意に高い番組なのである。


当時、
一部の大人たちが口にした、

 「『仮面ライダー』を観ると子供が暴力的になる」

という指摘は、
安易と言うか、浅はかと言うか、
まったくもって思慮の足りないものである。

僕は小学校の低学年だったけど、
たとえ就学前の幼児だって、
怖い怪人をキックやパンチでやっつけるライダーを見て
暴力を振るう事がカッコいい、などという発想にはならない。
そうならないために、
平山プロデューサーは、幼い子供たちが理解出来る番組内容にしてくれていたのだから。

もし、本当に
『仮面ライダー』を観て暴力的になった子供がいたとしたら、
それは、
そんな貧しい感受性の、
救いようの無い馬鹿な子供を育てた家庭環境が悪いのであって、
番組関係者にクレームを言うのは筋違いである。

今の時代と違って、
“ジャリ番” などと呼ばれて低く位置づけられていた当時の子供番組だが、
送り手の人たちは、
子供に人間の価値が伝わるよう、信念を持って、創意工夫しながら、
責任を持って番組を作ってくれていたのだ。

それに、
救いようの無い馬鹿でない限り、
視聴者である僕ら子供たちは、
理屈でわからなくても、ちゃんと理解していた。
仮面ライダーが
何も好き好んで闘っているわけではない事を。

“闘い” なんて誰も望んでいないけれども、
哀しいかな人間には闘わなければならない時がある。
仮面ライダーの顔は、常にそれを物語っていた。

仮面ライダーの顔は無表情の仮面だが、無表情ゆえいろんな感情が宿る。
命を賭けたその激しい闘いの中でも、
その無表情からは、
仮面の下にある本郷猛や一文字隼人の、
哀しみ、苦しみ、そして愛が、感じられたのだ。


仮面ライダーはバッタの改造人間であり、
マスクデザインのモチーフにトノサマバッタの顔面が用いられているのは、有名な話だ。
原作者の石森(のちに石ノ森に改名)章太郎先生は、
元々、ドクロをモチーフにした顔のヒーローを考えていたが、
イメージ的な問題でスポンサーからNGが出たため、
せめてドクロに近い不気味な顔を・・・、という事でバッタの顔が選ばれたのである。
昆虫なら、
自然界の象徴にもなるから、
文明社会への警鐘もアピール出来てちょうどいい、という事で採用されたそうだが、
石森先生が、
ドクロとかバッタとか、不気味な顔にこだわったのは、
今にして思うと、
「『仮面ライダー』を観ると子供が暴力的になる」などと主張する、
薄っぺらい大人たちが現れる事を予測した上での、
社会に跋扈する皮相浅薄な見解へのアンチテーゼだったのではないだろうか。
そんな気がしてならない。

原作者が考案した主人公の顔に、
すでに最初から、
“正義” なんて言葉を上辺だけで捉えない『仮面ライダー』の主張は、表現されていたのだ。


では、
そんな仮面ライダーの “顔” の魅力を、
昭和40年代(放映当時)、50年代、平成、と各時代毎のソフビ人形で感じていただこう。

 まずは、
 昭和40年代(放映当時)の人形。

 時はブルマァク全盛時代。
 マルサンの時代ほど、愛嬌のあるデフォルメが是とされていたわけではないものの、
 まだまだオモチャとしての温かみが重視されていたソフビ人形。
 再現ではなく表現、これがソフビ造形の常識だった。
 バンダイも、
 その風潮に則った商品開発を行っていた。 

   




バンダイ製 スタンダードサイズ、
全長約27センチ。 



   ディテールにこだわる現在のソフビとは異なり、
 なんとも緩い造形ではあるが、
 オモチャを手にする子供への優しい眼差しで作られたその外形ゆえ、
 人類を護るために命をかけて闘っている仮面ライダーの
 愛と哀しみが、
 幼い心でも感じ取れるレベルで、人形全体から滲み出ている。
 中でも顔は、それが顕著で絶妙だ。

 これを “稚拙な造形” としか受け止められない感性は、
 “『仮面ライダー』は暴力的” という浅慮に似ている気がする。 


 続いて、
 昭和50年代の人形。

       




ポピー製
全長約17センチ。


   先述の放映当時の人形と比べると、
 いくらか洗練された仕上がりにはなっているものの、
 ソフビブームを巻き起こしたデフォルメ表現が、まだまだ大きく影を落としている。
 特に、
 複眼の表現やその下の覗き窓のタッチなど、
 手づくり感が際立つ顔が、それを色濃く物語る。
 愛嬌があるわけでもなく、
 かといって
 実物のライダーにそっくり、というわけでもなく、
 中途半端な見た目である印象は否めないが、
 “ソフビ人形という玩具の歴史” という観点で見れば、
 デフォルメ志向とリアル志向の狭間に位置する、実に興味深い造形である。


 そして時代は平成へ・・・。

 平成に入ると、
 元号が変わったのを理由・道理とでもするように、
 そんな “中途半端” とはスッパリと決別。
 ソフビ人形は、
 実物のキャラクターにそっくりな “リアル造形” でなければならない、
 という常識にはっきりと切り変わり、
 オモチャに愛嬌や温もりや優しさなど不要、とばかりに、
 昭和の味である “デフォルメ造形” という発想は消滅した。

       





バンダイ製 ライダーヒーローシリーズ、
全長約17センチ。



   平成元年に発売されたこのソフビ人形を見て、
 
  いかにも工業製品な、味も素っ気もない顔だなぁ・・・、
 
 なんて、
 個人的には一抹の寂しさを覚えたものの、
 リアル志向の造形ゆえ、
 昭和のライダー人形には無いスマートなカッコよさは、やはり輝いて見えた。
 現在の人形からすれば
 まだまだ未成熟な発展途上な造形であるが、
 発売当時は、
  「今の子供のオモチャはリアルだなぁ」 と
 感心したものである。 

     














バンダイ製 京本コレクション、
全長約44センチ。



   実物に似せる追求は更に加速し、
 3年後の平成3年には、
 こんなソフビ人形が登場する。
 実物のスーツの形状やカラーリングに徹底的にこだわった、京本コレクションである。
 
 テレビで観た仮面ライダーそっくりの、実によく出来た人形だが、
 ちょっと角度をズラして見ると、
 その実物そっくりの顔が、
 僕にはなんだか、勝ち誇ったような “ドヤ顔” にも感じられる(笑)。
 子供が闘わせて遊ぶ人形ではなく、
 大人が飾って楽しむフィギュアであり、
 ソフビ人形というオモチャの前提・目的からして違っている商品とはいえ、
 “デフォルメ志向” というソフビ人形の常識を打ち倒した、
 “リアル志向” の勝利記念像、といった趣があるのだ。

 しかも、この後、
 子供が闘わせて遊ぶ人形の造形にも、
 これと同等のクオリティが追求されていく事になるので、
 ソフビ人形の歴史上、
 この京本コレクションライダーは、やはりモニュメント的な存在なのである。


     








バンダイ製 ライダーヒーローシリーズ、
全長約17センチ。



   そして、
 平成元年の人形が、こう進化した。
 平成16年発売の、
 「講談社オフィシャルファイルマガジン仮面ライダー」特製バインダーに、
 特典として付属されたソフビ人形だが、
 子供が闘わせて遊ぶ人形であるライダーヒーローシリーズが、
 京本コレクションと同じコンセプトで商品化されたのである。

 こんなソフビが当たり前の時代の子供たちには、
 昭和のソフビ・デフォルメ造形の味わいなど、一切理解出来ないだろうなぁ・・・。


     




バンプレスト製 ビッグサイズソフビフィギュア、
全長約28センチ。



   平成20年に世に放たれた、クレーンゲームの景品だが、
 ついにここまで来たか、って感じで、
 めちゃくちゃカッコいい。
 平成に入ってからのすべての人形がちゃちに思えてしまうくらいである。

 世代的に放映当時のデフォルメ人形がいちばん好きだし、
 オモチャとしてはそっちの方が優れている、という持論は変わらないが、
 この人形の完成度の高さには、素直にシビれる。

 “リアル造形というより仮面ライダーそのもの” なこの顔をジッと見つめていると、
 仮面ライダーがいた自分の少年時代が、より一層、
 美しく愛しく思えてくる。

 ありがとう、仮面ライダー。
 ありがとう、石森章太郎先生。
 ありがとう、平山亨プロデューサー。



仮面ライダーの “顔” の魅力、
僕のソフビコレクションで少しは面白く感じていただけたであろうか?

それぞれの人形に、ロマンがあり、夢がある。
もちろん、
今回は紹介したのは、ほんの一部であり
小学1年生だった僕が
40代後半のオッサンになってしまう長い時間の中には、
ほかにもたくさん、
仮面ライダーのソフビ人形が存在する。

だけど、
結論はただひとつ。
どの時期の、どのタイプのソフビ人形の顔からも、
オープニングナレーションのときめき、そして『仮面ライダー』という作品の奥深さが
しっかり伝わってくる、という事。
それは、
実物の仮面ライダーの顔自体が、きわめて優れたデザインであった事の証。
人形の造形の表現法が時代によって変わっても、
仮面ライダーが僕らに伝えてくれる事、
仮面ライダーから僕らが感じ取る事は、ずっと変わらない。
仮面ライダーは、
それほど重厚な “顔” を持った、素晴らしい特撮ヒーローなのである。

 
さて、
そんな仮面ライダーは、
御存知のように、
40年以上の歳月が経った現在でも新作が作られている大シリーズの大キャラクターでもある。
毎年、
続々と新しい仮面ライダーが生み出されているが、
この際だから、
初代(1号&2号)以外の仮面ライダーの顔も、いくつか取り上げてみようと思う。
なので、

 次回、「仮面ライダーの顔・その2」に、御期待下さい(笑)。


    【余談】

  仮面ライダーの顔、という事で思い出した事があるので、
  この写真を紹介しよう。 
僕の隣にいるメガネの子は、
当時近所に住んでいた林修君。
僕が中1で彼が小6の時の写真である。
彼は、今や
  
 「いつやるか?今でしょ」

などという流行語を生み出し、
予備校の先生にして全国的な有名人になってしまったが、
この写真の数年前には、
ライダーカードを僕とトレードする、
仮面ライダーが大好きな普通の子供であった。
  
ただし、
いちばん好きなお菓子はマロングラッセ、
という、
なんかマセたガキだったが・・・(笑)。
  
      500番台のカードを要求され、
  僕がダブって持ってたカード
   (確かちょうど500番で、本郷猛が単体で写っているヤツ)と
  彼がダブって持ってたカード
   (何番だったか、ダブルライダーがキックしている写真のヤツ)を、
  彼の家のガレージで交換したのを憶えている。 
  
  学年も違うし、特に仲が良かったわけでもないので、
  彼は僕の事なんかもう憶えていないかもしれないが、
  僕は強く憶えている。
  なぜなら、
  そのライダーカードトレードの場で彼が言った、
  
   「2号の顔(たぶん、エラの張った旧2号のマスクの事)はカッコ悪い!」
  
  という一言が、
  2号ファンだった僕には非常に不愉快なものだったからである。
  
  最近やたらとメディアでの露出が多い彼を見るたび、
  僕はあの一言を思い出して、いちいち腹が立つのである(笑)。





参考文献 : 『仮面ライダー名人列伝 〜子供番組に奇蹟を生んだ男たち〜』 平山亨・著 風塵社   



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